平らな深み、緩やかな時間

412.『セザンヌの地質学』再考、谷川俊太郎死去について

詩人の谷川俊太郎(1931 - 2024)さんが亡くなりました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241119/k10014642591000.html

 

日本でもっとも有名な詩人だった谷川さんなので、あらゆる報道機関がその死をニュースとして取り上げていました。ここで私が付け加えることは何もありませんし、何か書くにしても、それ相応の準備が必要です。いまはその時間もありません。

一つだけ、谷川さんが亡くなったことで、谷川さんが作詞したさまざまな歌も注目されていますが、私は武満 徹(たけみつ とおる、1930 - 1996)さんが作曲し、石川セリさんが歌唱した『死んだ男の残したものは』を多くの方に聴いていただきたいと思っています。

この『死んだ男の残したものは』は、ベトナム戦争のさなかの1965年に「ベトナム平和を願う市民の会」のために作られた歌だそうです。この石川セリさんのヴァージョンは、編曲が服部隆之さん、ギターが松原正樹さんです。

 

死んだ男の残したものは

ひとりの妻とひとりの子ども

他には何も残さなかった

墓石ひとつ残さなかった

 

・・・

 

死んだかれらの残したものは

生きてるわたし生きてるあなた

他には誰も残っていない

他には誰も残っていない

 

死んだ歴史の残したものは

輝く今日とまた来るあした

他には何も残っていない

他には何も残っていない

 

https://www.youtube.com/watch?v=bCfwRFi5iuE

 

蛇足ですが、編曲を担当された服部隆之さんは、NHKの朝ドラ『ブギウギ』で草彅剛さんが演じた羽鳥善一のモデルとなった服部良一(はっとり りょういち、1907 - 1993)さんのお孫さんです。隆之さんの父親の服部克久(はっとり かつひさ、1936 - 2020)さんも著名な作曲家でしたが、惜しくも数年前に亡くなりました。すごい音楽家の家系ですね。

そしてこの曲ですが、現代音楽の作曲家であった武満さんの普遍的な感触のあるメロディーを、上質なポピュラー音楽として、柔らかく耳に残るように仕立て上げてられていてみごとです。

もしもこの曲を気に入った方がいらしたら、ぜひアルバムごと聴いてみてください。

https://columbia.jp/artist-info/takemitsu/discography/COCY-78624.html

 

武満徹さんの曲ばかりを歌ったアルバムですが、谷川俊太郎さんが作詞した曲が数曲含まれています。

それにしても、1960年代に作られた歌が、現在でも切実な思いをもって聴こえてくる、ということに詩の凄みと現実の厳しさを感じます。谷川さんが書いた「死んだ歴史」が今も継続していること、そしてそんな「今日」と「あした」を私たちは生きていかなくてはならない、ということを思い知らされます。

谷川さんの詩は私たちの心に残り続けますが、谷川さんご自身は死去されてしまいました。

心よりご冥福をお祈りします。



さて、生物学者の福岡伸一さんの「動的平衡」について、その著書や講演から、私は二回ほど考察を試みました。

 

408.『100分de名著「ドリトル先生航海記」』から学ぶ、高階秀爾さん逝去

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/e882904be4543f8cd6c84827881173c6

 

410.福岡伸一「動的平衡」と現代美術のかかわり

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/eb44d3c834d2f119c34f82a931d2d3dd

 

私は、福岡さんの提唱する「動的平衡」という科学的な概念を、絵画制作に反映できないか、と考えているのですが、このような考えはナンセンスでしょうか?

科学と美術とのコラボレーションというと、例えば「キネティック・アート(Kinetic Art)」から始まるような、最新テクノロジーによる美術表現を想起する方もいらっしゃるかもしれません。

https://bijutsutecho.com/artwiki/16

 

そういうことならば、福岡さんの公式サイトで用いられた画像表現が、何よりも的確に福岡さんの概念を表現していることでしょう。

https://www.fukuokashinichi.com/

 

しかし私は、そういうことではなくて、これまで私が取り組んできた絵画表現において「動的平衡」の概念を消化しながら、表現へとつなげていけないものだろうか、と考えているのです。

私が興味を持っている絵画の面白さというのは、ただの何の変哲もない平面上に、「絵画という表現=イリュージョン」が現れ、それが作者の思考から行為までを表出し、なおかつそれが鑑賞者と共有できる、という一連の流れにあるのです。絵画表現というのは、どんなに具体的に目の前のものを描いても、それが静止した平面である限り、表現において高度な抽象化を必要とします。子どもが描くいびつな人の顔を見れば、絵画の原点というのが記号化された抽象的な思考の始まりであることがわかるでしょう。絵画というのは、表現者のものの見方、考え方を表出してしまうものなのです。

