平らな深み、緩やかな時間

109.『マルテの手記』『新実存主義』『心的現象論序説』から考えたこと

この文章を書いている段階で、とりあえず新型コロナウイルスの緊急事態宣言が、首都圏や大阪などの一部を除いて解除されました。しかし早々と日常に戻しつつある諸外国では、再度の感染拡大も報告されており、予断を許さない状況が続いています。何よりも、解除されていない地域がこれからどうなるのか、まじめに考えるほど心が重たくなります。

こういうときはどうしても気持ちが内向きになり、ふだんよりも「死」が身近に感じられます。実際に感染して亡くなられた方がたくさんいらっしゃるわけですから無理もない話ですが、この重たい気分のなかではるか昔に読んだ本のことを思い出しました。詩人のリルケ(Rainer Maria Rilke、1875 - 1926)が書いた『マルテの手記』(1910)です。それはこんな書き出しで始まります。

人々は生きるためにこの都会へ集まって来るらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。僕はいま外を歩いて来た。僕の目についたのは不思議に病院ばかりだった。僕は一人の男がよろめいて、ぶっ倒れたのを見た。たちまち大勢が人垣をつくったので、それから彼がどうしたのかわからなかった。
(『マルテの手記』リルケ著 大山定一訳)

今日、このほかに僕が見たのは、置きっぱなしの乳母車に乗せてあった子供である。よく太って、薔薇色の皮膚をして、額にできたおできが目だっていた。おできはもう直っているらしく、ちっとも痛まぬような様子だった。子供は眠っていた。大きく口をあけて、ヨードホルムやいためた馬鈴薯や精神的な不安などの匂いを平気で呼吸していた。僕は感心してじっと見ていた。―生きることが大切だ。とにかく、生きることが何より大切だ。
(『マルテの手記』リルケ著 大山定一訳)

この本を書いたころ、リルケはパリの下宿で一人暮らしをしていたと言います。主人公のマルテは架空の詩人という体裁ですが、リルケの内面を反映していたことは確かでしょう。私はこの重苦しい文章が苦手で、学生の頃、この本を読み終えるのにずいぶんと時間がかかりました。その後の人生においても部分的に読み直すだけで、いまでは小説の全体像がどうなっていたのか、まったく思い出せなくなっています。何がそれほどに重苦しいのかと言えば、例えば先ほど引用した冒頭のページから2、3枚めくると、次のような都会の「死」のイメージが語られています。

病院ではみんな喜んで、医者や看護婦たちに感謝しながら死んでゆく。病院にはその施設に対応した一様な死があるだけである。むしろ、それが患者には気安いのだ。しかし自分の家で死ぬとなれば、誰でも立派な家柄にふさわしい丁重な死に方を選ばねばならぬ。病気の床につくと同時に、いわばもう特等級の豪奢な埋葬式が始まるのだ。
(『マルテの手記』リルケ著 大山定一訳)

病院での「一様な死」が都会生活における「気安い」死だとすると、マルテの故郷の「死」はそうではなかった、と書かれています。例えば次のような「死」があります。

今はもう誰一人知るべもない故郷のことを思い出すと、僕は昔はそうでなかったと思うのだ。昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた。(いや、ほのかに感じていただけかも知れぬ。)子供には小さな子供の死、大人には大きな大人の死。婦人たちはお腹の中にそれを持っていたし、男たちは隆起した胸の中にそれを入れていた。とにかく「死」をみんなが持っていたのだ。それが彼らに不思議な威厳と静かな誇りを与えていた。
僕の祖父、老侍従ブリッゲも、一目で、死を宿している人間に違いなかった。しかも、その「死」はなんという死であったろう。彼の「死」は二か月も叫び続け、その大きな声は屋敷の外まで聞こえたのである。
(『マルテの手記』リルケ著 大山定一訳)

