平らな深み、緩やかな時間

98.持田季未子『セザンヌの地質学』について

『セザンヌの地質学』の著者、持田季未子(1947 - 2018)は昨年亡くなった美学・美術史の研究者です。このblogでは以前に、「88.持田季未子『絵画の思考』『芸術と宗教』―ロスコ論から―」で、その著作についてご紹介しました。これらは素晴らしい本でした。どんなところが素晴らしかったのかと言えば、例えば『絵画の思考』の「序」の部分を、私は次のように抜粋しました。

本書の野心は、絵画の現象学とでも呼べそうな方法で作品をできるだけ厳密にたどり創作の本質をとらえるようにしつつ、テクストに言葉を与え、ディスクール(言説)の次元に引きつける端緒をみつけ、無言のテクストを世界・社会・歴史・人間に向けて開くことなのである。絵画を美術史の言説の内部に閉じ込めておいてはならない。絵画を思想へ向けて開くディスクールが必要である。それは行為者である当の画家たち自身がよく成し得るところではない。ここに批評の出番がある。
(『絵画の思考』「序」持田季未子著)

持田は「作品をできるだけ厳密にたどり創作の本質をとらえる」ような方法を、「絵画の現象学」と呼びました。これは何を意味しているのか、と言えば、例えばあらかじめ作品を批評する方法論を決めて、その尺度にそって個々の作品を推し量るやり方とか、歴史的な流れの中に作品を位置付けて、美術史におけるその作品の意義を語るやり方とか、作品の中に描かれたものが象徴するもの、それが指し示す意味を解読することで作者の意図を読み取る方法とか、それらはそれぞれフォーマリズム(形式主義)、美術史学、イコノグラフィー(図像学)などと呼ばれるのですが、それらの既存の方法論に捕らわれない、ということを言っているのだと思います。あくまで作品に寄り添うこと、そして作者の「創作の本質をとらえる」ことを目標とした持田のやり方はその結果が予測しがたいので、それなりの覚悟が必要な方法でもありました。それが「ロスコ論」のなかで、どのような力を発揮したのか、持田の著作を読んで確認するのが最良の方法ですが、私のblogも参照していただけるとうれしいです。
その持田が、亡くなる2年前にセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)に関する本を出していました。20代の前半からセザンヌの町、エクス・アン・プロヴァンスに赴き、セザンヌを研究してきたというのですから、亡くなる前にその成果を書物として残してくれたことに、本当に感謝したいと思います。持田が「あとがき」で書いているように、セザンヌはなかなか捉えがたい画家ですが、その一方でセザンヌを論じた本は山のようにあります。持田が書きあぐねている間にも次々とセザンヌに関する本が出版され、彼女はそのことを次のように書いています。

調べ始めてみると、手を触れずにいた間に世ではセザンヌ研究は進展し精密化していることに気付く。おかげで情報量が格段に増したのは結構だが、今から自分がセザンヌ論を1冊書くとすれば、書くに値するものでなければならないと痛感した。厖大化した先行研究をしっかりと押さえたうえで、たとえ僅かであってもまだ誰も言っていないことを言い、誰もがまだ提示していない視点を示すものでなければ新たにもう1冊セザンヌ論を公にする意味はないのである。
(『セザンヌの地質学』「あとがき」持田季未子)

持田のような優れた研究者が、セザンヌの本を公にするにあたって、このように決意せざるを得ないのは当然でしょう。私のような素人でさえ、2年前のblogの「76.セザンヌについて読むこと、語ること」で書いたように、簡単には把握しきれないほどのセザンヌ関連の資料を持っています。「厖大化した先行研究をしっかりと押さえたうえで」と持田はさらっと書いていますが、それさえも私にとっては考えただけで頭がくらくらするほどの勉強量です。したがって、持田が「誰もがまだ提示していない視点を示すものでなければ新たにもう1冊セザンヌ論を公にする意味はない」というのも、何気なく言っていますが、そうとうの難題だと思います。
その難しさがどれほどのものなのか、私は十分とは言えないものの、ある程度のことを先のblog「76.セザンヌについて読むこと、語ること」で書いたつもりです。例えば、そのことを端的に示した浅野春男(1950- )という美術史家の書いた文章があるのですが、その一部をblogで引用しました。

