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ずっと一緒だよ~シャオの最後の日々のこと~

シャオが旅立ってから二週間が経ちました。

最後の日々の事を書き残しておこうと思います。
シャオが精一杯頑張った記録として。

2012年10月8日のシャオです。

まさか、このたった3ヵ月後に旅立ってしまうとは、
その頃は夢にも思いませんでした。



11月3日、青淵公園にて。
これが、「お出かけ」と一応呼べるものの最後になりました。
とっても嬉しそうだったシャオ。
「行っておいて良かった!」と思います。





12月10日。
台所でオヤツをワガママいっぱいでおねだり中。

関節炎が悪化して、心配だったものの、まだ食欲は健在。
正直、この辺りで病気の「兆候」に気づいていれば、
あるいはもう少し一緒にいられたのかなあ、と悔やまれます。

いつもより寝てる時間が多めでした。
「何か妙だな?」とは感じていました。
でも、関節がとっても腫れていたので「無理ないかな」と思ってしまいました。
「関節炎」というフィルターに隠されて、見えませんでした。


「急死」と言っても過言ではないような悪化のスピード。
何がまずかったのか…年齢も若干若い事から、
多分にシャオが生まれ持った「体質」もあるのかな…と。
色々考えますが、シャオがいなくなった事だけが確かな事実です。


撮るだけ撮って、プリントしていなかった写真を
家族皆が見られるようにプリントを頼みました。
約1000枚!

動画はお宝です。
「こういうのって、いなくなった後に見られるのかな~?」
なんて思いながら撮った事もある動画。

見られます。
動いている姿・声。
やっぱり撮っておいて良かったです。
楽しかった時の気持ちが甦って、悲しみが和らぎます。
私の場合、「見ると余計に悲しくなる」という事はなかったです。
残しておかれることをお勧めします。

唯一、どうしてもできないこと。
それは「触れること」
もうあの体に、体温に触れることは二度とありません。
抱きしめることはできません。



以下、最後の日々の様子を書きたいと思います。
(写真は1月7日。つかの間の眠り)

12月23日腎不全発覚。
12月29日末期宣告。
そこから、10日間の完全自宅看護でした。

この、自宅看護の10日間に後悔はありません。
体力が落ちた上に病院が大の苦手なシャオにとって、
病院に通わなくてよいというのは良かったと思います。

年末年始だったことも幸運?でした。
家族が毎朝出かけるのに「行っちゃ嫌ー!」と騒ぐ子でした。
皆が休みで、側にいてくれる。
たくさんの時間をシャオと過ごせる。



「一緒だよ」という言葉が大好きだったシャオ。

本当に、片時もひとりぼっちにはさせませんでした。
「たまには一人にさせてよ。ちょっとうっとうしいんだけど…」と思ってたかも。


シャオが使った皮下点滴の注射針です。

初めは午前1回。1月1日からは朝晩点滴しました。
あとは吐き気止め(セレニア)。


腎不全の末期は
「食欲不振・吐き気・下痢・血便・吐血・血尿・出血・痙攣・死」と言われます。
下痢以外は全てその通りでした。

食欲不振と吐き気以外の症状は最後の一日に集中しました。
尿は最後まで乏尿になることはなく、出ました。
血便は亡くなったあと出てきました。
血尿も、最後の最後の方に、うっすら程度でした。

「排水溝のような口臭」と言われます。
1月5日にそうなりました。
でも、最後の2日間はまた違った臭いでした。
どう表現したらよいのか、全身から立つ、すごい臭いでした。
毒素に溢れた「病魔」の臭いそのものでした。


シャオの場合、最後の2日ほどは水を飲むのさえ嫌がりました。
水を飲むと、吐き気が襲ってくるからです。

「水を飲めないようになったらもう生き物は駄目だ」と感じました。

1月6日夕、さつま芋を流動食にしたものと、
ほんの少しのヤギミルクを脱脂綿に含ませて飲ませたのが
最後の食事?でした。
幸い、嫌がりませんでした。
もうここまできたら、嫌いなものを無理にあげなくて良かったと思います。

