愛犬シャオ 2013年1月8日、10歳9ヶ月で旅立ちました。
5歳~さよならまでのたくさんの幸せな日々の記録です
泰暁館~シェルティーのイラスト・フォトギャラリー~
ずっと一緒だよ~シャオの最後の日々のこと~
シャオが旅立ってから二週間が経ちました。
最後の日々の事を書き残しておこうと思います。
シャオが精一杯頑張った記録として。
2012年10月8日のシャオです。
まさか、このたった3ヵ月後に旅立ってしまうとは、
その頃は夢にも思いませんでした。
11月3日、青淵公園にて。
これが、「お出かけ」と一応呼べるものの最後になりました。
とっても嬉しそうだったシャオ。
「行っておいて良かった!」と思います。
12月10日。
台所でオヤツをワガママいっぱいでおねだり中。
関節炎が悪化して、心配だったものの、まだ食欲は健在。
正直、この辺りで病気の「兆候」に気づいていれば、
あるいはもう少し一緒にいられたのかなあ、と悔やまれます。
いつもより寝てる時間が多めでした。
「何か妙だな?」とは感じていました。
でも、関節がとっても腫れていたので「無理ないかな」と思ってしまいました。
「関節炎」というフィルターに隠されて、見えませんでした。
「急死」と言っても過言ではないような悪化のスピード。
何がまずかったのか…年齢も若干若い事から、
多分にシャオが生まれ持った「体質」もあるのかな…と。
色々考えますが、シャオがいなくなった事だけが確かな事実です。
撮るだけ撮って、プリントしていなかった写真を
家族皆が見られるようにプリントを頼みました。
約1000枚!
動画はお宝です。
「こういうのって、いなくなった後に見られるのかな~?」
なんて思いながら撮った事もある動画。
見られます。
動いている姿・声。
やっぱり撮っておいて良かったです。
楽しかった時の気持ちが甦って、悲しみが和らぎます。
私の場合、「見ると余計に悲しくなる」という事はなかったです。
残しておかれることをお勧めします。
唯一、どうしてもできないこと。
それは「触れること」
もうあの体に、体温に触れることは二度とありません。
抱きしめることはできません。
以下、最後の日々の様子を書きたいと思います。
(写真は1月7日。つかの間の眠り)
12月23日腎不全発覚。
12月29日末期宣告。
そこから、10日間の完全自宅看護でした。
この、自宅看護の10日間に後悔はありません。
体力が落ちた上に病院が大の苦手なシャオにとって、
病院に通わなくてよいというのは良かったと思います。
年末年始だったことも幸運?でした。
家族が毎朝出かけるのに「行っちゃ嫌ー!」と騒ぐ子でした。
皆が休みで、側にいてくれる。
たくさんの時間をシャオと過ごせる。
「一緒だよ」という言葉が大好きだったシャオ。
本当に、片時もひとりぼっちにはさせませんでした。
「たまには一人にさせてよ。ちょっとうっとうしいんだけど…」と思ってたかも。
シャオが使った皮下点滴の注射針です。
初めは午前1回。1月1日からは朝晩点滴しました。
あとは吐き気止め(セレニア)。
腎不全の末期は
「食欲不振・吐き気・下痢・血便・吐血・血尿・出血・痙攣・死」と言われます。
下痢以外は全てその通りでした。
食欲不振と吐き気以外の症状は最後の一日に集中しました。
尿は最後まで乏尿になることはなく、出ました。
血便は亡くなったあと出てきました。
血尿も、最後の最後の方に、うっすら程度でした。
「排水溝のような口臭」と言われます。
1月5日にそうなりました。
でも、最後の2日間はまた違った臭いでした。
どう表現したらよいのか、全身から立つ、すごい臭いでした。
毒素に溢れた「病魔」の臭いそのものでした。
シャオの場合、最後の2日ほどは水を飲むのさえ嫌がりました。
水を飲むと、吐き気が襲ってくるからです。
「水を飲めないようになったらもう生き物は駄目だ」と感じました。
1月6日夕、さつま芋を流動食にしたものと、
ほんの少しのヤギミルクを脱脂綿に含ませて飲ませたのが
最後の食事?でした。
幸い、嫌がりませんでした。
もうここまできたら、嫌いなものを無理にあげなくて良かったと思います。
6日の夜、呼吸が荒く、点滴をしても緩和されず。
7日にかけての夜中じゅう、激しい寝息のような呼吸。
でも、眠っていません。眼が開いています。
ものすごい大きな呼吸音でした。
シャオは全身で病気と闘っていました。
苦しくて眠ることもできなかったのだと思います。
朝6時、「もう昨晩点滴をした時も楽そうにはならなかった。
苦しみを長引かせるだけでは」と迷いながらも点滴100CC。
午後1時、更に点滴150CC。
これは、仕事に出かけた父の帰りをシャオが待てる可能性のために、した点滴です。