このマルテの祖父の「死」は大きな屋敷の中はおろか、村全体に宿っていたのだ、とリルケは書いています。そしてこの後、古い文庫本で6ページにもわたって老侍従の「死」について語られていくのです。こんなふうに昔は「死」が日ごろから人々に寄り添っていました。そのために、みんながある程度は「死」を覚悟していたのではないか、と思います。現代の私たちも事故や病気、災害など思いがけないことで死と出会います。しかし私たちは、昔の人たちのようには「死」を覚悟していないような気がします。そして近親者に限らず、親しい友人や、場合によってはともに成長してきた犬や猫など、身近なものを喪失したときに、私たちは無防備なままで悲しみにさらされてしまうのです。そのときに、それをどう癒したらよいのか、あるいは悲しんでいる人にどう寄り添ったらよいのか、わからないままに絶望してしまうのです。
このような心の問題を積み残したまま、利便性や効率性を追究してきたのが現代社会であり、現在の哲学であるのですが、それに対して前回紹介したマルクス・ガブリエル(Markus Gabriel, 1980 - )は、「新実存主義」という思想の枠組みを通して異議を唱えているのではないか、と私は期待しています。しかし、マルクス・ガブリエルの話に移る前に、『マルテの手記』の中からもう少し、私の好きな美しい話や奇妙な場面を紹介しておきましょう。
その美しい話というのは、『貴婦人と一角獣』と呼ばれるつづれ織りについての話です。

ここにつづれ織りがある。アペローネ、有名な壁掛けのゴブランだ。僕はおまえがここにいるのだと想像しよう。6枚のゴブランだ。さあ、これからいっしょに一つ一つゆっくり見てゆこう。初めは少しさがって、一度に全体を見るがよい。しんと非常に静かな感じだね。ほとんど変化らしいなんの変化もない。目立たぬ紅色の地は、いっぱいに草花が咲き乱れて、小さな動物が思い思いの格好でちらばっている。そこからほのかに楕円形の藍色の島が浮かび出ているのは、6枚ともみんな同じだ。ただ向こうの端の、最後の一枚だけ、その島が少し軽くなったように、ほんのちょっと浮いている。島の中には決まったように一人の女が見える。着衣は変わっているが、みんな同じ女に違いない。時に、侍女らしい幾分小柄な女の姿が、かたわらに添えられていたりする。そして必ず島の上には、そこに描かれた行為にはめこまれて、紋章をささえた動物が大きく織り出されているのだ。左側にはライオン、右側には明るい色合いの一角獣。二匹の動物は同じ旗をささえて、それが彼らの頭上高くなびき、銀色の上ろうとする弦月を三つ見せている。紅い地合いの中から旗は藍色に浮かんでみえる。―もうよく見てしまったね。では最初からもう一度ゆっくり見てゆくとしよう。
(『マルテの手記』リルケ著 大山定一訳)

この後、リルケは6枚のつづれ織りについて、それぞれ丁寧に描写していきます。もしもあなたが芸術評論を志していて、芸術作品をどう叙述したらよいのか学びたいのだとしたら、これはよい見本だと思います。何しろ、世界最高峰の詩人が具体的に作品について語っているのですから・・・。
ところで、この『貴婦人と一角獣』というつづれ織りについて、基本的なことをおさえておきましょう。この一連の作品は15世紀末に織られたものだと推察されていますが、はっきりしたことはわかっていません。その忘れ去られていた織物が、フランスの古いお城にうもれていたところ、それもかなり傷んだ状態で1800年代に発見されたのです。その美しさに魅せられたジョルジュ・サンド(George Sand、1804 – 1876)が、小説の中でこのつづれ織りにふれたことで、世界的に有名になったということです。ジョルジュ・サンドは才能ある文筆家ですが、ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin、1809 - 1849)の恋人としても知られた人です。そのサンドによって有名になったつづれ織りは一度だけ、7年前に日本に来ています。私も実物を見る機会に恵まれましたが、こういう調度品というのは、やはりもともとあった宮殿のようなところで見たいものだと思いました。
余談になりますが、私の好きなイギリスのギタリスト、ジョン・レンボーン(John Renbourn、1944 - 2015)がこのつづれ織りをモチーフとした『The Lady And The Unicorn』というレコードを作っています。私が持っているアナログ盤のレコードには、レンボーンが探究したヨーロッパの古い舞曲や民謡が入っていて、全体としてクラシックな感じのする名盤です。その中のタイトル曲『The Lady And The Unicorn』が、ジョン・レンボーンの演奏する(演奏しているのは別人?)映像とつづれ織りや古城の画像とともに動画で視聴できます。このつづれ織りを見たことがない方、ジョン・レンボーンを聴いたことがない方はぜひ次の動画を見てください。
https://www.bing.com/videos/search?q=lady+and+unicorn&docid=608010911773099965&mid=DFA74F8D2B5F001C3EDCDFA74F8D2B5F001C3EDC&view=detail&FORM=VIRE
※うまくユーチューブの映像にリンクできない場合は「The Lady And The Unicorn/John Renbourn」で検索すると見つかると思います。

