平らな深み、緩やかな時間

333.『マティス展』について② マティスから学ぶこと

はじめに、博物館に関する気になるニュースです。

朝日新聞の次の社説をお読みください。

 

「博物館の苦境 国は当事者意識を持て」(2023年8月12日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S15715353.html

 

このニュースの内容そのものはすでに他社のニュースでも報じられていて、例えば8月8日付の次の記事をご覧ください。

「博物館に寄付…“3億円”突破 『国がなんとかすべき』との声も 著名な寺でもクラウドファンディング続々」

https://news.ntv.co.jp/category/society/58b3730f3f6b45bca75829fdea03bb95

 

なぜ、こんなにも私たちの国は文化を大切にしないのでしょうか?

私たちの関心度が低いから政治は何もしないのか、あるいは、政治が何もしないから私たちの関心度が上がらないのか、どちらが先かわかりませんが、このままでは防衛費を増やす前に文化国家としての私たちの国が滅んでしまいます。あの東京国立博物館の館長が「国宝を守る予算が足りない」と訴えている、というのはどれだけ悲惨なことでしょうか?

本来ならば、私のような立場の人間は、「古いものばかりにお金をかけてないで、新しい芸術をもっと育てなさい!」と拳を突き上げたいところですが、伝統的な芸術品がそもそも危ういのであれば、話になりません。

とりあえず寄付金が集まったということでホッとしますが、これがもしも集まらなかったらどうなっていたのでしょうか?自国の文化遺品を守れない発展途上国の話題をニュースで見聞きすることがありますが、足元で同じことが起こっている、という現実を私たちは受け止めなくてはなりません。



さて、本題に入ります。

8月20日まで開催されている『マティス展』から、私たちがマティス( Henri Matisse, 1869 - 1954)さんに関して学ぶべきことがたくさんあると思うのですが、ここではその一部についてに少しまとめて書いておきたいと思います。

 

まずは、『マティス展』のホームページの「みどころ」の各章を見ておいてください。展覧会をご覧になっていない方、マティスについて基本的なことをご存知ない方は、このページに書かれていること、掲載されている作品ぐらいは予習しておいた方が、話がわかりやすいと思います。

https://matisse2023.exhibit.jp/highlight/

 

また、前々回の『マティス展』についての紹介と、前回のマティスの師匠であるギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826 - 1898)さんについて書いた私のblogを読んでみてください。なるべく重複したことを避けた内容で書きたいと思うので・・・。

 

331.『マティス展』について

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/da795fea0432e5eea4e30528dd172c6b

 

332.『サロメ』平野啓一郎訳と、モロー『出現』について

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/93889ff79ccfacff3dcf206c4fc6a14b

 

それでは始めましょう。

まずは、マティスさんたちがフォーヴィズム(野獣派)と呼ばれるようになったきっかけとなった絵について、見てみましょう。

https://www.artpedia.asia/woman-with-a-hat/

『帽子の女』(1905)という作品です。

このリンクの解説にも書かれていますが、「原色を多用した強烈な色彩の絵画」というのが、この作品に対するお決まりの解説となります。しかし「原色を多用した強烈な色彩」の絵画なら、原色の絵の具をパレットに並べて、混色せずにそれらの絵の具で適当に絵を描けば誰でも描けます。画廊に行けばそういう絵画にいくらでも会いますし、派手な色使いで目立つ方が、作品がよく売れるという事情もあるでしょう。

しかし、そういう絵画とマティスさんの『帽子の女』とは、まったくレベルが違うのです。

それでは、どこが違っているのでしょうか?

それを説明するために、基本的なことからお話ししますので、少し我慢して聞いてください。

皆さんは、この絵のような女性の肖像を描こうと思ったら、どのように描くのでしょうか?たぶん、絵の基礎を学んだ人なら、女性にポーズを取ってもらったら、それをデッサンすることから始めるでしょう。鉛筆か木炭か、あるいはコンテあたりの描画材で、まずは単色で構図や形体を確認すると思います。そしてさらに、形体のボリューム感をつかむために、あなたは光や影による見え方、つまり陰影を描写することでしょう。

ここまでの制作過程を色彩の観点から考えてみましょう。

いうまでもなく、色彩には明度、彩度、色相という基本的な三属性があります。明度(めいど)は色の明るさの度合いのこと、彩度(さいど)は色のあざやかさのこと、色相(しきそう)は色みによって色を識別することです。普通に絵を描けば、あなたがこれらの色の属性について意識していても、いなくても、これらの要素が画面上に表れているのです。