夜7時近く、父帰宅。
そのわずか10分後、吐血しました。
多分きっと、「もうすぐ帰ってくるから」という言葉に待っていたのでしょう。
それまでは自力で体を起こせていたのが、
吐血後急に起こせなくなりました。
父に会って、ホッとして、糸が切れたかのようでした。
意識はかなり最後の方まであったと思います。
疲れて虚ろではあったけど、呼びかけに反応し、
人の動きに合わせて目線が動きました。
シニアではあるけれど、まだ高齢犬というには
ちょっと早い10歳だったシャオ。
おそらく腎臓以外の臓器はまだまだ元気だったのでしょう。
その、
「まだ元気な体」
を内側からバリバリと引き裂いて押し潰し、殺そうとする
音が聞こえるようでした。
愛する動物の最期に「安楽死」を選択する飼い主さんの
気持ちがものすごくわかりました。
シャオは病院が苦手でしたから、
最期を病院の診察台の上で迎えるということは
「絶対にありえない」選択肢でした。
でも、もし病院が大好きな子だったら…
あるいは、安楽死とはいかなくても、なにか苦しみを和らげる薬があるなら…
「もう頑張らなくっていいよ。眠っていいよ」
と呼びかけずにはいられませんでした。
8日朝4時頃、軽い痙攣が始まりました。
意識は無いように見えました。
「ああ、これでようやっと死ねるんだ」と思いました。
5時前に一度目の激しい痙攣が襲いました。
これで逝ってしまうかと思いましたが
シャオは持ちこたえ、それまでの苦しそうな荒い息から
深い呼吸に音が変わり、昏睡に入ったようでした。
二度目の、最後の痙攣は父がちょうどいつも起きてくる時間でした。
昏睡状態のシャオだったけど、
「お父さんの起きてくるのを待ってたの?」と思うほどきっかりでした。
最後の瞬間、「シャオ、よく頑張ったね、えらかったね、ずっと一緒だよ」と声をかけていました。
母に抱きかかえられ、起きてきた父に手を取られ、
シャオは旅立ちました。
最後にぐっと首が上がり、頭の方にいた私と眼が合った形に
なりましたが、見えてはいなかったと思います。
それから、スーっと首が下りました。
表情もすうっと穏やかになりました。
それが朝5時47分。
本当に恐ろしい病気でした。
人間の方も疲れました。
7日の夜は疲労でまっすぐ歩けないほどでした。
有効な治療法がなく、
「死ぬために、シャオはこんなに辛い思いをしなくてはならないのか」
と可哀想でなりませんでした。
でも、亡くなったあとの顔は穏やかで、とてもきれいでした。
それが救いです。
亡くなったあと、家族全員でシャオの体を拭いてきれいにしました。
闘病期間が短かったため、毛並みはぱさぱさになることもなく、美しいままでした。
その毛を、家族みんながそれぞれ、形見にもらいました。
「おじいちゃん」になる前に亡くなってしまったことは残念で仕方ありませんが、
そのこと以外は幸せな一生だったと思います。
家族にとってもかけがえのない幸せな11年間近くでした。
シャオ、楽しい時間を本当にありがとう。
はじめて出会ったとき、シャオは生後30日でした。
生後40日でお迎えしたためか、とってもビビリでしたが、
正直に言えば、そんなビビリなところも愛おしく、
驚くほど賢く、繊細で、素直で、美しく、
甘えん坊で怒りんぼでわがままでも、聞き分けのいい子でした。
私たち家族にとって「世界で一番可愛い」シャオでした。
どこへ旅立ってしまったのか。
虹の橋も天国も、あったらいいなと思いつつ、
ここにいてもいいんだよ、ずっと一緒だよとシャオに言っています。
ブログを開設し、シャオとの日々を綴ってきましたが、それも今回でお仕舞いです。
シャオとの思い出を残せて、ブログを書いてきてよかったです。
記事を読んだり、コメントをくださった皆様、大変ありがとうございました。
「泰暁館」の更新はひとまずここまでになりますが、
ここで知り合えた皆様のブログは、これからも読んでいきたいと思っています。
ありがとうございました。
« 3日経ちました | 追記 ちょっ... » |
シャオくんの最期までの闘病の様子を
ここに残してくれてありがとう。
10歳・・・お別れするには早すぎます。
でもシャオくんは痛みや辛さから開放され
楽になって旅立ったんですものね。
きっと最後の写真のように
今は笑顔で泰さんやご家族の事を見守っていると思います。
シャオくん、最後まで本当によく頑張ったね。
シャオくんには一度しか会えなかったけど
でもシャオくんの事、大好きだよ♪
ずっとずっと忘れないからね。
泰さんがブログを終えられるのは寂しいです。
気持ちが落ち着かれてブログを再開する気になられたら
すぐにご一報下さいね。
今日まで本当にありがとうございました。
先程はお越し頂き、ありがとうございました。