これは芸術全般に言えることで、絵画に限りません。とくに歴史的な重みを伴った、表現方法としてシンプルな芸術表現ほど、そう言えると思います。谷川さんの詩もそうですし、音楽についても同じことが言えると思います。前回のblogで取り上げた、クインシー・ジョーンズさんについて書かれた次の文章を思い出しておきましょう。

 

「あなたの音楽は、あなたという人間以上のものになることもそれ以下になることも決してありません」。91歳で亡くなった米ポップス界の巨人、クインシー・ジョーンズさんが「生涯に受けた最高のアドバイス」という▲助言者は仏女性音楽家のナディア・ブーランジェ。パリを拠点にストラビンスキーら20世紀の名だたる音楽家を育てた。20代でパリに渡り個人指導を受けたことがその後の成功に結びついたと振り返っている

https://mainichi.jp/articles/20241116/ddm/001/070/132000c

 

これにちなんで言えば「あなたの絵画は、あなたという人間以上のものになることもそれ以下になることも決してありません」ということになります。くわしいことは、前回の私のblogをお読みください。

 

話を戻しましょう。

私が「動的平衡」に興味を持ったのは、それが西欧絵画における「固定した一つの視点から客観的に存在する確固たる対象物を見る」という基本的な姿勢を崩壊させるものだからです。

福岡さんの提唱する「動的平衡」の考え方によれば、対象を見る「私」は、決して固定したものではありません。それに私たちが見ているものも、例えば風景であれば、そこに含まれる草や木は一瞬たりとも同じものではないでしょう。それがたとえ静物であったとしても、私の見ている静物との間にある光も大気も、絶えず変わっていることでしょう。

ここまでのblogで書いてきたように、私たちの絵画は哲学者のデカルト(René Descartes、1596 - 1650)さんから始まる近代思想の上に成り立っているものですし、その源流をたどれば古代ギリシャあたりまでさかのぼることができるのかもしれません。確固たる私がいて、その私が客観的に対象物を見ているという態度が近代美術の基本的な態度です。意図的にそれに抗って、ことさらに偶然性や行為性(アクション)を強調してみても、あるいは最新のテクノロジーを駆使して動くオブジェを作ってみても、私たちの起点となる態度に変わりがなければ、それは近代美術の延長線上にあるのです。

しかし、その近代思想による美術が、私たちの実感を必ずしも反映していないことに敏感な美術家たちは気づいていました。とくにそのことに自覚的であったのが、印象派の画家たちであったのかもしれません。しかし彼らにとって、変化するのは対象物の表面にうつる現象的な光であって、世界そのものの構造は確固としたものでした。そして、それを観察する画家の目もゆるぎないものだったのです。

しかし、そんななかで壮大な時間軸を自らの中に設定して、世界の動きを視覚的に感じとり、さらに自らの視点さえも動かしながらものを見ていた、変わった画家がいました。それが後期印象派の画家として分類されるセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)さんです。美術史的な見方では、彼は印象派に古典的な落ち着きを加味した画家だと言われていますが、それはとんでもない誤解です。また、彼が多視点的な絵画を描いたことから、キュビスムの始祖として捉える見方もありますが、それも一面的な見方です。

このblogを読んでいただいている方なら、そんなことは言うまでもないのですが、今回は「動的平衡」を表現するうえで、セザンヌさんの絵画がどのように参照できるのか、という観点から彼のことを振り返ってみたいと思います。

 

そこで読み返してみたいのが、持田季未子(もちだきみこ、 1947 - 2018)さんの『セザンヌの地質学』という本です。実は私は、だいぶ前にこの本について、このblogで書いています。

 

98.持田季未子『セザンヌの地質学』について

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/ab55dff9ea58e7446e0b2ca1cb5671c9

 

私のこの本に関する感想としては、こちらを参照していただきたいのですが、さきほども書いたように、今回は「動的平衡」を考えるうえで、参考になりそうなところを拾い読みしてみましょう。

 

まずは基本情報を押さえておきましょう。

セザンヌさんには、地質学に詳しい年少の友人がいました。フォルトゥネ・マリオン(Antoine-Fortuné Marion、1846 - 1900)さんという研究者で、プロヴァンス地方の古生物について論文を書き、高校や大学で博物学や地質学を教えた人だそうです。マリオンさんも若い頃にはセザンヌさんと画架を並べて絵を描き、その後もサント・ヴィクトワール山の麓を二人でよく散策したようです。博識で絵に興味がある友人と自然の中を散策するというのは、いかにも楽しそうでうらやましいです。

それから、セザンヌさんの言葉や行動を記録にとどめたのは、ジョワシャン・ガスケ(Joachim Gasquet, 1873 - 1921)さんという、詩人であり、評論家でもあった人です。彼はセザンヌさんとの対話を評伝として残しました。

https://www.iwanami.co.jp/book/b246634.html

 

