マイク・ミラード (Mike Millard)
アメリカ合衆国で1970年代から1980年代にかけて活動したテーパー。
「マイク・ザ・マイク (Mike The Mike)」の愛称で呼ばれ、カリフォルニア州ロサンゼルスのLAフォーラムで行われたレッド・ツェッペリンやピンク・フロイド、ローリング・ストーンズのコンサート録音テープが有名である。
彼は1974年にモノラル録音機を使って録音を始め、その後レッド・ツェッペリンのコンサートを録音するため機材をナカミチのステレオ録音機とAKGのアコースティック・マイクに変更する。彼は録音機を偽装するためしばしば車椅子を利用した。彼によって録音されたテープはその高音質から有名であり、様々なブートレグに使用された。
彼の手による1977年6月21日のレッド・ツェッペリン公演における「永遠の詩」は、『レッド・ツェッペリンDVD』のメニューに使用された。同公演は『Listen to this, Eddie』というタイトルのブートレグが有名である。
マイク・ミラードは1990年に自殺したとされる。しかしながらその事実は確認されていない。
カリフォルニアでのミラードの幼少時代については殆ど知られていない。物語が始まるのは、大物ロック・バンドがアメリカ西海岸スタジアム・ツアーの一環としてLAフォーラムでコンサートを行なうようになった、1970年代初頭からだ。コンサートとは、殆どの人間にとっては束の間の楽しい時に過ぎないが、マイクのような音楽ファンにとっては、記録して保存すべき大切な瞬間だった。コンサート会場に録音機を密かに持ち込んでいた数多くの先輩たちをヒントに、マイクは最高のレコーディングを行なう独創的な方法を開発した。
マイク・ミラードの仕事にはたいてい仲間がいた。警備の厳しいアリーナに録音機を持ち込むためには、手助けが必要だったのだ。彼は厳重な警備を突破するために、他の録音マニアとは違う極悪非道なやり方を見つけた。車椅子である。マイクは車椅子に乗って、ヘルパーに会場に入れてもらった。小道具の車椅子には日本製の高価な大型カセットレコーダーを仕込み、マイクはその上に座った。彼は大量の服も持って入り、警備スタッフに何か言われた時には、万一おもらししてしまった時のための用心だと言い張った。
会場内に入るやいなや、マイクは車椅子を押してもらって身障者エリアに行き、帽子にマイクロホンを装着し、プラグをカセットデッキのジャックに差し込んだ。客電が落ちると、マイクは重たいテープデッキをカバンの中に入れて、車椅子から立ち上がり、会場の前列へと歩いていった。伝説のミラード・テープが出来上がったのは、この手の込んだセットアップと、喜んで手助けをしてくれる人のネットワークとの、相乗効果のおかげと言える。
ロックのパフォーマンスの録音行為にはリスクが伴っていた。ミラードと彼の仲間が気を付けていた恐ろしい人物が、レッド・ツェッペリンの巨漢マネージャー、ピーター・グラントだった。彼はコンサート会場をパトロールし、録音機材を破壊したり、ダフ屋をその場でボコボコにすることで知られていたのだ。もともと、グラントはレスラーとしてショウビジネス界に入り、「ミラノ伯ブルーノ・アレッシオ」というリングネームを名乗っていた。恐ろしい評判は、グラントがリングの外に出て、自分が手掛るバンドが演奏するスタジアムの中に入ってもなお、彼について回った。1977年には、バックステージで残虐な暴力行為を行なった廉でピーター・グラントを逮捕するために、オークランド市はSWATチームまで出動させている。ここまで凶暴な人物に、ブートレッグ録音は毛嫌いされていたのだ。
マイク・ミラードの仕事にはたいてい仲間がいた。警備の厳しいアリーナに録音機を持ち込むためには、手助けが必要だったのだ。彼は厳重な警備を突破するために、他の録音マニアとは違う極悪非道なやり方を見つけた。車椅子である。マイクは車椅子に乗って、ヘルパーに会場に入れてもらった。小道具の車椅子には日本製の高価な大型カセットレコーダーを仕込み、マイクはその上に座った。彼は大量の服も持って入り、警備スタッフに何か言われた時には、万一おもらししてしまった時のための用心だと言い張った。