6日の夜、呼吸が荒く、点滴をしても緩和されず。

7日にかけての夜中じゅう、激しい寝息のような呼吸。
でも、眠っていません。眼が開いています。
ものすごい大きな呼吸音でした。

シャオは全身で病気と闘っていました。
苦しくて眠ることもできなかったのだと思います。

朝6時、「もう昨晩点滴をした時も楽そうにはならなかった。
苦しみを長引かせるだけでは」と迷いながらも点滴100CC。

午後1時、更に点滴150CC。

これは、仕事に出かけた父の帰りをシャオが待てる可能性のために、した点滴です。

夜7時近く、父帰宅。

そのわずか10分後、吐血しました。

多分きっと、「もうすぐ帰ってくるから」という言葉に待っていたのでしょう。

それまでは自力で体を起こせていたのが、
吐血後急に起こせなくなりました。
父に会って、ホッとして、糸が切れたかのようでした。

意識はかなり最後の方まであったと思います。

疲れて虚ろではあったけど、呼びかけに反応し、
人の動きに合わせて目線が動きました。


シニアではあるけれど、まだ高齢犬というには
ちょっと早い10歳だったシャオ。

おそらく腎臓以外の臓器はまだまだ元気だったのでしょう。
その、
「まだ元気な体」
を内側からバリバリと引き裂いて押し潰し、殺そうとする
音が聞こえるようでした。

愛する動物の最期に「安楽死」を選択する飼い主さんの
気持ちがものすごくわかりました。


シャオは病院が苦手でしたから、
最期を病院の診察台の上で迎えるということは
「絶対にありえない」選択肢でした。

でも、もし病院が大好きな子だったら…
あるいは、安楽死とはいかなくても、なにか苦しみを和らげる薬があるなら…

「もう頑張らなくっていいよ。眠っていいよ」
と呼びかけずにはいられませんでした。

8日朝4時頃、軽い痙攣が始まりました。
意識は無いように見えました。
「ああ、これでようやっと死ねるんだ」と思いました。

5時前に一度目の激しい痙攣が襲いました。
これで逝ってしまうかと思いましたが
シャオは持ちこたえ、それまでの苦しそうな荒い息から
深い呼吸に音が変わり、昏睡に入ったようでした。

二度目の、最後の痙攣は父がちょうどいつも起きてくる時間でした。

昏睡状態のシャオだったけど、
「お父さんの起きてくるのを待ってたの?」と思うほどきっかりでした。


最後の瞬間、「シャオ、よく頑張ったね、えらかったね、ずっと一緒だよ」と声をかけていました。

母に抱きかかえられ、起きてきた父に手を取られ、
シャオは旅立ちました。

最後にぐっと首が上がり、頭の方にいた私と眼が合った形に
なりましたが、見えてはいなかったと思います。

それから、スーっと首が下りました。
表情もすうっと穏やかになりました。

それが朝5時47分。

本当に恐ろしい病気でした。
人間の方も疲れました。
7日の夜は疲労でまっすぐ歩けないほどでした。

有効な治療法がなく、
「死ぬために、シャオはこんなに辛い思いをしなくてはならないのか」
と可哀想でなりませんでした。


でも、亡くなったあとの顔は穏やかで、とてもきれいでした。
それが救いです。

亡くなったあと、家族全員でシャオの体を拭いてきれいにしました。

闘病期間が短かったため、毛並みはぱさぱさになることもなく、美しいままでした。

その毛を、家族みんながそれぞれ、形見にもらいました。






「おじいちゃん」になる前に亡くなってしまったことは残念で仕方ありませんが、

そのこと以外は幸せな一生だったと思います。
家族にとってもかけがえのない幸せな11年間近くでした。
シャオ、楽しい時間を本当にありがとう。

はじめて出会ったとき、シャオは生後30日でした。

生後40日でお迎えしたためか、とってもビビリでしたが、
正直に言えば、そんなビビリなところも愛おしく、

驚くほど賢く、繊細で、素直で、美しく、

甘えん坊で怒りんぼでわがままでも、聞き分けのいい子でした。

私たち家族にとって「世界で一番可愛い」シャオでした。 

 

