笑いとばしたら、心も晴れるさ。

人生、山あり谷あり、壁に耳あり障子にメアリー、
結構毛だらけ猫灰だらけ、おしりの回りは…わりと綺麗っ!!

授業参観&記念式典

2009-11-22 06:52:53 | 日記
昨日は娘の学校で授業参観と記念式典があった。
今年で創立50周年だそうだ。
授業参観は面白い。
毎回子供の様子より授業に見入ってしまう。
学生の頃より真剣に授業聞いてる。
しかし学生の頃真剣じゃなかったので、
何が何やらちっともわからん
数学なんて観た日にゃ脳細胞がパニックを起こす。
私は小学校3年で算数を放棄した人間だ。えっへん←威張ってどうする?
ってか「えっへん」って威張る奴今どきいねぇよ。
もっとも昔も「えっへん」って言う奴見た事ないけど。
話が逸れてしまった。
保健の授業はエイズについての授業だった。時代を感じる
私たちの頃にはエイズという言葉もなかった。
ましてや授業で性交渉という言葉が聞けるとは!わくわく
私らの性教育(これは特別枠?)はオシベとメシベ。
性教育は自力で覚えるものだった(笑)
娘の教科書で、天安門事件や湾岸戦争を見つけた時も驚いた。
ベルリンの壁やソ連の崩壊だって昨日の事じゃないか?
自分たちがリアルで生きた時代がすでに「歴史」なのだ。
そりゃ織田信長の子孫が、
ピチピチの衣装でスケートやってもおかしくない。
いかん。どんどん話が逸れてしまう

記念式典は眠かった。「一部」は拷問のように眠かった。
拷問に耐える筋合い?はない。遠慮なく寝かせてもらった。
娘の学校とはいえ、卒業生でない私がこの眠い式典に出たのは、
もちろん「二部」の相川選手目当てである。
相川には娘が7歳位の頃、ハマスタでサインをもらった。
相川がまだ若手のピチピチの頃だった。
背番号も59だし、サインもローマ字だった(笑)
握手を求めると快くしてくれた好青年だった。
まさか当時は先輩、後輩になるなんて夢にも思わなかった
卒業生である相川の講演は主に中学時代の思い出。
しかし「恋と部活」の話しかなかった(爆)
自分でも再三言っていたが、よっぽど勉強は怪しかったのだろう。
だからちょっと打ったくらいで、
メジャーに行きたいとFAしてしまったのだな。
そしてオファーがなくヤクルト移籍・・・何やってんだよ亮二
5・6位が常でチーム防御率が3点台後半のチームの正捕手が、
ちょ~っと3割打ってもメジャーから声はかからんで
でも私はそんな単細胞な野球選手って嫌いじゃない(笑)
コメント
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