ひょっとして更新されているかも…そんな予感がして訪れてみましたら…(驚)
ひょっとしてシャオちゃんは導いてくれたのかしらね…
最期の数日の様子…しっかり読ませて頂きました。
尿毒症の最期…壮絶と聞いておりましたがシャオちゃんも泰さんご家族も最後で本当によく頑張りましたね。
可愛いわが子が辛い思いをしているのを何も出来ず見ているだけというのは本当にお辛かったかと思います。
サムは幸いまだ生きていますが、ウェンディを看取り、サムを1年2カ月以上介護をしてきて、少しはそのお気持ち理解できているつもりです。
でもきっと…何もしてあげられないけど傍に寄り添ってあげること…シャオちゃんはこれが何よりも嬉しかったのではないでしょうか。
年末年始にかけて、ご家族で全力でシャオちゃんの介護にあたり、シャオちゃんはとても幸せだったと思います。
ウェンディもね…血管肉腫と分かった1か月前の血液検査では何の異常も見られませんでした。
ただ亡くなる半年前位から皮膚の状態が悪く、ホルモン異常があったり兆候はありました。
でも医師も私もまさか心臓に腫瘍が出来ていたことなんてそこまで予測できませんでした。
犬って本当に限界の限界まで不調を表に出さないのでしょうね。
野生で考えれば、不調を表に出せば攻撃されますから、本能的に自分を守るためにギリギリ限界まで表には出さないのでしょう。
シャオちゃん、本当に綺麗なシェルティですね。
ほれぼれと見てしまいました。
もうその身体に触れることはできないのですが、きっといつも傍に寄り添っていてくれていると信じています。
私もそう思うようにしています。
このブログは閉じられてしまうのですね…
もう遊びに来れないかと思うと本当に淋しいです。
今のところ、私はまだブログを続けていますので、もしお嫌でなければ時々遊びに来てシャオちゃんの思い出話など聞かせて下さいね。
お元気でね…
お知り合いになれてそんなに長くはないのですが・・・それでも共感できる部分は沢山ありました。
どうもありがとう…
元気だった体が受け入れるには過酷すぎる症状の数々、よく頑張ったねシャオ君!
泰さんやご家族の皆さんも辛く大変な日々でしたね...
すぐにコメントを書けず、Blogを初めから順繰りに読んでいます
とにかく微笑ましいお散歩風景(お供も従えた王子様でしたよね~)を知っているので
シャオ君が幸せ過ぎることはわかっていましたが、
大変だったアレルギーや病気すら楽しい毎日になっていたのですね
泰さんやご家族の皆さんにとって今までもこれからもまさに天使くんですね!
お散歩コースを歩かれているとのこと、もし見かけたら声をかけてくださいね
寒い日が続きますので、ご家族の皆様どうぞお身体にはお気をつけて...
とってもありがとうございました。
ブログを始めたって事は「さよなら」まで書くのかな…なんてことも思ったりしました。
思っていたより数年早く、その時は来てしまいました。
でも、シャオの最後までしっかり書くことができて
とても良かったと思っています。
書くのは辛いけれど、書く事で受け入れることの助けになるから…。
可愛いシャオの思い出に、ブログは残しておくつもりです。
ネオママさんとネオたんのブログも、覗きに行きますね。
ネオたんが元気で、シャオの分も長生きしてくれますように!
年末、腎不全が発覚した時から「残り少ないシャオの時間を、書き残しておきたい」という思いで書いてきました。
毎回、書きながら涙が出てしまって…。
ウェンディちゃんを看取り、サムちゃんの長い看病を続けているノエママさんの辛さ大変さは、私以上ではないかと思っています。
ほんとに、病気を見抜くのって難しいのですね。
「早く気づいてやれずにごめんね」とどうしても思ってしまうのですが、どうしようもない事もきっとあるのだと思います。
短い間ではあったけど、ノエママさんからのコメントを頂けて、とても参考になったし、本当に嬉しかったです。
シャオの形見?にブログは残しておきますので、お暇がもしあれば過去の平和~な記事でも眺めてみてください。
私もサムちゃんを見守っています。
そうそう、まさに「お供を従えた王子様」でした!
他のわんちゃんにビビると家族の後ろに隠れるので、
「群れの真ん中で守られてる小象」みたいだとも思っていました。
「幸せ過ぎたから早く天国に帰っちゃったのかな」
なんても思っちゃいます…が、怒りんぼのシャオは
「そんなことない、ボクは色んな不満があったんだよー!」
とかプンプンしてるかも(公園での様子からはわかりにくいと思いますが、かなり怒りんぼなのですよ)。
ドリちゃんとも知り合って5年?くらいでしょうか…。
是非、元気で!
またお会いした時はドリちゃんに触らせてくださいね。