さて、もうひとつだけ私の記憶に残っている『マルテの手記』の不思議な場面を記述しておきます。これは幼い日のマルテがテーブルでお絵かきをしていたところ、赤い色鉛筆をテーブルの下に落としてしまい、それを拾いに行く、という何気ないエピソードの記述です。その場面をリルケはこんなふうに書いています。

不器用な子供の僕には、椅子から降りるだけでなかなか手間取った。自分の足が変に長すぎるみたいな感じで、その足を引っぱり出すのにも骨が折れた。長く足を折り曲げていたものだから、体は鈍くしびれてしまい、どこまでが僕の体で、どこまでが椅子なのか、判断がつきかねるような状態だった。僕はごたごたした何かよくわからない気持ちのまま、下に降りた。机の下には壁ぎわまで毛皮が敷いてあった。そこで、また別な困難が生じてきた。今まで机の上のランプの明るさに慣れ、しかも白い紙の上の色彩の興奮から十分さめきらない僕の瞳孔は、急に机の下のものを見ることができないのだ。真っ暗なものがいっぱい詰っていて、それにぶっつかりはしないかと不安な気がした。僕は自分の勘をたよりに、左手をついてかがむと、右手を延ばして冷たい毛の長い敷物を探った。毛皮はなんとなく親密な手ざわりを与えてくれたが、鉛筆は見つからなかった。だいぶ時間がたったような気がした。僕はマドモアゼルをよんで、ランプを持っていてもらおうかと思った。しかし、そのころから机の下の暗闇が、無意識のうちに注意を集めた僕の目にだんだん透明になりだした。壁の末端がやや明るみをおびた飾り縁に続いているのも見えてきた。机の足のある見当もほぼわかりだした。僕の指を拡げた手もよく見えた。僕の手が、まるで一匹の魚か何かのように、一人寂しげに毛皮の上を泳ぎ、しきりにそこらを捜していた。僕は一種好奇心のような気持ちで、それをながめていたのを覚えている。僕の手は今まで僕自身がちっとも知らなかった動き方で、勝手に、そこらじゅうをかきまわしていた。僕はやがて僕の手が、僕の教えぬことをやり出しそうな気がしてならなかった。僕は僕の手の動くとおりに眼で追っかけた。僕は特別な興味を持ち始めた。もうどんな不思議なことが起こっても驚かないつもりだった。しかも、突然壁の中から別なもう一つの手が出て来ようとは、僕は夢にも思わなかった。それは僕の見たこともない、大きな、ひどく痩せ細った手だった。その誰の手かわからぬ手は、同じような格好で向こう側から捜してきた。指を拡げた二本の手が、めくら滅法に両方から進んで行った。それでもまだ僕の好奇心はそのまましばらく続いていた。しかし、急にぷつりと、好奇心が消えてしまった。いきなり僕は恐怖だけでいっぱいになった。二本の手の一つは疑いもなく僕の手で、それが取り返しのつかぬ何か奇態な事態の中に巻きこまれてしまったのを、僕は感じた。僕は僕としての権威で、僕の手を押しとどめ、急に平べったくなったような手をそろそろと引き戻した。僕はその間も、相手のまだ動きやめぬ手からじっと目を離さなかった。僕はその手がいつまでも動いているだろうと思った。どうしてまた元の椅子に帰って来たか、わからなかった。僕は深く椅子に体を落とし、歯を固く食いしばった。顔からはさっと血が引いてしまって、僕は自分で目の色まで白茶けてしまったような気がした。マドモアゼル―と僕は呼ぼうとしたが、唇が動かなかった。
(『マルテの手記』リルケ著 大山定一訳 ※この訳の初版は昭和28年です。)