セザンヌは新しい造形をつくり出す近代芸術の旗手であったのと同時に、その造形の底に個人の無意識の欲望を秘め隠す精神的な芸術家でもあった。それが、この一世紀のセザンヌ論がゆくりなく示している画家の姿である。セザンヌの絵画が画家の精神を抜きにして成立するものでないこと、純粋造形の神話で祭り上げることはできないこと、この単純な事実を学ぶのに私たちはずいぶんと時間をかけてしまった。セザンヌの絵画に自律性を読み取ったリルケ(Rainer Maria Rilke, 1875 - 1926)がまちがっていたわけではない。しかし彼がそこに「究極の客観性」をみたのはやはり行き過ぎであった。セザンヌは同時代の画家たちと較べるならば、絵画の自律性ないし抽象性に向かう傾向が強かったことは明らかである。だが、彼の絵画は個人的な問題や地域的な土着性を隠していた。私たちはセザンヌの芸術と彼の隠された心との関係をどう考えればよいのだろうか。
(『美術手帖』1999年10月号「造形から無意識へ-セザンヌ論の系譜」浅野春雄 p92)

ここで浅野はセザンヌの批評について、次のようなふたつの筋道を提示しています。
ひとつはセザンヌという画家の精神性を抜きにして、画面上の純粋な造形のみを語ろうとするやり方で、もうひとつはセザンヌの個人的な問題を掘り下げて、精神分析にまで及ぶようなやり方です。私はどちらかと言えば前者の批評に興味があり、フライ(Roger Eliot Fry, 1866 - 1934)からローラン(Erle Loran, 1905 - 1999)、ガーウィング(Lawrence Gowing 1918 – 1991)、平倉圭(1977 - )といった批評家の事例をそのときに取り上げました。
そうではない方法、浅野が言うところの「彼(セザンヌ)の絵画は個人的な問題や地域的な土着性を隠していた」ということですが、これについては先のblogで私は次のように書きました。
「このように、精神分析的な方法まで用いてセザンヌの内面に分け入っていく研究は、浅野自身が翻訳したシドニー・ガイストの『セザンヌ解釈』に至ってフロイト(Sigmund Freud, 1856 – 1939)を援用するだけではなく、「心霊現象的芸術学とか真面目な冗談とか呼ぶしかないような側面がある」(『セザンヌとその時代』浅野春男著p122)というところに達しています。」
これはちょっと説明が必要ですね。セザンヌについては、とくに若いころの絵の主題に暴力やセックスに関するものが含まれており、このことからセザンヌを人間的な欲望の深い人だとする考え方があります。そして、彼をあたかも絵画の造形性だけを追究した聖人のようにあがめるのは、彼の一面だけを強調することになってしまい、セザンヌの人間性を見落としてしまう、と考えるのです。その点について、ある程度は私もそう思うのですが、それではセザンヌの精神性や個人的な問題を掘り下げていくと、どのような水脈に突き当たるのでしょうか。それが、どうも私の興味をそそるようなものではないのです。『セザンヌ解釈』に至っては、翻訳した浅野自身が「心霊現象的芸術学とか真面目な冗談とか呼ぶしかないような側面がある」と書いているのです。

さて、前振りが長くなってしまいましたが、このように既に複雑な様相を呈しているセザンヌの批評に対し、持田季未子はどのような光を当てたのでしょうか。
それが「地質学」という、この本のタイトルにもなっている意外な視点なのです。正直に言うと、持田季未子がいかに優れた研究者であろうと、セザンヌを語るのに「地質学」というアプローチはあり得ないだろう、と私は考えました。例えば、セザンヌの描いたサント・ヴィクトワール山ですが、その山の地質が分かったところで、それがセザンヌの芸術に迫る手掛かりになるとはとても思えません。恥ずかしながら、私のような無教養な人間はテレビ番組の『ブラタモリ』を見て、その土地の地形や地質がそこで暮らす人々にどれだけ大きく影響しているのか、ということをやっと理解し始めたところです。それにしても、それが芸術の批評に関わるものだろうか、という思いはぬぐえません。
ところが持田自身は、この本の意義について、最初の章で次のように書いています。

