数年前にコロナが最盛期だった頃、パンを自分で作ってみた事が
あって、最初生地を捏ねるのも手でやってみたが不器用なのか
要領が悪いためか出来なかったので、諦めてホームベーカリーを
買ったが、食パンばかり作っても面白くないので、捏ねるのと一次
発酵までは機械にまかせ、生地を切り分けて成型し二次発酵から
焼くまでをやってコッペパンなどを作ったりしていた。
パン作りは結構時間がかかるのに、出来るとほんの10分ぐらいで
なくなってしまうので、何か複雑な気分にもなったりした(笑)
子どもの時、小学校の給食の主食はたいていコッペパンだったが
ごくたまに炊き込みご飯だったりすると、とても嬉しかったような
記憶がある。そのころの朝食はご飯に味噌汁だったし、やっぱり
お米のほうを身体は要求していたんだと思う。
小学1年の時にはたしかビンの牛乳でなくて脱脂粉乳だったように
思う。2年からは変わったと思うがよくあんなものを飲めたものだ
と今では感心してしまう。だいたい牛乳を美味しいと思った事は
なく、どちらかと言うと義務的に飲んでいたが、同級生にはもっと
拒否感の強い子もいて給食時間の終わり頃になっても半分も減って
ないのがいつもの事で、しかし昔は給食を残すのはダメだったので
その子にとって6年間の給食時間はイヤな記憶にしかなっていない
のではないか。
小学4年の時の中年の女性教師はかなり厳しい人だった。クラスに
どうしても蒸しパンが食べられない男の子がいて、口に入れると
すぐに吐き出してしまう感じで生理的に受けつけないのだろうが、
ある日職員室に行った時に、その先生のそばにその子とその母親と
思しき人が立っていて何やらクドクドお説教されていたみたい
だった。あまり近くまでは寄れなかったがどうも蒸しパンの事で
怒られているようだった。
今から考えると、パンが食べられないというだけで親まで呼び出
して注意する、というのはどんなものだろうと思ってしまう。
食べられないのは生理的な問題なんだから、いくらお説教された
って食べられるようになるはずがない。
「給食を残すのはダメ」というのを金科玉条の如く守って、それ
を子どもに押し付ける事に何の意味があったんだろうか。
その教師は子どもの身体的な状況をよく把握もせずに、大事な
(と自分で勘違いしている)お題目だけの方しか見ていない、
考えていないとしか思えない。
まあ昔は教師というと親からも一目置かれていたし、偉かったの
だろうが幾分やり過ぎな態度や指導も多々あったのではと思った
わけである。