この不思議な文章を、みなさんはどう読まれたのでしょうか。暗闇の中で、不意にものの距離感がわからなくなってしまう、ということはありえますし、場合によっては自分の手や足の先が自分の体の一部だという実感がなくなってしまう、ということもあるのかもしれません。しかし、そこに他の手が現れてくる、という経験は、少なくとも私にはありません。それにしても、このような幼い日の幻視をはっきりと覚えている、という記述は小説の中のこととはいえ、とても奇妙な感じがします。人間の心の奥の深さ、その暗い広がりについて、あらためて認識させられた気がします。
『マルテの手記』は、このエピソードのように散文詩として独立して読めるような文章が連なっています。ここに込められた濃密な感情は、自然科学的な知見では、なかなか解き明かせないものだと思います。つまり、この小説がリルケの脳の中のどのような物質のどのような作用によって生み出されたのか、そしてそれを読んだ私たちの脳の中ではどのような反応が起こっているのか、ということをいくら考えてもわからないのではないか、と思うのです。
そこで注目したいのが、マルクス・ガブリエルの「新実存主義」だ、ということになります。前回の『なぜ世界は存在しないのか』でも見た通り、マルクス・ガブリエルは想像上の生き物である一角獣も「メルヒェンの意味の場」の中では存在するのだ、と考えています。今回は岩波新書から出ている『新実存主義』という本を見てみましょう。この本はマルクス・ガブリエルの「新実存主義」に対し、4人の学者が意見を寄せ、その問いに対してあらためてマルクス・ガブリエルが回答する、という形式を取っています。『なぜ世界は存在しないのか』が一般向けの啓蒙書だとするなら、こちらは学者同士の応酬の記録になりますので、ちょっと難解です。できれば、『なぜ世界は存在しないのか』を読んでから、こちらを読むことをおすすめします。そしてここでは、「新実存主義」が人間の心の問題についてどう考えているのか、が話題の焦点となっています。マルクス・ガブリエルが、自然科学的な考え方では究明できない人間の心の問題についてどう語っているのか、彼の言葉を聞いてみましょう。

しかし、ある意味で、本書で定式化したような新実存主義は、ほかの場面(個別の科学どうしが交差する場面や、科学的知識が獲得される最前線)で生じる問題を明確にする枠組みを提供するだけというわけでもない。というのも、新実存主義は、精神にかんするかぎり、徹底して非自然主義と非還元論の立場を貫くからだ。この立場によれば、人間の多様なあり方に歯止めをかけることは原理的に不可能である。実際の人間の心のあり方はさまざまであり、心脳問題、心身問題、心と物質の問題に決着をつける魔法のような解決策となる、特別な語彙を特定することもできない。単一の問題としてそうした問題があるわけではないのだ。
最後に「実存主義」に簡単に触れて、マクリュールの序論について私が考えたことを締めくくろう。人間の主観性にかんする、あるいはサルトル風にいえば「人間的現実」にかんする実存主義の思想には注目すべきものがあり、新実存主義が取り入れている要素も多い。本書で素描した見解を構成する材料としては、次の二点があげられる。