セザンヌは林檎や皿や布を描く静物画、松林や草むらの風景画、単身増や群像の人物画、家や村や街並み、海や川や橋の風景画、何でも描いたが、このテーマの重要性はまだ十分に指摘されていないと思われる。近年はアメリカなどで「岩石画」に注目する研究者が一部に出て来ているが、まだ美術上のジャンルの一つとして限定的に扱う姿勢に留まっているように見える。セザンヌの仕事は美術史や19世紀文化史の範囲だけでなくもっと長い時間軸のうちに、大きく言えば「自然と人間の関係」として位置づける方向が必要なのではないか。それはまた、過去長い間セザンヌ研究を支配していて今も影響が続いているモダニズム的、フォルマニズム的な考え方つまり彼が「いかに」描いたかに関心を注ぐ代わりに、「何を」描いたのかという角度から考える試みの一つだと言えるだろう。
(『セザンヌの地質学』「1:あの石の塊は火だった」持田季未子)

この持田の文章を読むと、ものの見方の大らかさに驚きます。「セザンヌの仕事は美術史や19世紀文化史の範囲だけでなくもっと長い時間軸のうちに」という時間の長さは、いったいどれくらいを想定しているのでしょうか?この考え方は、微に入り細に穿ってものごとを探って、そこから何か新しいものをみつけてやろう、とか、研究者として短期間で結果を出して業績を上げよう、という態度からはかけ離れたものに見えます。しかしその一方で、一般的な鑑賞者や私のような素人画家からすると、これは意外と実感に近い言葉のようにも思えます。というのも、私はセザンヌをこれまで見てきた画家の中でもっとも興味深い芸術家だと思っていますが、その感じ方の中には近代とか現代といった区分はありません。そもそも私のようなレベルでは、美術史的な時代区分などあやふやな状態で絵を見ていますから、それも当然の話です。これまで芸術作品に触れてきた経験の全体からセザンヌについて考える、というのは私にとってごく自然なことなのです。
そしてさらに持田はセザンヌを「自然と人間の関係」として位置づける、と言っていますが、これはセザンヌがどのように自然と向き合ってきたのか、もっと具体的に言えばセザンヌとモチーフとの関係を「自然と人間の関係」として普遍的に考える、ということなのでしょう。これは私が先のblogで取り上げた、美術史家の若桑みどり(1935-2007)の言っていたことに近いことなのかもしれません。若桑はセザンヌの人生を「数千年以上伝承された自然世界とその語彙が無効となったというかつてない絵画の危機の苦悩そのもの」というふうに整理してみせました。つまり彼女はセザンヌを、絵画が絵画として自立することによって、かつてモチーフとして描かれた自然世界とのやりとりが失われてしまうという現場に立ち会った不幸な画家であり、そのことに苦悩した「壮大な失敗」の画家だと捉えたのです。これは若桑みどり流のやり方で、セザンヌを「自然と人間の関係」として長いスパンで捉えた結果だと言えるでしょう。これはこれでスケールの大きな、そして若桑みどりらしい迫力のある意見だと思いますし、確かにセザンヌ以降の絵画が一気に流動性を帯び、さまよいだしたように見えることを考えると、セザンヌが立ち合ったのは「絵画の危機」の始まりであったのかもしれない、とも思います。
しかし私には、セザンヌの絵画が「苦悩そのもの」というよりは、描くことの「喜びそのもの」のように見えますし、その作品は美しくも「壮大な失敗」である、というよりは、誰も到達することのできない峻厳な高みのように見えます。もちろん、若桑みどりはセザンヌの芸術の価値を私などよりも余程わかっていたでしょうし、それでもあえて反語的な言い方をしたのだろうと思いますが、私はやはり彼女とは折り合えません。それはセザンヌがどんなに生前、不遇な創作活動を余儀なくされていたとしても、セザンヌの筆致の一つ一つからは描く喜びが感じられますし、彼が解決不可能な課題を背負っていたとしても、それすらも喜びであったことは間違いないからです。
そして持田のこの著作は、セザンヌを「壮大な失敗」だと結論付ける前に、「まだまだ、違う角度からセザンヌを見る事も出来ますよ」、とか「まだ、何も結論は出ていませんよ」というふうに言っているように私には思えます。実際のところ、この『セザンヌの地質学』という本は、何かひとつの結論に私たちを導いてくれる本ではありません。この本はセザンヌの絵を見る者に対してひとつの可能性を指し示してくれる本であって、その後のことについては、私たちが何事かを引き継いでいかなくてはならないのです。

