私の聴いているラジオ番組では、当然のことですがウクライナで起きている悲惨な戦争犯罪のことが頻繁に話題になります。そしていろいろな反戦歌を聴くことになりますが、その中でもジャズ・ミュージシャンであり、ギタリスト、作曲家でもある大友良英さんが案内役を務める『ジャズ・トゥナイト』で聴いた『What A Wonderful World』が印象的でした。
ルイ・アームストロング(Louis Armstrong、1901 - 1971)が『What A Wonderful World』をアメリカで発売した時、レコード会社とうまくいっていなくて、実はあまり売れなかったそうです。その後、ルイ・アームストロングは亡くなる一年前の1970年に、次のようなイントロのナレーションを入れて再録音したとのことです。大友良英さんも言っていましたが、まるで現在の世界の問題について語っているような気がして不思議です。
最近若いやつがよく俺にこう言ってくるんだ
「“この素晴らしき世界”ってどういう意味なんですか?」
「世界中で戦争が行われていますよね?」
「それも素晴らしいっていうんですか?」
「飢饉や環境汚染の問題もありますよね?」
「全然すばらしくなんてないですよ」
落ち着いてこのじいさんの言うことに耳を貸してくれ
俺には世界がそんなに悪いって思えない
人間が世界にしていることが悪いんだ
俺が言いたいのは、世界にもう少しチャンスを与えれば、
みんなその素晴らしさがわかるってことさ
愛だよ愛。それが秘訣なんだよ
もしもっとみんながお互いを愛しあったら
沢山の問題なんて解決される
そして世界はとびきり面白くなる
だからこのおいぼれは言い続けるのさ
(『udiscovermusic.jp』の翻訳より)
その『What A Wonderful World』は、こちらからどうぞ。
https://youtu.be/2nGKqH26xlg
ただ楽天的に「世界はなんて素晴らしいんだ!」と言っているだけなら、その言葉に深みを感じませんが、あらゆる問題を見通した上で、世界を素晴らしくするのは自分たちだ、だからお互いに愛しあおうよ!と言っているのだとしたら、説得力があります。ルイ・アームストロングのダミ声には、いろいろな苦難や悲しみと慈愛が含まれているような気がします。
さて、私の個展が東京・京橋のギャラリー檜で始まりました。
http://hinoki.main.jp/img2022-4/exhibition.html
また、私のホームページから、今回の作品を掲載したパンフレットをご覧になれます。
http://ishimura.html.xdomain.jp/news.html
搬入前の制作を終えた段階で、すでにいくつかの反省と、これから向かうべき場所はどこだろうか、という思いが頭をよぎりました。そんな時に、ふと思い浮かんだ言葉がありました。それは2018年から19年にかけて埼玉県立近代美術館で開催された『辰野登恵子 オン・ペーパーズ A Retrospective 1969-2012』という展覧会のカタログに書かれた辰野 登恵子(たつの とえこ、1950 - 2014)さんの言葉です。
https://bijutsutecho.com/exhibitions/2828
「色の持つイリュージョンだけを頼りに、とにかく筆を重ねました。溶き油で溶いたおつゆ状の絵具を何度も重ねて、ナイフでごっそり削って、はがしながらテクスチュアを出して、そうやって1年くらいかけて描いた作品です。実在感を持った絵画、ただそこにあるだけで他になんの意味も持たない、しかも特異性を持った、そんな絵画空間を作り出したかった。そのためには、とにかく描くしかなかったのです。」
この言葉のうちの「実在感を持った絵画、ただそこにあるだけで他になんの意味も持たない、しかも特異性を持った、そんな絵画空間」というところが素晴らしいと思います。この言葉にあてはまる絵画を描いたのは、辰野さんが30歳の頃のことだと思います。私はその倍の歳になって、やっとこの言葉と辰野さんの絵画の重要性についてわかってきました。辰野さんはもう8年ほど前に亡くなられて、私はまったく面識がないのですが、本当に尊敬できる画家だと思います。
辰野登恵子さんは、一般的にはミニマリズムの絵画からそのキャリアを始めて、やがてポスト・モダニズムの絵画へと移行した画家だと思われています。私も1980年代の彼女の作品の変容を見て、そういうふうに理解しました。そして辰野さんの作品から、少しずつ距離を置くようになったのです。悪い言い方をすれば、辰野登恵子という画家はミニマル・アートから離反して、ポスト・モダニズムの時流に乗った画家だと思われているのかもしれません。あるいは、その辺りの批評には触れず、ただ辰野さんの表現力豊かな作品を肯定的に扱う、というだけの評論が多いように思います。
しかし時代を経て、そんな辰野さんの作品の変遷に対して、それまでとは異なる光を当てた評論を見つけました。美術批評家の沢山遼さんが書いた『辰野登恵子の絵画はいかに展開したか?』という評論です。
https://bijutsutecho.com/magazine/review/18934
その文章で沢山さんは、辰野さんの作品が誤解されてきたのではないか、という視点に立って次のように書いています。