そして絵画を制作するときに、色のすべての属性をはじめから使っていくと混乱してしまいます。そこで構図や形体を手早く確認したい時に、私たちは明度のみを意識して制作できるように、単色の描画材でデッサンを始めるのです。

そこでマティスさんの『帽子の女』を見てみましょう。マティスさんは、そのように形体のボリュームを把握し、それをちゃんと表現する、という基本的なことをやっているのでしょうか?「野獣派」と呼ばれるくらいですから、そんな地道な表現など意識していないように思われるかもしれませんが、それは違います。例えば帽子のひさしが女性の目の上に影を落としているところを見てください。濃い緑色の、色味としては突飛な色ではありますが、ちゃんと明度の低い色で帽子の影を描いています。あるいは女性のあごが首に影を落としているところを見てみましょう。マティスさんはこの影を濃いオレンジ色で描いています。これらの明度の低い色によって表現された影の形から、私たちは帽子やあごの形状が出っ張っていることを感じ取るのです。マティスさんは、デッサンによって把握した形体のボリュームを、ちゃんとこの絵において描いているのです。

そんなふうにして見ていくと、顔の真ん中の鼻の影が緑色で、上唇の少し暗く見えるところが濃い赤で表現されていることに気が付きます。それらは、形体のボリューム、立体感をかなり正確に描写しているのです。マティスさんのこの時期の作品をモノクロの写真で見てみると、意外とデッサンが正確で、形体を細やかに表現していることに気が付きます。これはマティスさんと仲が良かったピエール・ボナール(Pierre Bonnard, 1867 - 1947)さんの絵画にも共通することです。ボナールさんは「色彩の魔術師」と呼ばれるくらい自由に色を使った画家ですが、彼の絵をモノクロの写真で見てみると、驚くほど写実的に見えます。

このことを整理してみると、マティスさんやボナールさんは実物の色にとらわれない自由な色(色相)で描いていますが、形体表現においては正確な明度表現によって的確なボリュームが描けた画家であったことがわかります。

この色相と明度を自由に行き来する技術は、彼ら以降の画家にとっては必須のものだと思うのですが、意外とこれができない人が多いのです。また、同時代において彼らがいかに優れた画家であったのか、他の画家と比較して確かめてみましょう。

例えばドイツの表現主義の画家でフランツ・マルク(Franz Marc, 1880 - 1916)さんという人がいます。マティスさんやボナールさんよりも10歳ぐらい年少の画家ですが、ほぼ同時代の画家です。マルクさんはアカデミックな絵の勉強をしたのち、ゴッホ( Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)さんの絵に触れて、自由な色彩表現に目覚めたのだそうです。のちにマルクさんは、カンディンスキー(Wassily Kandinsky、1866 - 1944)さんたちと「青騎士」というグループを結成して、ドイツ表現主義の中心的な画家となったのです。マルクさんは実直な画家だったのだと思いますが、その色彩表現については、少し文句を言いたくなります。

例えば、次のマルクさんの代表作『青い馬』(1911)を見てください。

https://www.artpedia.asia/franz-marc/

絵の中心の馬は青い色で描かれ、その背景の山は、赤、黄色、紫、青というふうに自由な色彩で表現されています。しかし、一つ一つのものの明度表現に注目してください。どの部分を見ても、その色の明度差だけで表現されていることがわかります。青い馬の明るい部分は、青に白を混ぜた明度の高い色が使われていて、逆に暗い部分には濃い青、もしくは少し黒を混ぜた紺色のような色が使われています。これは色彩表現としては、最も単調な使い方です。マティスさんの『帽子の女』のように、同じ女性の肌の色でも、ところによって緑色やオレンジ色が使われていたのとは、明らかに違っています。

もちろん、マルクさんは意図的にこのような色の使い方をしたのだと思います。「青い馬」は青くなくてはならず、馬の中に他の色味を混ぜてはダメだと判断したのでしょう。しかし、そのためにマルクさんの絵は、一見自由奔放に見えながら、かなり窮屈な作品に見えます。マルクさんは、もともと色彩のセンスが良いとは言えない画家だったので、彼の絵の色は派手で人目を惹きますが、残念ながら美しい絵とは言えません。そこがマティスさんやボナールさん、あるいは同僚(先輩?)のカンディンスキーさんとは異なるところです。

 

ここまでが色彩表現の主に明度と色相に関することです。

さらに色彩表現の彩度の問題についても考えてみましょう。

今回の『マティス展』で『豪奢、静寂、逸楽』(1904)という作品があります。この作品については以前にも取り上げましたが、より詳しく見ていきましょう。

この絵の解説(ホームページ)には、次のように書いてありました。

 