それでは、もう少し具体的に、「地質学」の内容を見ていきましょう。
まず、しつこいようですが、それにしてもなぜセザンヌの芸術を考えるのに「地質学」が関係してくるのか、という疑問が残ります。これには明快な答えがあります。セザンヌには地質学を専門とする友人がいて、セザンヌ自身も若いころから地質学に興味を示していた、という事実があります。

セザンヌに地質学の知識を与えたのはエクス出身で地元のブルボン中学の数年後輩にあたるフォルチュネ・マリオン(1946 – 1900)である。2章で見るが、マリオンは古生物学と地質学の専門家としてマルセイユ大学の教授を務め、エクスの自然博物館館長にもなった。セザンヌとは青年時代に親しく交わり晩年まで交友は続き、ガスケと対話した時期にもよく一緒にサント・ヴィクトワール山の麓を散策などしていた。彼との親しい関係は、学術的な知識を得るよすがになるとともに、制作の良き支えになったと思われる。
(『セザンヌの地質学』「1:あの石の塊は火だった」持田季未子)

その2章を見ると、セザンヌが若いころにパリで美術を学ぶ前に、マリオンと合作の地質学用のスケッチを制作したり、その後もマリオンが亡くなるまで一緒に絵を描いたり、散策したり、セザンヌがマリオンの肖像を描いたりしていたことが明らかにされます。セザンヌは気難しいと言われていますが、このように知的な良き友人がいたのですね。ちなみにプロヴァンス地方は古生物の化石が多く出土する地域で、「1860年代にサント・ヴィクトワール山の山麓で恐竜の骨が発見」されたこともあったそうで、マリオン自身の発掘物が現在もエクスの自然博物館に展示されているそうです。
こんな人物と散策していれば、おのずと地質学の知識も豊富になることでしょう。そしてこの本で指し示されていることは、ただ単にセザンヌが地質学の知識を持っていた、ということではなくて、それが創作活動にいかに影響しているのか、ということなのです。
例えば、セザンヌがどんな風景を好んで取り上げたのか、ということを考えてみましょう。セザンヌの絵にはむき出しの岩場が多く、ごつごつした崖や谷間が描かれています。あるいは石切り場の殺風景な佇まいや、山の間の切通しがモチーフになっている絵もあります。さらに言えば、彼の主要なモチーフであるサント・ヴィクトワール山も岩の山です。
このように見ていくと、セザンヌが風光明媚な場所を絵にしようとしたのではないことは明白で、山、谷間、岩場、坂道、それに人工物で言えば古い建物、傾いた家、これらのそれぞれに来歴があり、人工物を除けば地質学的な時間の流れを感じさせるものがモチーフとして選ばれています。どうやらセザンヌにとっての「自然」の風景というのは、大きな時間の流れを感じさせる場所のようです。
それでは、そのことを裏付けるような、具体的な内容を本の中から拾ってみましょう。

まず、『レスタックの岩、松、海』という1883年から85年にセザンヌが描いた絵なのですが、これは本の口絵としてカラーで掲載されている作品です。手前に見える岩場に風の影響からか奇妙に曲がった松がまばらに生えていて、その向こうに海岸線の家並みがあります。画面上方のすれすれのところに水平線が見えていて、わずかにその上から空が覗いています。持田はこの絵に限らず、個々の絵について写真図版に頼らなくても絵が読み取れるように丁寧に文章を綴っています。それは、彼女が依存しないと決めたフォルマニズムの批評、例えばその先駆けとも言われるロジャー・フライのようでもあります。実際に持田はフライの文章をときに引用し、その記述を賞賛しています。しかし一通り、その絵について記述した後の分析が、持田特有のものです。『レスタックの岩、松、海』について言えば、その水平線の位置を見て、セザンヌが手前の高い場所から絵を描いていたであろうと推理し、松林の手前にそのような見晴らしの良い、切り立った足場は存在しないであろうこと、仮にそのような場所があったとしても危なくて画架は建てられないだろう、ということを読み取ります。そのうえで、セザンヌの絵について次のように解釈します。