どこへ旅立ってしまったのか。

虹の橋も天国も、あったらいいなと思いつつ、

ここにいてもいいんだよ、ずっと一緒だよとシャオに言っています。

 

ブログを開設し、シャオとの日々を綴ってきましたが、それも今回でお仕舞いです。

シャオとの思い出を残せて、ブログを書いてきてよかったです。

記事を読んだり、コメントをくださった皆様、大変ありがとうございました。

「泰暁館」の更新はひとまずここまでになりますが、

ここで知り合えた皆様のブログは、これからも読んでいきたいと思っています。

ありがとうございました。

 



 

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3日経ちました


1月7日の朝のシャオです。
苦しい息で一晩頑張り…この後まだまだ頑張りました。
意識は相当最後の方まで残っていた様子です。


シャオが旅立ってしまってから3日経ちました。
少し、落ち着いてパソコンを開け、皆様からのコメントを
読んだり、お返事を書くことができるようになりました。

8日の夜に家族でお通夜をして、
旅立った翌9日、シャオを見送りました。
お家の中を一周して、
いつもお散歩に行っていた公園の周りを車でゆっくりと巡って。
東松山のペットメモリアルパークにて、
家族立会いのもと火葬しました。
家族全員で立ち会うことができたことは幸せでした。

体の大きなシャオは特大の箱(ゴールデンサイズ)でした。
写真のシンビジュームとお花で体の周りを飾って…。
似合うからと、頭に2輪お花を挿しましたが、本人は不満だったかも。

骨壷を抱きしめて帰ってきました。

リビングのおこたの上に、その日は安置しました。

翌日、リビングボードの一角に祭壇?を作りました。


普段使っていた食器では大きいので、
お散歩の時携帯していた水入れと、ご飯のおまけのお肉を乗せるのに
使っていた小皿をお供え用に使うことにしました。

好きだった食べ物を添えて。

骨壷はみんなの方が見えやすいように、少し斜めに置きました。

写真は、前から飾っていたものなので、
これからもう少し整理してみようかと思います。

それから、箱をひとつ買ってきました。
リードやハーネス、レインコート、ブラシ…。
シャオのものをその箱にまとめて入れました。

「シャオちゃんの思い出箱」です。

一区切りがついて、少し気持ちが落ち着きました。

人が家を出る時、チャイムが鳴った時…いつもワンワンとうるさい子だったシャオ。
なんだか今でもいるような気がします。
でも声も姿もありません。

あのモフモフの毛がないのが不思議です。

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シャオ、旅立ちました

今朝、2013年1月8日、朝5時47分にシャオは旅立ちました。
10歳と9ヶ月と13日でした。


腎不全と判明してから17日目。
ご飯を食べなくなってから15日目。
完全自宅看護10日目。

腎不全による尿毒症でした。

なるべく苦しみのない眠ったような最期であってほしい、と願っていました。
でも、かわいそうな事に苦しみ抜いたそれは壮絶な最期でした。
6日夜、また呼吸が荒くなり始め、
二晩シャオはほんとうによく頑張りました。

たくさんたくさん「頑張ったね」と褒め、
色んな言葉を掛けながら迎えた最期でした。

家族全員で泣きながら体をきれいにしてあげました。
苦しんだわりには、死に顔は綺麗で良かったです。

体も痩せたけれどもサラサラでつやつやのまま。

三が日を過ぎて、次の目標の七日をなんとかクリアし、
本当に頑張りやのよい子でした。

明日、家族立会いで火葬する予定です。

今まで励ましや心配のコメントをお寄せくださった皆様、
本当にありがとうございました。

お返事は後ほどさせてくださいね。


もうシャオは苦しくないんだ、とホッとするけど、
どうしても涙が出てきます。
後日、最期のシャオちゃんの様子をもう少し詳しく書こうと思います。

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闘う時間


1月4日の写真。一生懸命起き上がったところです。

今日1月6日で完全自宅看護8日目。
口から全く自主的に食べ物を受け付けなくなって13日目。

お水だけは自分から口をつけますが、
それも少し飲み込んだだけで、嘔吐反射が出て、しかも段々強くなっています。
「飲みたいな。でも…」と怖いものを見るような瞳でお水を見ます。