ポール・シニャックの招きでひと夏をサントロペで過ごしたあとに、その影響下で新印象主義の原理を援用して光に満ちた理想郷ともいうべき風景を描いた作品。彼はこの直後に、筆触を荒々しく変化させ「フォーヴィスム(野獣派)」と呼ばれる様式に進むことになります。

(『マティス展』ホームページより)

 

ここではポール・シニャック(Paul Victor Jules Signac, 1863 - 1935)さんという画家が出てきました。シニャックさんはジョルジュ・スーラ(Georges Seurat , 1859 - 1891)さんと共に「新印象主義」の代表的な画家だと言われた人です。上の文章では「新印象主義の原理を援用」と書いてありますが、これはどういうことでしょうか?

新印象主義(neo-impressionism)は、「直観的だった印象派の色彩理論を科学的に推進し点描画法による鮮明な色彩表現や、印象派が失ったフォルム、画面の造形的秩序の回復を目指した」(Wikipediaより)と言われている流派です。この印象派の色彩理論というのは、純色の小さな筆触を並べ(点描)て、色を分割し(分割主義)、その配置を法則化するというものです。私たちは明るい色で絵を描きたい時には、青や赤といった純色に白を混ぜてしまいますが、これは色彩の純度を落とすことになってしまい、色彩が鈍くなってしまいます。暗い色を描く時には、同様に黒を混ぜてしまうので、より一層色彩が鈍く濁ってしまうことになります。そこで印象派の画家たちは、絵の明るい部分では純色と白を並置して明るさを表現し、暗い部分では純色の中でも明度の低い紫色などを黒の代わりに並置して、暗さを表現したのです。

新しい色彩表現に興味を持っていたマティスさんは、シニャックさんのもとで最新の科学的な色彩理論を試そうとしたのですが、これがどうもうまくいかなかったようです。それはなぜでしょうか?ここでシニャックさんの絵を鑑賞してみましょう。

https://www.hiroshima-museum.jp/collection/eu/signac.html

シニャックさんの絵には、どこか食い足りないものがあるのですが、それをお感じになりますか?特に絵の明るい部分の表現が、文字通り白けた感じに見えるのですが、いかがでしょうか?

私たちは、明るい風景を見ると思わずハッとします。

これは風景の明るいところの色の白さに感銘しているだけではなくて、光によって目が刺激を受けていることによると思います。それ以外にも、その明るいところが水面であれば、水のキラキラした質感に目が反応するでしょうし、木の間からこぼれる木漏れ日であれば、葉の表面に光が乱反射して複雑な明るさと色合いに感動することでしょう。その美しさは、色彩の科学理論だけでは表現できないのです。

おそらく、マティスさんはそのことに気がついていたのでしょう。シニャックさんのもとで学びながらも、明るい部分には白以外の色を多用しています。これは明らかに新印象主義の絵画を逸脱しています。『豪奢、静寂、逸楽』は新印象主義の手法によりながらも、その後の表現主義や象徴主義のような色合いを帯びているのです。私はとりわけ、マティスさんがこの絵の中で、こちら側に突出してくるような部分において彩度の高い色を使っていることに注目したいと思います。

一般的には、画面からこちら側に突出してくるような感じを表現したい時には明度の高い明るい色を使い、逆に画面の奥へ引っ込んでいくような感じを表現したい時には明度の低い暗い色を使います。この明度差によって、目が錯覚を起こすことを利用して、私たちは奥行きのある空間を画面上に表現するのです。しかし、そこに色彩の彩度の要素が加わると、様相が違ってきます。彩度の高い鮮やかな色、とりわけ黄色からオレンジ、明るい赤あたりの色は、白よりもこちらに迫ってくる感じがします。マティスさんは、この彩度の高い色を効果的に使おうとしているのです。例えば『豪奢、静寂、逸楽』の中で、右側で立ち上がって長い髪に手を当てている女性を見てください。彼女の左手から腰にかけての体の側面に、彩度の高い赤の斑点表現が見られます。この部位は、彼女の体の中で私たちの方に最も近い部分です。形体の変わり目でもあるので、そこに最も暗い色をおいても良いのですが、マティスさんはあえてそこに彩度の高い色を配置して、立体感を強調したのです。