この本は、セザンヌさんのデリケートな芸術家としての側面を描いたものですが、しばしばガスケさんの創作が混ざっているのではないかと指摘され、その史料的な信頼性に疑問符が付きます。私は学生の頃にこの本を読んでとても感動しましたが、そのような経緯もあって今ではあまり読み返していません。しかし、そうは言っても魅力的な本なので、いつかこのblogでもとりあげたいですね。

持田さんは、『セザンヌの地質学』のはじめの方で、セザンヌさんがガスケさんに語った言葉について、次のように書いています。

 

セザンヌは、松の香る高台で制作を続けながら年下の友人に向かってさらに具体的に語る。

「風景をうまく描くには、私はまず地質学的な土台を見つけださなければいけない。(中略)ある時あくる朝になって、地質的な土台がゆっくり見えてきて、いくつもの層が出来上がり、それは私の絵の大きなプランだが、石の骨格を頭のなかで描く。水の下に岩が露出しているのや、空が重くのしかかるのが見える。すべてがきちっとおさまる。線的な様相が色の薄い動悸に包まれる。赤い土が深淵から出てくる。私は風景から少し離れ始め、風景が見えてくるのだ。この地質的な線、この最初のエスキスによって風景から足がぬける。地球の尺度なる幾何学。やさしい感情におそわれる。」

この一節で語られるのはおそらく山中の小屋で夜を過ごし、まだ暗いうちから起き出して戸外の森に座って冷たい川の流れるほとりで夜明けを待っていた時の経験であろう。美しい言葉が続く。彼は風景を描くには物の表面だけでなくその下に横たわる「地質学的な土台」を発見しなければならないと言う。事物の表層に徹した印象派とは異なり、深さを重視する考え方である。

(『セザンヌの地質学』「1:あの石の塊は火だった」持田季未子)

 

このガスケさんの書き留めたセザンヌさんの言葉が、聞き書きとしては出来すぎているという気もしますが、仮にそこにガスケさんの創作が混ざっているとしても、セザンヌさんがこのような趣旨のことを言わなければ、ガスケさんもこのようには書けないでしょう。

風景を見るときに、目の前の岩や断層、川や谷などがどのようにして出現したのか、ということが分かって見るのと、分からないで見るのとでは、かなり印象が違うはずです。もしもその台地が壮大な地面の隆起によって出来上がったのだと思って見れば、それは下からせり上がってくるような力強いイメージで見えてくることでしょう。あるいは、岩が裂けて川ができたのだとしたら、その裂け目が水の下にほのかに見えてくるのかもしれません。セザンヌさんがガスケさんに語ったことは、そういうことではないでしょうか。

それを正確に読み取った持田さんは、セザンヌさんの見方を「事物の表層に徹した印象派とは異なり、深さを重視する考え方である」と的確に批評したのです。この持田さんの「深さ」という言葉には、空間の深さと悠久の時間の層の深さの双方が含まれているような気がします。セザンヌさんは一つ一つの筆のタッチ、色彩の塊の中に、その場所の空間と時間の深さを込めたのです。それを彼は絵画の用語で「色価(ヴァルール)/Valeur(仏), Value(英)」と言ったのですが、この言葉については、私の次のblogを参照してください。



406.「宮下圭介展」「数見利夫展」、「ノーベル平和賞」について

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/27f1dcdb8b29951ca9ed7f665df82af9

 

さて、具体的な作品についても見ておきましょう。まずは次のボルチモア美術館所蔵の作品を見てください。

 

『ビベミュスの石切場からのサント=ヴィクトワール山』

https://www.paulcezanne.org/mont-sainte-victoire-seen-from-the-bibemus-quarry.jsp

 

この絵について、持田さんはこの作品が実際の風景とは異なる構図であることを確認したうえで、なぜこのようにセザンヌは描いたのか、と問いかけながら、次のように解説しています。

 

その問いに答えることは容易でないが、この作品に限っては、平面性と正面性を意識して連続させることによって、松が生える丘の地面から巨轢のひきめく石切り場を経由して一気にサント・ヴィクトワール山の山頂にいたる動きをひとまとまりのものとして表現したからではないかと、私は考えている。

なぜならこの風景画で正面性とともにもうひとつ際立つのは、垂直性である。この作品を何も予見せず初めて見た人は、湖畔の風景が水面に映っていると思うかも知れない。岩壁のテラスの水平線を協会にそこから下は水に写った光景かと錯覚しそうになる。松、岩、山という遠近を異にする三つのプランが画面に平行に置かれて同じ正面性を持つとともに、岩の黒い輪郭線や松の幹の縦の線が反復され、しかも岩肌を表現するストローク(筆触)が他の多くのセザンヌ晩年作品に見られるように斜め方向でなくもっぱら縦方向に使われ、松の葉でも縦方向のストロークが使われていることが原因である。全般に密なストロークが用いられ静かな印象がする『ビベミュス石切り場』に比べて、この作品はとくに画面中央部で緑や茶色や灰色の色斑が大きく、またストロークが荒く、速いため上下に動揺する烈しささえある。