1 人間は本質なき存在であるという主張
2 人間とは、自己理解に照らしてみずからのあり方を変えることで、自己を決定するものであるという思想

哲学的思考における来たるべきポスト自然主義の時代-その時代の選択肢のひとつとして、新実存主義を育んでいこうという本書の私の論考は、こうした実存主義のスローガンが心の哲学にとって何をもたらすかを明らかにすることに狙いがあった。心の哲学の中心問題を立て直そうという目論見だ。哲学者のあいだにいまもはびこる自然主義的世界観の行き詰まりや病を思えば、それは緊急の課題と言わねばならない。
とはいえ、この企ての趣旨は、穏健な自然主義とも完全に両立すると思う。自然主義とは、現代的な生を生きようとする姿勢なのだから。無窮の宇宙についてわれわれが科学的知識を積み重ねてきたことも、啓蒙主義の時代から200年にわたり目にしてきた科学的知識の輝かしい進歩にもかかわらず、この宇宙にかんしてはいまだ無知同然であることも、ともに正面から受け入れて生きようという姿勢である。
(『新実存主義』「第5章 四人に答える」マルクス・ガブリエル他著 廣瀬覚訳)

私の拙い理解では「実存主義」とは、ものごとには本質がある、という「本質主義」に対して、私たちが現実に見ているもの、すなわち現実的な存在を注視しよう、という思想です。「本質主義」の考え方では、どうしても目の前の出来事を些末なことだと見なして、現実離れした抽象的な考え方や理想を追い求める思想に偏りがちです。それに対して、目の前で起こっている出来事に注目することで、現実について語ろうとしたのが「実存主義」です。この「実存主義」的な考え方によって何が変わったのかと言えば、例えばあなたが人生の岐路に立った時、本質的には、あるいは理想的には自分はどうあるべきか、という考え方に縛られず、そのときの状況に対して自分はどう考えるのか、そしてどう決定するのか、というふうに現実の自分を見据えた「自己決定」をすることができるようになったのです。
この「実存主義」から引き継いだ考え方を、マルクス・ガブリエルはとくに人間の心について考えるときに参照したのでしょう。本質主義の考え方は、近代になってからは自然主義の科学的知識を絶対的な正解として私たちの思考を縛るようになりました。しかし、先ほどから書いてきたように、人間の心の問題は科学的な知見だけでは正解が得られません。ですから「心の哲学」においては、自然主義の呪縛を解くことが「緊急の課題」だ、マルクス・ガブリエルは言うのです。しかしそれは、単純な自然科学の否定ではなくて、「穏健な自然主義とも完全に両立する」というふうにマルクス・ガブリエルは言っているのです。自然科学で解明できることは自然科学の「意味の場」のなかに存在し、人間の心の問題はそれとは別な「意味の場」のなかに存在するのです。それが「存在」するという意味だと定義し、それらを包み込む場を「世界」として規定したのが「新実存主義」なのです。

それにしても、例えば現在のコロナウイルスに関する重苦しさを、私たちはいったいどのように考えればよいのでしょうか。一般的にはこの重苦しさを「ストレス」という言葉で表現し、その解消にはカウンセリングなどのケアが必要だと言われますが、この状況を個人の「ストレス」が集まったもの、という解釈だけでは足りないような気がします。マルクス・ガブリエルは、いまのこの状況を、どう見ているのでしょうか?彼の『なぜ世界は存在しないのか』に続く著作は、さらに人間の心や脳について考察を深めたもののようですから、私もこれから勉強してみようと思います。そして何か得るところがあれば、報告したいと思います。

ところで、この「心の哲学」という考え方に触れて、私はまた、昔読んだ本のことを思い出しました。
吉本隆明(1924 - 2012)の書いた『心的現象論序説』(1971)という本です。吉本隆明は詩人であり批評家、思想家でもありましたが、彼の書いた本の中でもこの『心的現象論序説』は特異な本だと思います。
文学を志す人であれば、おそらく誰でも、人間の心理とか心の機微について興味を持つだろうと思います。しかし、心の全体像をつかまえてやろう、という無謀なことを考える人はまれだと思います。例えば、人間はどうして精神を病むのか、とか人間はどのようにして時間を感じるのか、とか人間はどうして夢を見るのか、とかいうことについて、それぞれの場面では誰でも疑問に思うことでしょう。そして精神分析の本を読んでみたり、時間に関する哲学書を読んでみたり、夢の分析を調べてみたり、ということをするのです。けれども、それらの知見を総合して、はたして人間の心の全体像が描けるものなのか、などということに対しては、大方の人は否定的な見解を持つのだろうと思います。
しかし、吉本隆明はそう考えずに、実際にやってしまったのです。学生の頃にこの本を読んだ私は、難解な内容についていけなかったものの、吉本の壮大な試みに立ち合ってみたくて、何もわからないままに読み続けました。もちろん、吉本自身もこの『心的現象論序説』がどれほど大胆な試みであったのかを知っています。彼はその最初の章で、「Ⅰ心的世界の叙述 1心的現象は自体としてあつかいうるか」という設問を立ててこう書いています。