ウエッ!となってもほとんど何も吐き出さないのですが、
せめて水くらい、好きに飲めたらいいのに…と辛いです。

おしっこは沢山出るので脱水しやすくなっているようです。
現在、朝と夜に250CCの生理食塩水の点滴をしています。
今日、それでも辛そうな様子になったので
午後3時に50CCだけ点滴。

楽そうになりました。

水分って大切なんですね。



1月5日。
4日におこたを出しました。
おこたの側で寝るのが好きだったので、
くっつける感じでお布団を敷いてあげました。

5日は夜中の2時半からウーウー唸り出しました。
体が辛いのでしょう。
脱脂綿に含ませ少しずつお水を飲ませてやって、ブドウ糖液も含ませ、
一時間半背中をさすってやるとやっと眠りました。

その後もスヤスヤ寝入ったかと思うと起き上がってウエッとなるを
繰り返し、吐き気止めを少し早めに、
点滴も毎朝10時頃だったのを8時過ぎに早めました。

一緒の部屋に寝ていた私と姉も2時半から一睡もできす。
(日中にお昼寝しました)

しかも残念なことに、排水溝のような臭いが
口からハッキリ感じられました。

シャオの体内には大分毒素がまわっているという事なのでしょう。



5日は、それでも幸い午後になると穏やか~になりました。
夜中からすると嘘のように静かにスヤスヤ。

そして、今まで嫌がるのを「でも食べて」と口にいれていた栄養剤。
「どうせ残された時間が少ないなら、せめて好きだったもの・
口に入れて普通おいしいと感じるものを食べさせたい」と考えました。

姉が焼き芋を買ってきて潰し、ハチミツとブドウ糖α(ビタミン剤)を加えて
煮た物を少しだけ、口に入れてみました。

人間が食べてもおいしい味。

幸い、すこーしだけだけど、飲み込んでくれました。

それと、ブドウ糖液にハチミツとビタミン剤を混ぜたものも抵抗が低いです。

今日、「全体的に抵抗する力が落ちたのでは」と
再び嫌いなニュートリを試したら…力の限り拒否されました。

そんなに嫌いだったものを無理強いしてたんだ。ごめんね~!!

ニュートリを脇へ置いてサツマイモを与えたら
抵抗が全く違いました。

何も自分からは食べないから、好き嫌いもなにも全部嫌いになったのかと
思ったら、好き嫌いは残っていたんだねえ。
今までごめんね!

今日1月6日のシャオ。

昨日5日の夕方から先は、あまり静かにうとーっと寝てるので、
「もしかして、昏睡の始まりが来ているのかな」
と家族で話しました。

夜中にウーウー唸るのも、吐き気でウエッと苦しむのも、
それに比べれば眠っている方がずうっと楽そうで、
「眠ったまま…ならそれはそれで、その方がいいね」
と。

でも、いいのか悪いのか、今日は夕方まで眠りませんでした。

夜中は朝の5時くらいまで、2度程度ガバ!としただけで大体よくおねむ。

朝6時吐き気止め、8時半点滴。

午前中は割合楽そう。

でも午後から呼吸が荒く、心配しました。
今までより苦しそう。

今は夕方。
やっとお眠りモードです。

苦しそうな時はあまりにかわいそうで、
眠りだすとホッとします。

多分持って数日…ではないかと。
でも、静かに寝てると
「もう少し大丈夫かも」とも思います。

悪くなったり、落ち着いたり、一日の中でも
変化があって先が読めません。

安らかな時が多めであってほしい、と願います。

一緒に寝ている私たちも、もう半月以上まともに
朝までぐっすり寝たことがありません。

でも風邪もひかずに何とかやっています。

気力勝負~!