会場内に入るやいなや、マイクは車椅子を押してもらって身障者エリアに行き、帽子にマイクロホンを装着し、プラグをカセットデッキのジャックに差し込んだ。客電が落ちると、マイクは重たいテープデッキをカバンの中に入れて、車椅子から立ち上がり、会場の前列へと歩いていった。伝説のミラード・テープが出来上がったのは、この手の込んだセットアップと、喜んで手助けをしてくれる人のネットワークとの、相乗効果のおかげと言える。
ロックのパフォーマンスの録音行為にはリスクが伴っていた。ミラードと彼の仲間が気を付けていた恐ろしい人物が、レッド・ツェッペリンの巨漢マネージャー、ピーター・グラントだった。彼はコンサート会場をパトロールし、録音機材を破壊したり、ダフ屋をその場でボコボコにすることで知られていたのだ。もともと、グラントはレスラーとしてショウビジネス界に入り、「ミラノ伯ブルーノ・アレッシオ」というリングネームを名乗っていた。恐ろしい評判は、グラントがリングの外に出て、自分が手掛るバンドが演奏するスタジアムの中に入ってもなお、彼について回った。1977年には、バックステージで残虐な暴力行為を行なった廉でピーター・グラントを逮捕するために、オークランド市はSWATチームまで出動させている。ここまで凶暴な人物に、ブートレッグ録音は毛嫌いされていたのだ。
マイク・ミラードがさまざまな危険を顧みずに録音したライヴ・パフォーマンスは、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、ピンク・フロイド、エリック・クラプトン、イエス、ラッシュ、ウィングス、カンサス、ロバート・プラント、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、ジェネシス等、多岐に渡る。マイクはこうしたバンドの行なった伝説的コンサートの目撃者になっただけでなく、大変な手間隙をかけて、自分自身と世界中のロックファンのために、それを保存したのである。
マイク・ミラード・テープは、史上最高のライヴ・レコーディングと評されている。非常に優れたクオリティーなので、彼のレコーディングを正式にリリースしたバンドもあるほどなのだ。レッド・ツェッペリンのギタリストであるジミー・ペイジは、ミラード音源を正規にリリースした『DVD』に使用している。しかし、ミラード・レコーディングが、インターネット上のコメンテイターが言うように「プロ以上の音」なのは、どうしてなのか?
元レコード店経営者で、レッド・ツェッペリンのファンジン「タイト・バット・ルース」に協力しているジャーナリスト、デイヴ・ルイスに、ザ・カーネルは話を聞いた。
「マイクの録音には“まさに今、ここにいる”感がありました。彼はバンドの音をフルにとらえるのにピッタリの場所にいました」
ミラードが正しい場所を見つけることが出来たのは、何年間も同じ会場に通い、同じ技を使い続けたからである。ミラードはたいてい前から8列目にいて、うるさい叫び声をあげるファンには小額の金を渡して黙らせた。
首尾よく録音に成功すると、ミラードは少数の友人のみを選んで、テープのコピーを渡していた。しかし、こうした友人たちも、ミラードは心底疑っていた。そのため、コピーのテープには、わざとボリュームを変動させたり、他の小さな不備を混入するなどして、「しるし」を付けておいたのだ。ミラードはコピーを作るたびに、それをノートに記録しておいた。こうしておけば、自分のレコーディングを使って海賊盤がリリースされた場合に、誰が業者にテープを売ったか追跡することが出来るからである。
こうした被害妄想を抱えているにもかかわらず、ミラードは音楽が聞きたくてLAフォーラムに通い続け、さらに多くのバンドを録音した。自分の手で録音したものへの愛着は、友人に送ったテープの曲目カードに施された豊かな装飾にも見て取れる。友人たちによると、ミラードは特別感を出すために、何時間もかけてカードにイラストや彩色を施していたらしい。ミラードはカセットケースの中にコンサート・チケットのコピーを入れておくこともあった。
マイク・ミラード・テープは、史上最高のライヴ・レコーディングと評されている。非常に優れたクオリティーなので、彼のレコーディングを正式にリリースしたバンドもあるほどなのだ。レッド・ツェッペリンのギタリストであるジミー・ペイジは、ミラード音源を正規にリリースした『DVD』に使用している。しかし、ミラード・レコーディングが、インターネット上のコメンテイターが言うように「プロ以上の音」なのは、どうしてなのか?