辰野が80年代に絵画面の手前で観者に向かって突出するような彫塑的ヴォリュームを描いたとき、それは抽象表現主義に代表されるモダニズム絵画の反イリュージョニスムの伝統からの離反であると見なされた。しかし、そのような評価は果たして正当なのだろうか。辰野が抽象表現主義の絵画に見たのは、イリュージョニスムの単純な抑圧ではなくむしろその特殊化であり、そこに、イリュージョニスムの抑止とその特殊化の二重の機制がはらまれているということである。辰野のキャンバスは、版による思考を通じて、その二重の機制にこそ応答しようとするものだった。
(『辰野登恵子の絵画はいかに展開したか?』沢山遼)
ここだけ読むと、ちょっと難しいかもしれません。しかし、沢山さんが辰野さんのことを「抽象表現主義に代表されるモダニズム絵画の反イリュージョニスムの伝統からの離反であると見なされた」という見方に対して、異議を唱えていることは理解していただけると思います。
沢山さんによると、辰野さんという画家は、あらかじめ「先験的に組織された基底面」を意識して絵を描いたのだということです。これも難しいですね。しかし辰野さんの初期の方眼紙や罫紙の線や座標軸を活用した作品を見ると、沢山さんの言いたいことが感覚的に理解できます。そして私も、模様のある布や紙に絵を描いていたことがあるので、「先験的に組織された基底面」というふうに解説していただくと、ああ、そういうことだったのか、と合点できるところがあるのです。
皆さんにも、次のような経験があるのではないでしょうか?例えば学生時代にノートの片隅に落書きをすることが、白紙の紙に絵を描くことよりも楽しかった、というようなことです。辰野さんという画家は、自分の感性に対してきわめて意識的に、そして知的に反応できる人だったので、そういう時の不思議な感覚を見逃さなかったのでしょう。
私も、この『オン・ペーパーズ』の会場で、まとめて方眼紙や罫紙の下地を活かした版画作品を見た時に、これはいわゆる「ミニマル・アート」とは違うな、と感じました。こういう観点から辰野登恵子という画家を見直したい方は、先の沢山さんの評論をよく読んでみてください。こんな優れた評論を、ネット上で無料で読めるなんて、実に素晴らしいです。
さて、こんなふうに辰野登恵子という画家を「抽象表現主義に代表されるモダニズム絵画の反イリュージョニスムの伝統からの離反」した画家である、という思い込みから解放されて見直してみると、ますます先ほどの「実在感を持った絵画、ただそこにあるだけで他になんの意味も持たない、しかも特異性を持った、そんな絵画空間」を描きたかった、という彼女の言葉が、いかに固有性の高いものであったのか、がよくわかります。
そして私自身も、例えば辰野さんのように縦のストロークだけで一年間かけてタブローを仕上げてみたい、という誘惑に駆られてしまいます。しかし、そんな「ひとまねこざる」のようなことを考えてもうまくいくはずがありません。
辰野さんは別なところで、こんなことを言っています。
数年来、私はまた、極私的な新たな形態の追求をしなければならなかった。私はクリフォード・スティルを尊敬していて、しばらくは彼の絵を念頭に置きながら制作したりしていたが、彼の作品のように、形象と地との関係をきわめてラジカルに表現するわけにはいかなかった。スティルが最高の絵を描いていた時代から30年あまり経過しており、その間に現れた新しいイズムやすぐれた絵画を私はすでに見てしまっており、とりわけなによりも、制作途上様々な表現上のハプニングに出合うからであり、それらが私をして何か新しいものを予感させ、立ち向かわせようとするからである。
(『Art Toay ‘80 絵画の問題展』辰野登恵子インタビューより)
ちなみにクリフォード・スティル(Clyfford Still,1904-1980)の作品は、次のようなものです。
https://www.metmuseum.org/ja/art/collection/search/484682
それにしても、自分の制作についてこんなふうに知的に、冷静に分析できるところがすごいですね。私なら「スティルみたいに描きたかったんだけど、なんかうまくいかなかった・・」で済ましてしまいそうです。でも彼女の言う通りで、私がセザンヌのように、あるいはゴッホのように絵を描きたいと思っても、それはしょせん無理な話です。それは器が違う、とか才能が違う、ということもあるけれど、それ以上にそんなことは意味がなく、ナンセンスだということです。今の私が彼らを見て、どう感じて、どう考えたのか、を表現しなければ意味がないのは、自明のことです。
それでは、私自身が「実在感を持った絵画、ただそこにあるだけで他になんの意味も持たない、しかも特異性を持った、そんな絵画空間」を描くにはどうしたら良いのか、ということですが、実は私は常にこのことを意識して絵を描いているのです。ただ、どうしてもうまくいかないところがあって、それが展覧会であらわになっているのだろう、と思います。
今回も痛感したことですが、私は画面上の色彩とマチエールとの関係を自在に使いこなせていない、ということがあります。しかしこれは私のような未熟者に限らず、例えば辰野さんのような画家でさえ、次のようなことを言っています。