セザンヌの世界には足場がない。空中を飛んで描いたようである。『レスタックの岩、松、海』のような、視点位置が不自然に高くて画家の立っていた地点がどこなのか現実性に欠ける構図は、この後セザンヌの風景画にしばしば用いられるだろう。4章で見る1890年代後半のビベミュス石切り場での仕事などにも特徴的である。このことは、セザンヌ風景画は自然から得た感覚に基づきながらも必ずしも忠実ではなく、各部分を別個に見て、遠近や角度の組み合わせを自由に構成し直したものだったと思わせるに足りる。
(『セザンヌの地質学』「2:漁村レスタックの海と谷」持田季未子)

つまり、セザンヌの絵は現実の視点にはあり得ない場所から描いている、言わば目の前の自然の風景を基にした構想画だというのです。しかし、それは何ゆえの構想画なのでしょうか?どうして、そのような無理な視点から、セザンヌは絵を描こうとしたのでしょうか?
それは「4章で見る1890年代後半のビベミュス石切り場での仕事などにも特徴的である」と書かれているように、4章の終わりの部分で持田ははっきりと書いています。少し長くなりますが、重要な部分なので書き写してみます。

白く光る岩の塊サント・ヴィクトワール山は、人間の記憶にない古い時代から土地に深く根を下ろしている。それは土地の魂そのものである。かつて海底にあった地層がせり上がり周囲から圧力を受けて高度を増し、横転し、創成から長い時間が過ぎた今も毎日少しずつ動いている。セザンヌはビベミュスのくずれかけた巨岩と空に浮かぶ山の中に、最後の海の証人を見出さなければならなかった。
ボルチモアの『ビベミュスから見たサント・ヴィクトワール山』は、標高は大してないこの山がなぜ彼をあれほどに惹きつけてやまなかったかを最もよく了解させてくれる作品ではないかと思う。エクスのランドマークであるサント・ヴィクトワール山は当然セザンヌ以前にもグラネなど多くの郷土の芸術家たちによって愛着をこめて描かれて来たが、セザンヌにおいて意識的に変形せられ、根を下ろす熱い地底の部分にも表現が与えられることによって、初めてこのような傑作となったのだ。
セザンヌは感覚や季節の移り変わりの下にあって変わらない大地の構造に到達したかった。彼が遠近法を無視し奥行きを一向に気に掛けなかったのは、ルネサンスに確立した遠近法が抽象的すぎ抑圧として感じられたというだけではなく、所詮画家のたまたま立っていた位置に左右される、いわば世界の「見かけ」を映すだけのものであり、それに従う限り絵画はある任意の一点から世界がどう見えるかを記述する感覚的な限界を超えることができず、事物の本質に関与できないと考えていたからではなかったろうか。
(『セザンヌの地質学』「4:ビベミュス石切り場にて」持田季未子)

この文章だけを取り出して読むと、持田はあまりにセザンヌの風景画を地質学的な土地の変化に引き寄せて解釈しているのではないか、というふうにも思えます。しかし、この文章の前に持田はセザンヌが年少の友人ガスケ(Joachim Gasquet, 1873 - 1921)に語った言葉を引用しています。
「サント・ヴィクトワールがどのように根をおろしているか、土壌の地質学的な色彩、そういうことは心を動かすし、私をよくしてくれるのだ。」
このことから、セザンヌが地質学的な知識やものの見方を駆使して制作していたことは、間違いないと思います。持田の解釈で興味深いのは、セザンヌの描く風景がしばしば動き出しそうな感じがするのですが、そのことに対してそれらが地質学的に言えば「今も毎日少しずつ動いている」のであり、おそらくセザンヌもそのことを理解して表現したであろう、と推測して論を進めている点です。私はセザンヌの絵の解説として、例えば風にあおられて木が動いているようだ、というような解説をよく目にするのですが、セザンヌがたまたま風の強い日に絵を描いたのでそうなった、とは思えません。よく見ると、同じ絵の中の岩や山の描写にも動きが感じられますし、セザンヌが移ろいやすい風をことさらに取り上げて表現した、とは考えにくいのです。もしかすると、その場所はつねに風が吹き抜ける場所で、風を描くことがその場所を描くことと結びついている場合もあるのかもしれませんが、それにしてもセザンヌの絵の全体が動いて見えることについて、十分には納得できる説明だとは思えません。セザンヌの絵が動的に見える要因として、もっと巨視的な解釈が必要だろう、と感じていたのですが、持田の説明はその点でかなり説得力のあるものだ、と言って良いと思います。
そして、彼女はさらにその解釈を深めていきます。