元レコード店経営者で、レッド・ツェッペリンのファンジン「タイト・バット・ルース」に協力しているジャーナリスト、デイヴ・ルイスに、ザ・カーネルは話を聞いた。
「マイクの録音には“まさに今、ここにいる”感がありました。彼はバンドの音をフルにとらえるのにピッタリの場所にいました」
ミラードが正しい場所を見つけることが出来たのは、何年間も同じ会場に通い、同じ技を使い続けたからである。ミラードはたいてい前から8列目にいて、うるさい叫び声をあげるファンには小額の金を渡して黙らせた。
首尾よく録音に成功すると、ミラードは少数の友人のみを選んで、テープのコピーを渡していた。しかし、こうした友人たちも、ミラードは心底疑っていた。そのため、コピーのテープには、わざとボリュームを変動させたり、他の小さな不備を混入するなどして、「しるし」を付けておいたのだ。ミラードはコピーを作るたびに、それをノートに記録しておいた。こうしておけば、自分のレコーディングを使って海賊盤がリリースされた場合に、誰が業者にテープを売ったか追跡することが出来るからである。
こうした被害妄想を抱えているにもかかわらず、ミラードは音楽が聞きたくてLAフォーラムに通い続け、さらに多くのバンドを録音した。自分の手で録音したものへの愛着は、友人に送ったテープの曲目カードに施された豊かな装飾にも見て取れる。友人たちによると、ミラードは特別感を出すために、何時間もかけてカードにイラストや彩色を施していたらしい。ミラードはカセットケースの中にコンサート・チケットのコピーを入れておくこともあった。
ミラードは生涯を通じて鬱と戦っていた。彼はカルフォルニアにある自宅で年老いた母親と暮らしていたが、健康状態は悪化していった。それでもミラードはコンサートを録音していたが、友人にテープのコピーを渡すことは徐々に少なくなっていった。近所のサン・アントニオ・カレッジで仕事を持っていたおかげで、ミラードはどうにか生き続けてはいたが、遂には深い鬱のスパイラルにはまり込んでしまった。
1990年、マイク・ミラードは自分が録音したテープの殆ど全てを廃棄した。その際、伝説のロック・バンドのコンサートを録音した、数万ドルの価値があったであろうオリジナル・テープは失われてしまった。それから間もなく、彼は自分の人生にも自ら終止符を打った。
ミラードの死後、友人たちは彼の母親と連絡を取って、ミラードの遺品の整理に手を貸すと申し出たが、断られた。長年に渡って、マイク・ミラードの寝室には多数の録音機材が転がったままになっている。恐らく、テープもいくつかは残っているだろう。残念なことに、マイク・ミラードと彼のテープについての情報は、これを最後に全く聞かれなくなった。
友人たちや音楽仲間でさえ、マイク・ミラードが亡くなったのを知ったのは、死後何年も経ってからだった。手紙を出しても返事がない。テープ・トレードのリクエストも無視されている。そのうち遂に、噂がテープ・コレクター間に流れた。ミラードは亡くなった。テープはもうない。手に入れようとしても無駄だ、と。
プロのコンサート・レコーディングを聞く時には、ステレオで録音されていて当たり前であるが、マイク・ミラードは帽子にマイクロホンをテープで装着してステレオ・サウンドを作り出していた。ミラード・レコーディングは、最も金持ちで有名なロック・スターが自分の全盛期の演奏を聞き直そうと、自宅にコレクションしていることで知られている。世界で最も価値のある音の記録のいくつかは、身体障害者を装うことまでして会場に録音機材を持ち込んでいた、この独創的な人物の手によるものなのだ。
マイク・ミラードがどんな人物だったのか、残念ながら、音楽ファンが知ることはないだろう。彼のレコーディングが正規にリリースされる場合でも、クレジットに名前が登場することはない。レコーディングが違法なものであったがゆえに、マイク・ザ・マイクの名は歴史から隠されてしまっているのだ。ミラードも属していたアンダーグラウンドの音楽コミュニティーの中でのみ、彼の名前は生き続けるのだろう。
Copyrighted article "The tragic tale of a legendary concert taper" by James Cook
文:ジェイムズ・クック
1990年、マイク・ミラードは自分が録音したテープの殆ど全てを廃棄した。その際、伝説のロック・バンドのコンサートを録音した、数万ドルの価値があったであろうオリジナル・テープは失われてしまった。それから間もなく、彼は自分の人生にも自ら終止符を打った。
ミラードの死後、友人たちは彼の母親と連絡を取って、ミラードの遺品の整理に手を貸すと申し出たが、断られた。長年に渡って、マイク・ミラードの寝室には多数の録音機材が転がったままになっている。恐らく、テープもいくつかは残っているだろう。残念なことに、マイク・ミラードと彼のテープについての情報は、これを最後に全く聞かれなくなった。
友人たちや音楽仲間でさえ、マイク・ミラードが亡くなったのを知ったのは、死後何年も経ってからだった。手紙を出しても返事がない。テープ・トレードのリクエストも無視されている。そのうち遂に、噂がテープ・コレクター間に流れた。ミラードは亡くなった。テープはもうない。手に入れようとしても無駄だ、と。
プロのコンサート・レコーディングを聞く時には、ステレオで録音されていて当たり前であるが、マイク・ミラードは帽子にマイクロホンをテープで装着してステレオ・サウンドを作り出していた。ミラード・レコーディングは、最も金持ちで有名なロック・スターが自分の全盛期の演奏を聞き直そうと、自宅にコレクションしていることで知られている。世界で最も価値のある音の記録のいくつかは、身体障害者を装うことまでして会場に録音機材を持ち込んでいた、この独創的な人物の手によるものなのだ。
マイク・ミラードがどんな人物だったのか、残念ながら、音楽ファンが知ることはないだろう。彼のレコーディングが正規にリリースされる場合でも、クレジットに名前が登場することはない。レコーディングが違法なものであったがゆえに、マイク・ザ・マイクの名は歴史から隠されてしまっているのだ。ミラードも属していたアンダーグラウンドの音楽コミュニティーの中でのみ、彼の名前は生き続けるのだろう。
Copyrighted article "The tragic tale of a legendary concert taper" by James Cook
文:ジェイムズ・クック
Mike Millard (died 1994), nicknamed "Mike The Mic" was an avid concert taper in the 1970s and 1980s, recording mostly Led Zeppelin, Pink Floyd and The Rolling Stones concerts in California, especially at the Los Angeles Forum.