心的なおおくの現象が、それ自体としてあつかいうるという根拠は、ひとつには、どんな要因を想定できるとしても、心的現象がかならず個体をおとずれる点にもっとも簡単にもとめられる。いいかえれば、これこれの外界の出来ごとの結果であったとしても、個体はなお<じぶんがいまこう心でおもっていることをたれも知らないし、また、たれも理解することはできない>という心的状態になることができる。このことは、いずれにしても個体の心的な過程が、じぶんじしんの心的な過程や生理過程とじかに関係していることがありうるというかんがえ方を成立させるようにおもわれるからである。そうだとすればこのような心的状態は、すくなくとも瞬間的にはひとつの独立した<世界>としてあつかうことを強いられるといってよい。もうひとつは個体のうちに<異常>または<病的>とかんがえられる心的な現象があらわれることを、外からみて疑いえない点にある。ある個体がとうていかんがえおよばないような常軌をはずれた行動をとったとき、他者はかれを<異常>であるとか<病的>であるとか判断する。しかし、なぜそういう行動をとるようになったのか、また、そういう行動をとったときどんな心的状態にあるのかということは他者にはわからない。ただ、その行動に一定の類型があることが、経験上わかっており、累積された知識によってその個体を一定の<異常>または<病的>なタイプに属するものときめるだけである。かれがどんな心的状態にあるかは、他者から完全にはうかがいうるわけではない。その心的状態はどんなに豊穣な世界だとかんがえても、どんなに荒廃した世界とかんがえても、とがめられる筋あいはない。その世界はかれ自身のみが知っており、しかもそのかれはかれ自身の世界を知りえない状態にある。平常にかえったのちに記憶によってたどられるものは、厳密にいえばそのときのかれの心的状態ではない。ただその心的な残照について語れるだけである。そうだとすれば、個体のこのような世界は、その個体にとってのみ有意味な部分を包括しているとみなすことは、けっして不当ではない。このとき、個体は、外界のすべての現象にたいしてそうであるかどうかはしばらくおくとして、外界を収斂する場所のひとつであるように機能している。
(『心的現象論序説』「Ⅰ心的世界の叙述 1心的現象は自体としてあつかいうるか」吉本隆明著)

そもそも人間の心を扱うということが、「観念論か唯物論か」という二元的な考え方を超えなくてはならないたいへんな問題だ、ということを吉本は上の文章の前に書いています。誰も扱ったことのないやり方で「心」の問題を考えるために、まず「心的現象を自体としてあつかいうるか」という設問を立てて、言葉を尽くさなければならなかったのです。そのことが、この課題の大きさを物語っています。
私は吉本の成し遂げた仕事がどれほどの水準のもので、学問的にどれほど妥当なものであるのかどうか、判断できる立場にありません。ただ、彼がこの本の「はしがき」に書いていることを読んだだけで、その思想家としての姿勢に圧倒されてしまいます。それは彼がこの『心的現象論序説』の前に書いた、『言語にとって美とはなにか』という著作に対して、言語学者、外国文学者、外国哲学者たちが「外国ではもっとすすんだ言語の考察がすでになされている」と批判したことに対して応酬しながら書いているのです。

わたしは、かれらが文献よみと解釈と知的密輸の専門家であることをしっているが、みずから創りあげるべき能力も水準もないこともよくしっている。そこでわたしのようなものが、逆説的な世界に歩み入らなければならなくなる。
こんどの試みも、心理学者、哲学者、精神医学者等々のあいだからおなじ評言がおこるような予感がする。そしてわたしのいいたいことはいつもおなじである。<きみたち自身がそれをなしうるだけの水準と思想に達しないかぎり、専門外の一文学者がきみたちの領域に侵入する不快さを耐えるべきである。ようするにきみたちにはわたしのもっているなにかが欠けているのだ>と。そうはいっても、わたしはねばる耐久力と、文学から獲得した思想的な原則いがいに、なにももっているわけではない。
(『心的現象論序説』「はしがき」吉本隆明著)