石臼や貯水槽は、烈しい日射しを浴びて風化するビベミュス石切り場のテラスの石材とともに、万物が時間の中で徐々に荒廃し確実に終焉に向かって進んでいることを見せつける。人手の入った石材や道具は自然の石と変わらずいつか土に帰るものだが、用途を失った姿がそのことを余計に強く感じさせる。セザンヌは、ひしめき合う巨岩に創成時の大地のまだ残る熱さを感じ取る一方で、すべてが変化しつつあり、自然が渾沌に戻ろうとしていることをしっかりと見ていたのではないだろうか。
セザンヌが、サント・ヴィクトワール山が「まだ火の山だった」世界の始まりの時を根の下に求めるとともに、家も岩も植物も崩壊する世界の終わりの時をも見ていたスパンの長さに驚く。より正確には、遠い昔に始まって遠い将来に消えるだろう世界を時間の流れにおいて見ていたと言うよりは、画架を立てて山に向かい合っている現在という時の中に始まりと終わりが共存しており、だからこそ山は静止しているように見えて実は常に少しずつ動いているということを認識していた。
山にせよ山麓の風景にせよ、セザンヌの絵は宇宙的なエネルギーに満ちている。彼は、今の瞬間に死にかつ生まれる世界を、なんとかしてつかまえようとしていた。世界のそういう実相を認識した上で調和を見つけ、秩序を見つけ、最も適切な表現を与えようと努めていたのだ。セザンヌの芸術は、自然が持続しているということの戦慄を見る者に与える。それは自然を永遠なものとして味わわせてくれるのである。
(『セザンヌの地質学』「5:終焉に向かう世界」持田季未子)

この「今の瞬間に死にかつ生まれる世界を、なんとかしてつかまえようとしていた」という解釈は、先のblog「76.セザンヌについて読むこと、語ること」でも紹介したフランスの哲学者モーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908 - 1961)のセザンヌ論にも通じるものだと私は考えます。しかし、持田とポンティとは、同じようなことをセザンヌの絵から感受しながら、別な論理をつくりあげているのだと思います。そのことを見ていくために、「76.セザンヌについて読むこと、語ること」でも引用した部分ですが、ここでも再度、ポンティの言葉を書き写しておきます。
ポンティは次のように言っています。

 セザンヌが描こうとしていた「世界の瞬間」、それはずっと以前に過ぎ去ったものではあるが、彼の画布はわれわれにこの瞬間を投げかけ続けている。そして彼のサント・ヴィクトワールの嶺は、世界のどこにでも現れ、繰り返し現れて来よう。エクスに聳える固い岩陵とは違ったふうに、だがそれに劣らず力強く、本質と実存・想像と実在・見えるものと見えないもの、絵画はそういったすべてのカテゴリーをかきまぜ、肉体をそなえた本質、作用因的類似性、無言の意味から成るその夢の世界を繰り広げるのである。
(『眼と精神』モーリス・メルロー=ポンティ著、滝浦静雄・木田元訳)