He taped virtually every show at the Forum from 1974 to 1980. Many of his recordings found their way into the hands of bootleggers who sold Millard's work to fans.
Starting with a basic mono recorder in 1974, Millard upgraded to a Nakamichi stereo recorder with AKG Acoustics microphones for the 1975 Led Zeppelin shows in the area. He often used a wheelchair to conceal his equipment, pretending to be disabled. Unlike most 1970s audience bootlegs, Millard's recordings are known for their good sound quality, and are to this day considered some of the finest audio bootlegs available.
Millard's recording of the Led Zeppelin concert on June 21, 1977 at the Forum (allegedly taped from row number six) was released under the title Listen To This Eddie, and remains one of the best-known Led Zeppelin bootlegs. His recording of the opening number from the concert, "The Song Remains The Same", was included in the promos menu of the Led Zeppelin DVD.Millard recorded all of the Rolling Stones 1975 shows at the LA Forum, and his recording of the Sunday, July 13, 1975 show (titled 'LA Friday') has become one of the most widely spread recordings of a Rolling Stones concert.
Millard was never behind the sale of bootlegs and was openly against the illegal sale of his recordings.[citation needed] He was notorious for "marking" copies of his tapes so that if one of his recordings turned up for sale on LP or CD, he would be able to tell which person he had traded it to. He kept a very detailed logbook of his marked recordings and who they were distributed to."Unmarked" copies of Millard's recordings are very scarce. In 2016 several unmarked first generation copies of his Led Zeppelin recordings surfaced in trading circles.
Millard is said to have suffered from severe depression, and he committed suicide in 1994.
The Millard recording set-up was used by The National in 2019 to record two of their shows, and an accompanying documentary titled Juicy Sonic Magic: The Mike Millard Method was also created
Recreating Mike Millard Analog Recording Set-Up: AKG 451E ...
マイク・ミラードのアナログ録音セットアップの再現:
AKG 451ECK-1>ナカミチ550
完全に復元されたナカミチ550カセットデッキを購入しました。これは、レッドツェッペリン1975-77とボブディラン1978-79テープで最も有名な伝説のマイクミラードを含む、70年代にいくつかの深刻なテーパーで使用されたものと同じモデルです。デッキの写真を何度も見たことがありますが、どれだけ大きくて重いのかわかりませんでした。8個のDセルバッテリーで完全に操作できるという点でポータブルですが、多くのホームテープデッキと同じくらい重くて大きいです。重さは簡単に15ポンドを超えるので、ステルステーピングでの使用を尊重しています。
Millard自身の手書きのメモによると、彼の主要なマイクのセットアップはAKG4541Eマイクのペアでした。数日前まで、私はこれらのマイクを研究したことがありませんでしたが、研究した後、私は彼の選択を理解し始めました。まず、それらは非常に高く評価されているコンデンサーマイクであり、ミラードが使用したCK-1カーディオイドキャップを含む交換可能なキャップを備えていました。次に、A51スイベルアダプターを使用して角度を変更し、テーパーでキャップを本体から90度傾けることができます。これは、ステルス状態で非常に役立ちます。Millardが車椅子を使用して録音したと考える人もいることを考えると、マイクを前方に向けてロープロファイルを維持するために、スイベルキャップを使用してマイクをより簡単に取り付けることができるのは理にかなっています。
しかし、私が答えようとしている質問は、彼がマイクに電力を供給するために何を使用したかということです。ナカミチ550は、ナカミチのマイクシリーズ、CM-50、CM-100、CM-300、CM-700、CM-1000で使用するように設計されています。これらはすべてバッテリー駆動で、本体(または1000の場合、ポータブルプリアンプで、メモリが機能する場合)。
AKGは、ファンタム電源が利用できないときに使用するために、451ライン用のポータブルなバッテリー駆動のプリアンプを販売しましたか?もしそうでなかったら、1975-81年頃にどのような種類のバッテリーファンタム電源/プリアンプが一般的に使用されていただろうか?