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シャオがんばってます



無事、三が日を過ごすことができました!
(昨日、我が家のガス機器が壊れました~。
お湯が出ません!正月三日になんてこと~!)

元気があるとは言えないけれど、一応小康状態です。

昨日の3日は立ち上がってリビングから廊下まで歩きました。
大晦日にちょっと歩いて以来、上体を起こすだけだったので、
「もう歩く姿は見られないかも」と思っていました。

さすがに足は萎えているけれど、歩く姿をみるだけで
まるで夢のようでした。

今日も台所まで水を飲みに歩きました。




本人としても、毎日同じ位置で寝るばかりでは嫌なのでしょう。

昨日は廊下で暫く寝ていました。
廊下で寝るのも好きだったので、歩けて良かったね。

しかし…どうもシャオが布団から起き上がろうとする時、
それは「私か姉(ごはん担当)が栄養剤をシャオの口に入れようとしている」と
感じる時、のような気がします。
(廊下に出た時とお水の時は違うけど)。

昨日など、2度も「シャオちゃん♪」と笑顔で声を掛けた瞬間、
「ガバ!」と立ち上がり逃亡を図られました(汗)。
こ、声を掛けただけなのに~!

食欲がまったくないシャオ。
ちょっとずつ口に入れてる栄養剤がわずかなエネルギー源です。
でもとーっても嫌みたい…。

そんなに嫌がるものを無理に与えるなんて、とも思います。
でも、そしたら点滴と吐き気止めだけして
置いておくことになり、それもできません。

特にニュートリ・スタット。
一番嫌がります。
「動物の好む味」と書いてありますが、何か魚臭い…。
私が具合の悪い時に無理やり口に入れさせられたら絶対嫌だな~!という風味。

でも、色んな栄養が入っているので捨てがたいのです(悩)。

クセのない栄養剤と色々合わせて
「少しでもましに感じるものを」と試しています。



朝の点滴後の写真。ポー。

急にこんな具合が悪くなってしまったシャオ。

色々胸の中に溜め込んでいるのでしょう。
今日、気分の悪さと感情の澱が混ざったような
「ウーウー」という声をしばらく出していました。
「怒ってるの?」と聞くと
声を大きくして「ウウー」と。
ほんとは、色々あれこれ言いたいことがあるんだろうな。


そんなシャオですが、
とってもエライと思うことが。

首を振ったり、唸ったりと嫌がる栄養剤。
それが、一日一回飲む吐き気止めの時は
同じ栄養剤なのに素直に口に入れさせるのです。

楽になる薬が入っているとわかっているかのようです。

関節炎の治療をしている時、薬を飲ませたくて
ミルクに入れたり色々しても
拒否したシャオが、です。
薬が飲めないから注射していたはずなのに、
ご飯も食べない今、飲み込むのです。

薬が切れかけて吐き気のある時に口に入れても、
吐き出さずに一生懸命我慢します。

私だったら吐き気のある時に吐き気止めを飲んでも、
まず間違いなく間もなく吐いちゃいます!

人間でもなかなかできないよ~
なんてえらいんだ!!
点滴もまったく嫌がりません。
君はえらい!!

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正月2日目

1月2日は割合と穏やかに過ごせています。
元旦の朝の騒動から、ドキドキして就寝したのですが、
夜もぐっすり眠れていました。

1階の和室にシャオ+3人で寝ています。
夜中に一度目覚ましを掛けて体位交換
(右向き寝と左向き寝の交換)が基本。

でも実際は様子が気になってちょこちょこ目が覚めるので、
ん~日々寝不足が。

シャオがぐっすり寝ていた昨夜は、人間もそこそこ眠れました。



朝になるとお布団をリビングに移します。
向きを変え、体を拭いてあげて、
下になっていた体をマッサージします。
今朝は父がブラシをかけてあげました。
血行促進になるかな?