また、補色関係にある色(色相環上の反対に位置する色)同士も、やはり彩度が高いとこちらに迫ってくるような感じがします。例えば『帽子の女』の鼻の緑色は、肌の赤みのある色との対比で、こちらに向かって出っ張っているように見えるのです。これがもっと顕著なのが、『帽子の女』と同じ年に描かれた『緑の筋のあるマティス夫人の肖像』(1905)です。

https://www.artpedia.asia/green-stripe/

このページの解説には、「明るい色と冷たい色を同時に強調して使うことにより、マティス自身、またはマティス夫人の内面を表現している」と書かれていますが、うーん、そうでしょうか・・・。これは肌色の基調となる朱色から赤系統の色味に対して、大胆に補色にあたる緑色を顔の中心の凸部に使った、純粋に造形的な実験を試みた作品として見えるのですが、いかがでしょうか。

 

このように、マティスさんは画面上の位置(バルール)と色彩の関係について、果敢に実験を試みます。前々回にも書いたように、それが南国の色彩表現と相まって、素晴らしい広がりのある絵画を生み出します。おそらくマティスさんの頭の中には、最新の絵画の平面的な表現と、印象派からの影響と、さらにはマティスさんが尊敬していたセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)さんの絵画の影響もあったのかもしれません。しかし、現代美術の流れはキュビズムから抽象絵画へと、目まぐるしい変化の最中にありました。『マティス展』の解説にも「キュビスムの影響のもと、抽象化という造形的な実験」をマティスさんも行ったのだと書かれています。

ここで私たちは、マティスさんに関わる芸術家たちを年代順に並べてみて、そこから何が見えるのか考えてみましょう。

 

セザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)

ゴッホ( Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)

シニャック(Paul Victor Jules Signac, 1863 - 1935)

カンディンスキー(Wassily Kandinsky、1866 - 1944)

ボナール(Pierre Bonnard, 1867 - 1947)

マティス( Henri Matisse, 1869 - 1954)

ピカソ(Pablo Ruiz Picasso, 1881 - 1973)

 

こうしてみると、セザンヌさんは少し離れていますが、ゴッホさんからピカソさんまで、年齢差は30歳もないのです。ほぼ、親子の一世代ぐらいの違いでしょうか。そして私たちは具象絵画から抽象絵画へと時代が進行したような錯覚を抱きがちですが、抽象絵画の父と言われたカンディンスキーさんは、マティスさんやピカソさんよりも年上なのです。これは19世紀末から20世紀にかけて、モダン・アートがいかに爆発的に変化したのか、を示しているとも言えるのです。

ですから、これらの芸術家の誰が時代の最先端を走っていたのか、などと考えても仕方ないのですが、当時、生きて活動していたマティスさんやピカソさんは、自分が時代に乗り遅れてはいないのかどうか、さすがに気になっていたことでしょう。

前にも書きましたが、マティスさんの画家としての本領は、最晩年の時期を除くと、1915年頃までの表現にあったのではないか、と私は思います。その時期のマティスさんの表現には、「絵画の平面性」と「(色彩によって表現できる)絵画の奥行き(バルール)」を同時的に推し進めるという矛盾した問題が共存していました。そして、マティスさんにとってそれらの問題を考えるには、キュビズムでも抽象絵画でもなく、独自の単純化した形象による表現が適していたのです。

ここで、マティスさんとほぼ同年代のボナールさんのことを考えてみるのも良いかもしれません。ボナールさんは、マティスさんとは対照的に、奥さんと過ごした日常生活の周辺を穏やかに描き続けました。その絵画は、前衛的であるかどうかなどとは関わりなく、ひたすらマティスさんが取り組んだのと同様に、色彩と形象の関係を探究し続けたのです。

https://www.momat.go.jp/exhibitions/r3-3-g4

 

このようにマティスさんの足跡を追っていくと、1915年ごろまでにマティスさんが取り組んだ絵画の問題が、誰にも取り組まれることなく置き去りになっていることに気が付きます。それはセザンヌさんの絵画を現代的に継承するものであり、あるいはボナールさんの絵画をもっと先鋭的な形で表現したものでもあったと思います。私はセザンヌさんの絵画を現代に継承した本当の画家はピカソさんではなく、マティスさんだと思っているのですが、それが途中で途切れてしまったままなのです。

私はこのことを大変残念なことだと思っています。そしてささやかな試みではありますが、私の「触覚性絵画」はセザンヌさんやマティスさん、あるいはボナールさんの絵画を継承し、さらに彼らを批判的に乗り越えるためのものなのです。