彼のセットアップをミラーリングして実際に使用するという私の目標として、これに関する誰かのPOVを歓迎します。ミラードが捉えることができた音と品質には、私が再現しようとしている何かがあります。
BK for JEMS
Millard自身の手書きのメモによると、彼の主要なマイクのセットアップはAKG4541Eマイクのペアでした。数日前まで、私はこれらのマイクを研究したことがありませんでしたが、研究した後、私は彼の選択を理解し始めました。まず、それらは非常に高く評価されているコンデンサーマイクであり、ミラードが使用したCK-1カーディオイドキャップを含む交換可能なキャップを備えていました。次に、A51スイベルアダプターを使用して角度を変更し、テーパーでキャップを本体から90度傾けることができます。これは、ステルス状態で非常に役立ちます。Millardが車椅子を使用して録音したと考える人もいることを考えると、マイクを前方に向けてロープロファイルを維持するために、スイベルキャップを使用してマイクをより簡単に取り付けることができるのは理にかなっています。
しかし、私が答えようとしている質問は、彼がマイクに電力を供給するために何を使用したかということです。ナカミチ550は、ナカミチのマイクシリーズ、CM-50、CM-100、CM-300、CM-700、CM-1000で使用するように設計されています。これらはすべてバッテリー駆動で、本体(または1000の場合、ポータブルプリアンプで、メモリが機能する場合)。
AKGは、ファンタム電源が利用できないときに使用するために、451ライン用のポータブルなバッテリー駆動のプリアンプを販売しましたか?もしそうでなかったら、1975-81年頃にどのような種類のバッテリーファンタム電源/プリアンプが一般的に使用されていただろうか?
彼のセットアップをミラーリングして実際に使用するという私の目標として、これに関する誰かのPOVを歓迎します。ミラードが捉えることができた音と品質には、私が再現しようとしている何かがあります。
BK for JEMS
Bootlegging, a practice that previously played a crucial part in the lives of many music fans, is no longer the fruitful career path. Thanks in no small part to the dawning of the internet, it has meant that unless you’re Jack White and decide to ban phones from your gig, as soon as you do as much as roadtest a new song it will undoubtedly be on social media forever.
However, footage from gigs hasn’t always been so easy to find and the bootlegging market was one that many people relied on to get copies of their favourite artists live in concert, which was the next best thing from being there in person.
Los Angeles had it’s very own patron saint of bootlegging, Mr Mike Millard, otherwise known as ‘Mike The Mike’, who was one of the most prolific figures in this field throughout the 1970s and ’80s. Some of his most famous recordings come from Led Zeppelin, Pink Floyd and The Rolling Stones visits to California.
There is barely a show in existence from that 1974 until 1980 that took place at LA’s The Forum that wasn’t recorded by Mike using his special ‘Millard Method’. He started by using a basic mono recorder in 1974 before upgrading to a Nakamichi stereo recorder with AKG Acoustics microphones in time for the 1975 Led Zeppelin shows in Los Angeles. Obviously, this was quite difficult to make look conspicuous… so how did Millard manage to get away with it for so long?
His technique for managing to hide his recording equipment is one that seems incomprehensible, Millard would often use a wheelchair and pretend to be disabled so his chair wouldn’t be checked — which is an unfathomable length to go to.
Perhaps is most famous recording was of the Led Zeppelin concert on June 21, 1977, at the Forum which was released under the title Listen To This Eddie and is one of the most famous Zeppelin bootlegs in existence. Millard’s recording of set opener ‘The Song Remains The Same’ would even be included in the promos menu of the Led Zeppelin live concert DVD released in 2007.