この痛烈な皮肉がわかりますか?「知的密輸の専門家」というのは、外国の新しい思想を原語でいち早く読み、それを自分の思想のように日本語で紹介するだけで学者として名を成してしまう、そういう人たちのことを言っているのです。私のように語学の出来ないもの、専門の文献を読んでも中身が理解できないものからすると、それだけでも立派なことだと思いますが、それではいつまでたっても日本から優れた思想家は出てきません。たぶん、明治以来いまだにそういう状態は続いているのだと思います。もしかしたらインターネットの普及と自動翻訳機の発達で「知的密輸」の価値が下がる、ということはこれからありえるのかもしれません。しかし、やはりそれよりは創造的な思想を「みずから創りあげる」若い学者が林立することで、現状を変えてほしいものです。そんなことを書きながら、外国の学者であるマルクス・ガブリエルの著書をありがたがっていてはいけないのかもしれませんが、外国人だからダメというのも逆に問題でしょう。「新実存主義」からさかのぼって、吉本隆明の成し遂げたこと、あるいはそれまでの精神分析や哲学の仕事を読み直して、その意味を考えてみることも有意義なことだと思います。私はもうすこし、「人間の心」の問題について追いかけてみたいと思います。
それにしても、マルクス・ガブリエルは、この本のことを知っているのでしょうか?吉本隆明という一人の文学者が、このように「人間の心」にせまっていたことを彼が知ったら、どういう感想を持つのか、聞いてみたい気がします。

最後に、たまたまテレビのニュースを見ていたら、ドイツ在住の文学者、多和田 葉子(1960 - )のインタビューが流れてきました。その言葉が興味深かったので、ご紹介しておきます。
まず、いまの自粛状態ですが、ドイツではこの外出できない状態が「自粛」ではなくて、はっきりとしたルールにのっとって履行されているので、かえって市民は重苦しい気持ちにならずに室内にこもっている、というようなことを言っていました。だから多和田葉子自身も、こういう機会だからたくさん本を読もう、という気持ちで読書にいそしんでいるとのことでした。
ドイツ流が良いのか、日本流が良いのか、簡単には言えないと思いますが、彼女が最後に言っていたことが印象的でした。それは「こういう時だからこそ、人間には良質のフィクションが必要なのだ」ということでした。フィクションは「作りごと」という意味ではあるけれど、フェイク、つまり「嘘」ではありません。そして人間の心は、この危機的な状況の時こそ、「良質のフィクション」を求めるものなのだ、というのが彼女の感想でした。
私は、「良質のフィクション」とは、まさしく『マルテの手記』のような本のことではないか、と思います。もしかしたら、リルケが書いたように昔の人たちは、一人一人が心の中にフィクションとしての「死」を持っていたのかもしれません。それが現実の「死」に対して、免疫のような力を持っていたのではないか、と想像します。いま、私たちの心の中には、そのようなフィクションがありません。自然科学的な知見によって、いつのまにか「良質なフィクション」が余計なものとして一掃されてしまったのです。
だからこそ、いま私たちには「心の哲学」が必要であり、文学や芸術が必要なのではないでしょうか。心を癒す文学や芸術は、『マルテの手記』のように一見すると心の癒しとは正反対の小説であったり、ミケランジェロの晩年のピエタのように、不穏な形をした彫刻であったりするのではないか、と私は考えます。心を浄化する芸術は、表面的な慰めや癒しでは済まない何ごとかを内包したものなのだ、と私は考えます。こういうことをもっと深く考えられる哲学や思考が、これから現れることを願っています。
そしてできれば、私の絵画がそういう何ごとかを内包したものであるように、努力を続けていきたいものです。

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