例えば前回の個展ですが、これはマティスさんやセザンヌさんが試みた「(色彩によって表現できる)絵画の奥行き(バルール)」の問題を発展的に探究したものです。私は学生時代から30代の頃まで、絵画の平面性についていやというほど考えて、絵が描けなくなるほど悩みました。そして私は、絵画を描く以上は「奥行き(バルール)」について積極的に考えることが必要だと気がついたのです。

モダニズムの絵画は、絵画の要素を線や色に限定し、絵画は究極的には平面にならざるを得ない、と脅迫的に結論づけています。しかし、絵画には線や色だけに還元できない、さまざまな要素があるのです。それらを見過ごすことなく、素材の物質性や画面の肌あいまでをも含めて表現していきたいのです。

http://ishimura.html.xdomain.jp/work/202303solo.html

そしてもっと赤裸々に、奥行きをもつ絵画の構造と、絵画の平面性、素材の物質感との間で葛藤する自分を表現することができないか、と考えて、試みたのが先日の『Gallrery Hinoki Art Fair』に出品した『触覚性絵画 すみれが丘公園』という作品です。鉛筆によるデッサンを主体として、その試行錯誤の痕跡をありのままに残した作品なのです。

http://ishimura.html.xdomain.jp/work/2023hakobune%20etc..html

落書きのように見える作品ですが、基本となる風景の空間と、それに抗う鉛筆のタッチやコラージュした紙や草花など、先ほど書いたような課題にガッツリと取り組んだことがよくわかる作品です。このような試みこそ私がやらなくてはならない、という思いを新たにしている今日この頃です。

 

さて、マティスさんのようなスケールの大きな画家になると、その足跡から考えなくてはならないことが山ほどありますが、今回はこれくらいにしておきましょう。

そして前回も同じようなことを書きましたが、美術史的な先入観からマティスさんを過去の画家にしてはいけません。マティスさんは、完全な抽象絵画には至りませんでしたが、彼の絵画の先鋭性はそんなこととは関係ありません。

余談ですが、そのことについて考える時に、分野は異なりますがモダン・ジャズの変遷と重ねてみると、芸術の発展が単線的なものではないことが、より一層よくわかるのではないか、と私は考えています。

例えばマイルス・デイヴィス( Miles Davis、1926 - 1991)さん、オーネット・コールマン(Ornette Coleman、1930 - 2015)さん、ジョン・コルトレーン(John William Coltrane, 1926 - 1967)さんなどのモダン・ジャスの巨人たちについて考えてみます。彼らは、それぞれ自分の音楽を探究しました。その探究は、メロディ、リズム、曲の構成などあらゆる要素に及ぶと聞いています。この三人のうちの誰が最も遠くまで行ったのか、などと考えてもあまり意味がありません。それぞれ、やっていることが異なるからです。そして、彼らの音楽が完全に過去のものとなることも考えられません。私のような素人でさえ、彼らの音楽の変遷に刺激を受け、いまだに彼らの初期の音楽から晩年の作品までを聴き直すからです。

しかし私は音楽について無知なので、彼らの音楽を細かく分析することができません。だから偉そうなことは言えないのですが、彼らの探究は絵画の分野においても、具体的な示唆をもたらすものだと思っています。何よりも魅力的なのは、彼らが音楽の作り手であると同時に、優れた演奏家でもあったことです。最近の絵画は、コンセプトを重視するあまり身体性や視覚性の希薄な作品や、技術的に未熟で素人同然の薄っぺらな作品まで、見るに耐えないものが多すぎます。そんな人たちは、ジャズの世界なら一曲演奏したところでお払い箱になると思うのですが、絵画の世界ではそれほどの見識のない人たちが群がっていて、とても悲惨な状況になっています。それぞれの画家が優れた作品を生む努力をすると同時に、もう少しまともな批評が流通するような場所を作らなくてはなりません。

 

ちょっと愚痴っぽくなってしまいました。マティスさんの晩年の作品について触れることができませんでしたが、それはまた次の機会に書くことにします。それとモダン・ジャズについて少し書きましたが、私はマティスさんの絵画がマイルスさんのジャズと似ているのではないか、と仮説を立てています。マイルスさんは、どんなに自分の音楽が複雑になっても、自分自身がトランペットで演奏する美しい旋律と音色を失うことがありませんでした。それでいて、彼が先進的なジャズから後退することはなかったのです。これは具象的な絵画から離れなかったマティスさんと、共通するものがあるのではないか、と思うのです。

もう少し音楽について勉強したら、このような問題に関するエッセイが書けるのでしょうか?いつか挑んでみたいテーマです。

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