Millard was never actually behind the sale of bootlegs and just passed them to friends. The chain reaction, however, would see his recordings end up in the hands of bootleggers who then sold it on at an obscene profit without his blessing. So angered by the financial gain of others, Millard went as far as marking copies of his tapes so that if one of his recordings turned up for sale, he would know which person he had initially traded it to.
Millard was in the bootlegging game to fuel his passion for music, not an effort to fleece artists out of money. The cult figure was left hurt when people he believed to be trustworthy would routinely make a profit out of something that he had given them in good faith as a friend.
The bootlegging hero sadly died by suicide in 1994 and never got to see his legacy live on thanks to The National in 2019 who commissioned archivist Erik Flannigan to record their shows using the very same technique that he developed. The band’s two shows at Berkeley’s Greek Theatre were recorded using vintage AKG 451E microphones and a restored Nakamichi 550 cassette deck, just like the Millard classics. They also shared an accompanying documentary titled Juicy Sonic Magic: The Mike Millard Method, which you can watch below.
Nakamichi 550
Versatile Cassette System ¥110,000
1975年にナカミチが発売した可搬型のカセットデッキ。当時オープンリールを含め,各社
から可搬型のテープデッキが発売され,いわゆる生録を行うオーディオファンも見られてい
ました。中には大型のオープンリールデッキを使って生録を行っている方もいました。そして
このタイプでは,ソニーのデンスケが最も知られていますが,独自の高い技術を持つナカミチ
が発売した可搬型カセットデッキが550でした。
ヘッドは,2ヘッド構成で,同年に発売された600と同じく「磁気集束方式録音再生ヘッド」が
搭載されていました。これは,ナカミチの優れたヘッド加工技術が生かされたもので,他社と
同じくパーマロイヘッドながら,ヘッドギャップ周りに磁気が集束するように設計・製造され,
同じヘッドギャップでも,より高い録音性能を実現していました。このために,製造工程の見直
しにより,ギャップ周辺のポールピースの加工歪みを大きく低減するようにポールピース先端
に特殊加工を行っていました。この「磁気集束方式ヘッド」は,理想的な磁気の集束が得られ
高域の歪みが大きく低減され,録音再生兼用ヘッドとしては,当時(今でも?),ずば抜けた周
波数特性とダイナミックレンジを実現していました。
走行系には,550のために新開発された「デューティーコントロールDCサーボモーター」が搭
載されていました。このモーターは,ロスが少なく,少ない電流で,高能率で安定した回転を実
現したモーターで,可搬型ながら0.08%以下というワウ・フラッター特性を実現していました。
550は,可搬型デッキとして,省電力設計がなされ,標準的な単一乾電池8本で,連続15時
間の録音再生が可能で,アルカリ乾電池を使用すると連続45時間の録音・再生が可能でした。
550は標準電圧が12Vでしたが,DC・DCコンバーターが搭載され,バッテリー電圧が7V~
14Vの範囲で変化しても,常に一定の出力電圧を保つことができるようになっていました。
また,このDC・DCコンバーターは,能率90%以上というすぐれた変換特性をもち,安定した
動作を確保していました。電源は,乾電池以外に,交流電流からとるACパックと自動車のシガー
ライターのソケットに差し込むコードも付属し,乾電池,家庭の交流電源,カーバッテリーと,3種
類の電源に対応していました。