これはどういう意図によるのだろうか。

エクス・アン・プロヴァンスのあたりはかつて海の底で、それゆえ泥石灰の堆積岩の間に貝殻などの古生物の化石が発見されることはすでに述べたが、古い海から山が立ち上がっているように描きたいという意志がセザンヌにあったためと思えてならない。

<中略>

これらを制作時にセザンヌがガスケに向かって、

「サント・ヴィクトワール山がどのように根をおろしているか、土壌の地質学的な色彩、そういうことは心を動かすし、私をよくしてくれるのだ。」

と語っていたことが思い出される。

(『セザンヌの地質学』「4:ビベミュス石切り場にて」持田季未子)

 

いかがでしょうか?

持田さんはこの本を書くにあたって、次のようにも書いていました。

 

セザンヌの仕事は美術史や19世紀文化史の範囲だけでなくもっと長い時間軸のうちに、大きく言えば「自然と人間の関係」として位置づける方向が必要なのではないか。それはまた、過去長い間セザンヌ研究を支配していて今も影響が続いているモダニズム的、フォルマリズム的な考え方つまり彼が「いかに」描いたかに関心を注ぐ代わりに、「何を」描いたのかという角度から考える試みの一つだと言えるだろう。

(『セザンヌの地質学』「1:あの石の塊は火だった」持田季未子)

私も実を言えば、セザンヌさんの絵画を「いかに」描いたかに関心を注いだ一人であり、彼のストロークの一つ一つを純粋に造形的な言語として解釈しようとしたのでした。それが間違っていたとは思いませんが、その解釈方法だけではセザンヌさんがなぜこれほどまでにダイナミックで動的な絵を描くことができたのか、ということが疑問として残るのです。というのは、このセザンヌさんのダイナミズムこそ、キュビズムの画家たちも、その後の批評家たちも的確に汲み取ることができなかったことだからです。

しかし、セザンヌさんがそもそも風景を動くものだと感じながら描いていたとしたら、どうでしょうか。それも私たちの日常の時間を超えて、悠久の時間の中で動く風景を彼が見ていたとしたら、それは何かワクワクするような発見ではないでしょうか。その風景の動きを正確にみるためには、彼は地質学的な知見を身につける必要があったのです。

 

このセザンヌの態度は、私が福岡さんの提唱する「動的平衡」を表現に取り入れようとするときに、大いに参考になるものだと思うのです。

そして私は、以前にこの『セザンヌの地質学』を取り上げたときに引用した時と同じように、やはりこの本の結びとして持田さんが書いた文章を再び引用しておきたいと思います。

 

山中に一人でこもって岩や山ばかり相手にしていても、セザンヌは決して孤独な隠遁者などではない。山が立ち上がる太古の時から万物が風化して廃墟と化す終焉の時まで、長大な時間のもと、表面からは隠れているが実は刻一刻と変化し常に流転してやまない自然。そのような自然を見つめ、色と形で表現しようとする。

 「遷りゆく世界の一瞬がそこにある。その現実のなかでそれを描く!」

 セザンヌは、自然の本質とは何なのかを考えつめようとした古代イオニアの自然哲学者直系と言ってよいほどの際立って思索的な画家であった。

(『セザンヌの地質学』「8:南仏のメランコリー」持田季未子)

 

うーん、セザンヌさんも素晴らしいけれど、やはりこの本を書いた持田さんも素晴らしいです。この持田さんの「山が立ち上がる太古の時から万物が風化して廃墟と化す終焉の時まで、長大な時間のもと、表面からは隠れているが実は刻一刻と変化し常に流転してやまない自然」という文章を、福岡さんは知っているでしょうか?もしも福岡さんの知り合いの方がこの文章を読んでいたら、ぜひとも福岡さんに持田さんのこの本の存在を教えてあげてほしいです。そして持田さんが言うように、セザンヌさんはそのように自然を捉えたうえで「そのような自然を見つめ、色と形で表現しよう」とした画家だったのです。

 

さて、私たちは大自然の地質ばかりでなく、私たち自身がわずかですが確実に移り変わる存在である、ということを知っています。

そこから哲学も、思想も、そして芸術も再出発するべきだと私は思います。そして私は、これまでの確固たる「自己」があるという信念が揺らいで、私たちがもうすこし自然に対して、そして世界に対して謙虚に、そしてそれらを尊重するような気持ちになれたらいいなあ、と思っています。

 

私の作品も、私の細胞が少しずつ入れ替わっていくように、時間をかけて少しずつ変わっていくことを目指します。

今後も、考察と表現活動を継続していきます。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事