制作途上、偶然的に出てくる思いもよらない色彩やマチエールに、あるときは翻弄され、あるときは自分が納得して支配下に置いたように感じながらとっさに不満へと変わったりする。その連続であったためである。それぞれの段階で私は立ち止まり、うまくいっていないと感じ取ったとき、構図のすべてを変更し直す。少し勇気がいるが、その絵に対する感情は一つであるから恐れたりはしない。時間そのものが、筆の運び、また筆を止め、あとずさりしてしばし見入る。そうした私的でありながら自分が存在しないかのような時間が、作品を醸成していくような気がする。
(『Art Toay ‘80 絵画の問題展』辰野登恵子インタビューより)
あるいは、このインタビューの終わりの方で、彼女はこの時期(1980年ごろ)の作品の色彩について、次のように言っています。
私の絵の場合、コンポーズブルーに近い色彩がほとんどの作品の基調になっている。このきわめて不透明な色を、なぜ使いたいのかよくわからないが、たぶんこの色は、私の心理にピッタリなのだろうと思っている。このように絵は、これらの相互関係が働き合って構築されるもので、生きた結果として、提示されるのである。
(『Art Toay ‘80 絵画の問題展』辰野登恵子インタビューより)
確かに辰野さんの絵には、コンポーズブルーがよく似合います。ちょっと酸っぱいような、あるいはちょっと冷めたような色合いです。美しくて冷たくて、一歩引いたような客観性も併せ持つような感じでしょうか。私ならば、もう少し青の鮮やかさが欲しい、と感じてしまうかもしれません。実際に私は、セルリアンブルーからコバルトブルーをよく使います。でも最近は、得意な色ばかり使っていてはいけないような気がして、もう少し暗めにしたり、彩度を落としたりしています。私のようなポンコツの絵だと、うっかり鮮やかな色を使うと、色彩の美しさが絵の構造を軽く凌駕してしまって、何がなんだかわからなくなってしまうのです。絵の構造をしっかりと見せたい辰野さんの絵の場合だと、コンポーズブルーがぴったりです。油絵具の透明感の過度の美しさも、彼女の絵には必要ないでしょう。
しかし、このように絵画を知り尽くしたような若くて聡明な画家であった当時の辰野さんでさえ、「偶然的に出てくる思いもよらない色彩やマチエールに、あるときは翻弄され」たというのですから、私ごときが行き当たりばったりの制作に陥るのは致し方ありません。
それでも私は何となく、色彩とマチエールの関係をもっと意識して描かなくては、という気持ちは持っています。そして、今の自分には使えていない色彩とマチエールを総動員することで、私の目指す「触覚性絵画」というものを、もう少しはっきりと表現できるのではないか、という気がしています。
最後に辰野さん以外の作家で、ふと思いついた画家について一言だけ触れておきます。
絵画の色彩の問題について考える、ということで思い出されるのが、やはりミニマル・アートの画家として出発した山田 正亮(やまだ まさあき、1929 - 2010)の晩年に、『Color』というシリーズがありました。
https://www.art-it.asia/u/admin_ed_pics/fnqclmyzktbhmgank9vr
このページの下の方の作品です。晩年になって、色彩について突き詰めて考えておきたい、という気持ちはわかるのですが、これまでの山田正亮の取り組んできた困難な課題からすれば、このような作品を描くことは難しいことではなかったでしょう。おそらく、山田が思った通りの絵のシリーズを一通り描き切り、彼は筆を置いたのではないか、と思います。完成度も高いし、とくに文句を言う筋合いではないけれど、1980年ごろの山田のスリリングな絵画の展開を思うと、やっぱり作品としてもの足りません。論理的に整理して考えることと、生き生きと表現し続けることとは簡単に結びつかず、難しい関係にあるなあ、と思ってしまいます。
それからパンフレットにも書きましたが、ニコラ・ド・スタール( Nicolas de Staël、1914 - 1955)のマチエールの変化について、やはり興味がつきません。正直に言って、晩年の作品は失敗作が多いと思います。それでも、彼がどうして厚塗りのマチエールを捨てて、薄塗りの絵画を果敢に描いたのか、うまく言葉にできませんが、気持ちはわかるような気がします。ネット上の画像で見ると、どちらもいいなあ、などと呑気に思ってしまいますが、ド・スタールの若い頃の厚塗りの絵画を見ると、その美しさに言葉を失います。彼の本物の作品を見る機会は限られていますが、これからも機会を見つけては彼の実物の作品を鑑賞して、その制作活動全体について考えを深めていきたいと思います。
今回は埒もないことを書きました。でも、次の展覧会では色彩もマチエールも、さらに表現の幅を広げ、できればそれを明確な言葉にして書き留めておきたい、と思っています。
とはいえ、今回の展覧会も渾身の力を込めて描きました。作品を見ていただければ、そのことだけはわかっていただけると思います。コロナウイルスへの感染対策に留意して、お出かけいただければ幸いです。
もしもその機会はないけれど、パンフレットだけでも・・・という方は、私のホームページの通信欄からご連絡ください。喜んで郵送いたします。
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