それから栄養剤をくれたり、点滴をします。



今日は姉がシャオを膝枕してあげました。

病気なので、どうしても「笑顔」が出にくくなったシャオですが、
元々人とべったりが大好き。

久しぶりに幸せそうな顔が見られました。



うっとり満足そう。

夕方にも、こんな感じでしばらくねんね。

元旦クリアで、次の目標は三が日をクリアすることです。

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新年が迎えられました



シャオ、無事新年が迎えられました!

まずは目標の大晦日と元旦が叶いました。
本当にありがとう。

写真は昨日、大晦日のものです。

でも、今朝、1月1日はとても大変な思いをしました。

シャオが今しているのは朝250ミリリットルの生理食塩水の点滴。
それと腎臓に有害な無機リンを吸着してくれるという『レンジアレン』というサプリ。
そして吐き気止めのお薬セレニアです。

この吐き気止めのセレニア、脳の嘔吐中枢に作用して
24時間吐き気を止めてくれるという優れもの。
注射と錠剤両方あります。

ただ、5日連用したら休薬することがのぞましいのです。
できたら2日。
昨日はその休薬1日目。

「薬が切れたら大変なのでは」
という心配をよそに、むしろすごく穏やかに過ごすシャオ。

ほとんど一日寝て過ごしますが、水を飲みに起きてきたり、
宅配に吠えて起き上がったり、
「むしろいい感じでは!?」と思うぐらい。



大晦日の夜、寝たとこまでは大丈夫でした。

でも、夜中の2時頃からか段々吐き気が出てきて眠れず、辛そうに。
吐き気と言っても吐くものがないので「空吐き」です。

ついに朝5時近く、お薬を飲ますことにしました。
錠剤を粉にして、栄養剤に混ぜ、
ゆっくりゆっくり。
自分からなめるわけではないから、口に入れて。

なにしろ吐いてしまっては薬の意味がありません。

薬が効き出すには約1時間が目安。

「吐かないでね、楽になるからね」と体をさすり、声をかけ…

吐かないものの、あまりに息が荒く、早く、苦しそうです。

「このまま夜明けと共に旅立ってしまうのでは」と思い、朝6時、
2階に寝ていた家族も携帯で起こして呼び寄せました。

家族全員でシャオを囲み、軽くさすったり
たまに声をかけ、見守りました。

「元旦の朝にいってしまわないで~!」と祈りながら。

朝7時、苦しそうな息をするシャオに、
「意味はないかもしれないけど点滴するだけしよう」と決め、
息遣いを心配しながら用意し、点滴。

幸いな事に、点滴が始まると間もなく状態が落ち着き始めました!

山を取りあえず越えた感じです。

今はそれなりに穏やかに休んでいます。

(朝8時台のシャオ)

昨夜あまり水を飲まなかったので、脱水もしていたのかも知れません。

それにしても自宅に点滴と吐き気止めの錠剤があって良かったです。

病院が開くのは10時。
10時だったらもたなかったかも…と。

今朝病院に行き、朝1回の点滴を朝夕してもいいかと確認しました。
朝夕各200程度で。

休薬は1日弱しかできなかったけど、仕方ありません。

意識ははっきりしているシャオ。
おしっこもちゃんと出ます。

でも、
「ああ、いつどうなっても本当におかしくないんだな」と実感しました。
まだ毛もつやつやで、まつげも白くなっていないシャオ。
ガリガリというほど痩せてもいません。

「何でこんな病気に」と思ってしまいます。

もし回復しないなら、せめてあまり苦しまないように、と願っています。

ただ、29日にも具合が悪く、
「とても大晦日も元旦も無理そう」と思ったりもしたので、
2013年がシャオと迎えられて嬉しいです。
多分間違いなく、シャオと迎える最後の新年です。
大切に過ごします。

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