 ポンティはセザンヌの絵が、見るごとに新たな世界がそこに現れるように感じさせること、ポンティの言葉で言えば「世界の瞬間」を表現していることに対し、現象学的な解釈をしました。その解釈というのは、セザンヌが様々な先入観を排して世界をいま初めて見たように、あるいは、世界があたかもいま生まれたばかりのように描いたからこそ、サント・ヴィクトワール山をつねに、いまここに現れたかのように描けたのだ、というものです。私は専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、現象学的に言うと、このように無垢な気持ちでものを見る事を「日常的な判断を停止した状態=エポケー」というのでしょう。ポンティから見ると、セザンヌは現象学的なものの見方を説明するのに、格好のモデルだったのだと思います。
このポンティの解釈からイメージできるセザンヌ像というのは、ストイックに対象を見る聖人のような画家、それゆえに赤子のように純粋な眼を持った画家、ということになるのでしょう。これは魅力的な解釈ですが、その一方でセザンヌがきわめて技巧的に優れた画家であったこと、さらに言えば、セザンヌが暴力やセックスを主題とした作品を数多く描いていたこと、そしてそのような人間的な欲望にも興味があった画家であったことを、私たちは知っています。ポンティのセザンヌに関する記述を読むと、どうしてもその矛盾したイメージが引っかかってしまうのです。
 ところが持田の解釈は、おそらくはポンティがセザンヌの絵に見た「世界の瞬間」と似たものを感受しながらも、まったく別な地平に立っています。彼女は、セザンヌが世界の胎動のようなものと同時に世界の終わりまでをも感じ取っていたのではないか、と解釈します。そしてその悠久の時間を感じ取る感性は、彼の「地質学」への興味から育まれたものだ、と考えたのです。
ここでイメージできるセザンヌ像は、ストイックに絵に向かう画家であると同時に、科学的な興味を持った人です。さらに言えば、セザンヌは友人で小説家のゾラ(Émile Zola、1840 - 1902)と文学について語り合ったほどの教養人でもありました。今風に言えば、芸術家であると同時に、理系の地質学、文系の文学や哲学、思想に興味を持った、意外にマルチな人です。これらの複雑な人格は、案外とセザンヌの実像に近いのではないか、という気がします。考えてみると、セザンヌは印象派の画家の中でも、とりわけその後の芸術に影響を与えた先進的な画家でしたが、彼が当時の画家の中でもとくに古典絵画に魅かれた画家でもありました。持田はそのことにも注目しています。それを続けて見ていきましょう。
持田はさらに、セザンヌが神話画や歴史画を得意とした古典主義の画家、プッサン(Nicolas Poussin, 1594 - 1665)に影響を受けていたこと、そしてセザンヌが若いころに描いた『拉致』という作品の人物像が神話的な巨人を彷彿とさせることについて指摘しています。それらが「地質学」的な悠久の時間と結びついて、セザンヌ独特の「日常的な時間を超えた神話的、宇宙的な力がその岩の頂に宿っている」ような風景画を生んだのではないか、と考察したのでした。この持田の考察は、セザンヌがストイックな画家であったこと、もっと言えば私たちが彼の絵画に冷徹なリアリストの眼を感じ取ることと矛盾していません。セザンヌにとっては、今たまたま見ている一瞬の風景が現実なのではなくて、その風景の成り立ちから崩壊までをも見通した姿が現実なのです。その現実に迫るためには、あり得ない視点を設定したり、遠くの山が近く迫ってくるように大きく描いたり、岩石や家の傾きを誇張したり、といったあらゆる試みを仕掛けるのです。セザンヌにとっては、それがリアリズムなのです。