レベルメーターは,当時まだ多かった-20dBからのタイプではなく,ダイナミックレンジの広い
生録音に対応して-40dB~+5dBというワイドレンジのメーターを搭載し,応答性にすぐれた
ピークメーターが採用されていました。
また,右チャンネルのメーターは,ボタンを押すとバッテリー電圧をチェックするメーターとなり
左チャンネルメーターは,ボタンを押すとC-60,C-90などのテープの長さに関係なくテープ残
量をパーセンテージで表示するテープフーテージインジケーターになるようになっていました。
さらに,テープの終了が近づくと,フロントパネルのLEDが点滅するテープエンドアラームが搭
載され,タイマーのノブを調整すると,あらかじめアラームの点灯する時間をプリセットできるよ
うにもなっていました。
テープセレクターは,一般的なNormalにあたるEXポジションとCrO2に対応した Highにあたる
SXポジションが備えられていました。また,リアパネルには,EX,SXポジションそれぞれに,L・R
独立のREC LEVEL キャリブレーションツマミも装備されており,調整のための400Hz・0dB
テストトーンも内蔵されていました。ノイズリダクションとしてドルビーNRが装備されており,REC
LEVELの正確な補正により正確なNR動作が可能となっていました。
入力系は,LINEがRCAピン入力だけでなく,出力と一体化されたDIN端子も装備されていまし
た。MIC入力はL・Rに加えブレンドMIC端子を備えた3系統の入力があり,それぞれ個別のレ
ベル調整が可能で,ブレンドMIC入力は,残響やバックのイズを拾ったりナレーション入れた
りと多様な使い方が可能でした。マイクアンプはダイナミックレンジ115dBという高性能なもの
が搭載され,MIC端子にマイクをつなぐとLINE入力がカットされ,MIC入力に切り換わる簡単
で確実なシステムとなっていました。
また,生録音を考慮した機能として,予期せぬ瞬間的な大入力に対して自動的に0dB以上の
大入力を7分の1に圧縮して歪みを防ぐピークリミッタースイッチが装備されていました。
モニター用に300mWという出力のヘッドホンアンプが内蔵され,出力を調整するアウトプット
ボリュームとは独立してヘッドホンボリュームも装備されていました。
以上のように,Nakamichi 550は,カセットデッキでの高い技術を可搬型カセットデッキに
生かした,可搬型デッキのレベルを超える高性能を実現していました。今から見るとかなり
大型の筐体ですが,当時の可搬型デッキとしては標準的なものでした。「Versatile(多用途)」
の名の通り,室内のオーディオシステムの据え置きデッキとしてもすぐれた性能を持ち,また
その性能を持ち歩けるというもので,当時,有名なミュージシャンのスティービーワンダーが
移動時に音楽を聴くための道具としてこのNakamichi 550を使っており(後のウォークマ
ン?の原型的な使い方),来日時にも携帯していたということでも話題になり,実力機として
静かな人気を得ることにもなりました。
◎周波数特性40~17,000Hz±3dB
磁気集束方式録音再生ヘッド
◎ワウ・フラッター0.08%以下
デューティーコントロールDCサーボモーター
◎連続15時間録音を可能にした省電力設計
◎電源電圧の変動をふせぐDC・DCコンバーター
◎ノイズレベルからピークレベルまでキャッチ
45dBフルレンジ・ピークレベル・メーター
◎テープの残量がワンタッチでわかる
テープフーテージインディケーター
◎バッテリー電圧もワンタッチで確認
◎LED(発光ダイオード)使用のテープエンド
アラームとプログラミングタイマー
◎録音効果を豊かにする
3ポイント・マイクミキシング
◎ほんのかすかな音も明瞭に録音
マイクアンプ内蔵
◎明瞭なステレオモニターを可能にした
ヘッドホンアンプ内蔵
◎テープごとに完全なドルビーレベル調整
400Hz0dBテストトーン
◎ピークリミッター
◎テープセレクタースイッチ
◎アウトプットボリューム
◎パワー・サプライ
◎オート・シャットオフ
Versatile Cassette System ¥110,000
1975年にナカミチが発売した可搬型のカセットデッキ。当時オープンリールを含め,各社
から可搬型のテープデッキが発売され,いわゆる生録を行うオーディオファンも見られてい
ました。中には大型のオープンリールデッキを使って生録を行っている方もいました。そして
このタイプでは,ソニーのデンスケが最も知られていますが,独自の高い技術を持つナカミチ
が発売した可搬型カセットデッキが550でした。
ヘッドは,2ヘッド構成で,同年に発売された600と同じく「磁気集束方式録音再生ヘッド」が
搭載されていました。これは,ナカミチの優れたヘッド加工技術が生かされたもので,他社と
同じくパーマロイヘッドながら,ヘッドギャップ周りに磁気が集束するように設計・製造され,
同じヘッドギャップでも,より高い録音性能を実現していました。このために,製造工程の見直
しにより,ギャップ周辺のポールピースの加工歪みを大きく低減するようにポールピース先端
に特殊加工を行っていました。この「磁気集束方式ヘッド」は,理想的な磁気の集束が得られ
高域の歪みが大きく低減され,録音再生兼用ヘッドとしては,当時(今でも?),ずば抜けた周