 このように、「地質学」という視点から、これまでの分裂していたセザンヌ像、セザンヌに関する解釈を超えて、新たなセザンヌ像が結ばれたわけですが、私は持田のこの試みが、たんにひとつの解釈を付け加えただけではない、もっと大きな意義があると考えます。それは持田が、「彼(セザンヌ)が『いかに』描いたかに関心を注ぐ代わりに、『何を』描いたのかという角度から考える試みの一つ」である、と言っていることです。この持田の試みは、例えば画家がどんなふうに絵を描こうかな、と悩む前に、何を描くべきなのか、を考えなければならないということに思い至れば、自ずとその価値がわかるというものです。表現者の立場に身を置く想像力があれば、画家が「何を」描きたかったのか、という動機に当たるところを考察することが、いかに芸術にとって根本的なことで、意義深いことなのか、ということに気が付くはずです。
ここで話を、現代の私たちに置き換えてみましょう。私たちは現代社会のスピードと煩雑さに忙殺され、そんな中でいかに人々の半歩先に出て注目を浴びるのか、ということばかりを考えがちです。そんな私たちにとって、「何を」描きたかったのか、という問いは、しばしば多くの人が何を見たいのか、という問いにすり変えられてしまいます。インターネットが普及して以降、その傾向はとくに強まっているように思います。自分が何をやりたかったのか、そしてどうして自分はそんなふうに思ったのか、という問いはどこかに行ってしまって、多くの人に「いいね」と言ってもらえれば成功で、そうでなければ意味がない、というわけのわからない単純さに社会が満ちてしまっているように見えます。そのような状況下において、画家にとってもっとも重要なことを「何を」描きたかったのか、ということだと見定めて、その真実に迫ろうとする持田の文章は、とても貴重なものだと思います。
 それにしても、このセザンヌ解釈の試みは、持田の『絵画の思考』で言及された「絵画の現象学」の実践に他ならないのだ、といまさらのように気が付きます。この本は、「作品をできるだけ厳密にたどり創作の本質をとらえるようにしつつ、テクストに言葉を与え、ディスクール(言説)の次元に引きつける端緒をみつけ、無言のテクストを世界・社会・歴史・人間に向けて開くこと」(『絵画の思考』)をまさに実践しているのではないでしょうか。そして「絵画を美術史の言説の内部に閉じ込めておいてはならない」、「絵画を思想へ向けて開くディスクールが必要である」(『同書』)ということの試みが、「地質学」という、あまりに大胆な視点となったのでしょう。文系とか理系とかいうようなカテゴリーにこだわらない、言わば学問領域の横断的なタイトルに、ついしり込みしてしまった自分が恥ずかしくなります。
 最後に、持田自身がこの本をどのように結んだのか、その美しい文章を引用して、この拙論を終わりたいと思います。

 山中に一人でこもって岩や山ばかり相手にしていても、セザンヌは決して孤独な隠遁者などではない。山が立ち上がる太古の時から万物が風化して廃墟と化す終焉の時まで、長大な時間のもと、表面からは隠れているが実は刻一刻と変化し常に流転してやまない自然。そのような自然を見つめ、色と形で表現しようとする。
 「遷りゆく世界の一瞬がそこにある。その現実のなかでそれを描く!」
 セザンヌは、自然の本質とは何なのかを考えつめようとした古代イオニアの自然哲学者直系と言ってよいほどの際立って思索的な画家であった。
(『セザンヌの地質学』「8:南仏のメランコリー」持田季未子)



 蛇足になりますが、先日、上野に『コートルード美術館展』を見に行きました。印象派の名品が揃った展覧会で、初めの方のセザンヌの作品が集まった部屋にも圧倒されましたが、私がもっとも感心したのは、最後の方に展示されていたセザンヌ晩年の作品でした。未完成の風景画のように見えますが、セザンヌは描きはじめからこのような美しい、秩序だったトーンで描いていたのか、とあらためてため息が出ました。それから同じ日に見た『ゴッホ展』でも、とくに晩年の療養院でのゴッホの作品に心打たれました。ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)は初期の頃から絵の具の扱い方、マチエールの感度が抜群に良い人でしたが、療養院で描いた作品はそれが鬼気迫るほどの迫力を持っているように見えました。これまで、印象派の名品なら嫌というほど見てきたはずなのですが、セザンヌの筆致、ゴッホのマチエール、それらがともに絵画の表面に確かに触れる様子に、現代絵画が見落としてきたもの、彼らの表現から継承しそこなってきたものを見たような気がします。この思いを忘れないために、私は自分の絵画を「触覚性絵画」というふうに規定して、しばらく創作してみようかな、と考えました。いずれはそのような作品群を発表し、文章に書き残せれば・・・、と思っています。
 既成の評価や常識にとらわれないこと、つねに表現者にとって何が大切なのかを考え続ける事、具体的な作品をていねいに見ていくことで何かを発見し、実感する事・・・、持田の著作から学ぶことは数多くあります。不器用で不勉強な私ですが、自分なりの方法で、持田季未子の実践してきたことをこれからも継承できれば、と考えています。

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