波数特性とダイナミックレンジを実現していました。
走行系には,550のために新開発された「デューティーコントロールDCサーボモーター」が搭
載されていました。このモーターは,ロスが少なく,少ない電流で,高能率で安定した回転を実
現したモーターで,可搬型ながら0.08%以下というワウ・フラッター特性を実現していました。
550は,可搬型デッキとして,省電力設計がなされ,標準的な単一乾電池8本で,連続15時
間の録音再生が可能で,アルカリ乾電池を使用すると連続45時間の録音・再生が可能でした。
550は標準電圧が12Vでしたが,DC・DCコンバーターが搭載され,バッテリー電圧が7V~
14Vの範囲で変化しても,常に一定の出力電圧を保つことができるようになっていました。
また,このDC・DCコンバーターは,能率90%以上というすぐれた変換特性をもち,安定した
動作を確保していました。電源は,乾電池以外に,交流電流からとるACパックと自動車のシガー
ライターのソケットに差し込むコードも付属し,乾電池,家庭の交流電源,カーバッテリーと,3種
類の電源に対応していました。
レベルメーターは,当時まだ多かった-20dBからのタイプではなく,ダイナミックレンジの広い
生録音に対応して-40dB~+5dBというワイドレンジのメーターを搭載し,応答性にすぐれた
ピークメーターが採用されていました。
また,右チャンネルのメーターは,ボタンを押すとバッテリー電圧をチェックするメーターとなり
左チャンネルメーターは,ボタンを押すとC-60,C-90などのテープの長さに関係なくテープ残
量をパーセンテージで表示するテープフーテージインジケーターになるようになっていました。
さらに,テープの終了が近づくと,フロントパネルのLEDが点滅するテープエンドアラームが搭
載され,タイマーのノブを調整すると,あらかじめアラームの点灯する時間をプリセットできるよ
うにもなっていました。
テープセレクターは,一般的なNormalにあたるEXポジションとCrO2に対応した Highにあたる
SXポジションが備えられていました。また,リアパネルには,EX,SXポジションそれぞれに,L・R
独立のREC LEVEL キャリブレーションツマミも装備されており,調整のための400Hz・0dB
テストトーンも内蔵されていました。ノイズリダクションとしてドルビーNRが装備されており,REC
LEVELの正確な補正により正確なNR動作が可能となっていました。
入力系は,LINEがRCAピン入力だけでなく,出力と一体化されたDIN端子も装備されていまし
た。MIC入力はL・Rに加えブレンドMIC端子を備えた3系統の入力があり,それぞれ個別のレ
ベル調整が可能で,ブレンドMIC入力は,残響やバックのイズを拾ったりナレーション入れた
りと多様な使い方が可能でした。マイクアンプはダイナミックレンジ115dBという高性能なもの
が搭載され,MIC端子にマイクをつなぐとLINE入力がカットされ,MIC入力に切り換わる簡単
で確実なシステムとなっていました。
また,生録音を考慮した機能として,予期せぬ瞬間的な大入力に対して自動的に0dB以上の
大入力を7分の1に圧縮して歪みを防ぐピークリミッタースイッチが装備されていました。
モニター用に300mWという出力のヘッドホンアンプが内蔵され,出力を調整するアウトプット
ボリュームとは独立してヘッドホンボリュームも装備されていました。
以上のように,Nakamichi 550は,カセットデッキでの高い技術を可搬型カセットデッキに
生かした,可搬型デッキのレベルを超える高性能を実現していました。今から見るとかなり
大型の筐体ですが,当時の可搬型デッキとしては標準的なものでした。「Versatile(多用途)」
の名の通り,室内のオーディオシステムの据え置きデッキとしてもすぐれた性能を持ち,また
その性能を持ち歩けるというもので,当時,有名なミュージシャンのスティービーワンダーが
移動時に音楽を聴くための道具としてこのNakamichi 550を使っており(後のウォークマ
ン?の原型的な使い方),来日時にも携帯していたということでも話題になり,実力機として
静かな人気を得ることにもなりました。
◎周波数特性40~17,000Hz±3dB
磁気集束方式録音再生ヘッド
◎ワウ・フラッター0.08%以下
デューティーコントロールDCサーボモーター
◎連続15時間録音を可能にした省電力設計
◎電源電圧の変動をふせぐDC・DCコンバーター
◎ノイズレベルからピークレベルまでキャッチ
45dBフルレンジ・ピークレベル・メーター
◎テープの残量がワンタッチでわかる
テープフーテージインディケーター
◎バッテリー電圧もワンタッチで確認
◎LED(発光ダイオード)使用のテープエンド
アラームとプログラミングタイマー
◎録音効果を豊かにする
3ポイント・マイクミキシング
◎ほんのかすかな音も明瞭に録音
マイクアンプ内蔵
◎明瞭なステレオモニターを可能にした
ヘッドホンアンプ内蔵
◎テープごとに完全なドルビーレベル調整
400Hz0dBテストトーン
◎ピークリミッター
◎テープセレクタースイッチ
◎アウトプットボリューム
◎パワー・サプライ
◎オート・シャットオフ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます