古い物がもつ雰囲気はなんともいいね
自称永遠の24才の私は、
年を取るのに飽きてそれを放棄したが、
それなりな時間は過ごしている。
経験は知識となってくれるし、
出会いは助けとなってくれる。
もちろん苦難や葛藤もあり、
ネガティブに襲われる事もあるが、
そんな感情すらもやがて経験として役に立つ。
人間が丸くなるというのは、
そういった事を経験して、
自分の中で知識として吸収して、
レベルアップした技なのだろう。
ゲームの事はよくわからないが、
きのことかコインをgetすると、
なにがしの技が出来るようになるあれだ。
だからどんなにゲームが進んでいても、
(年を取ったとしても)
何の技も出来ない人もいれば、
若い人なのにゲームの達人もいる。
だからどんな経験も嘆き悲しむだけではダメだ。
いつまでもそこで止まっていては、
次のステージには上がれない。
たとえば親を亡くしたとしよう。
それ自体はとても悲しい出来事で、
特に親との関係が良いものであれば、
喪失感というのは大変なものだろう。
だが現実として、
葬儀の手配、諸々の準備、
親の友人知人への連絡、
やる事は山ほどあって泣く暇などない。
泣いてるだけでは葬式は出来ないのだ。
でも一度それを経験してしまえば、
その次に同じ事があった時に、
少しだけ泣く時間が取れるだろうし、
また他の誰かが泣く為の時間を与える事も出来る。
親が亡くなったとただ嘆き悲しむだけだった人は、
親を亡くして頑張って葬儀を行ってる子に対して、
「親が死んだのに涙一つ見せない非情な子」という、
心ない言葉を投げつける哀れな人になるだろう。
経験というのは人を成長させる為に必要な事なのだ。
私は気遣いが出来る人を尊敬する。
気遣いは経験と学びがあったからこそ、
人に出来る事だと思う。
時間は誰にも平等にある。
その時間を過ごす限り誰でも何かしらの経験をする。
それを生かすも殺すも自分次第だ。
何事も経験と言うが、
そこから何かを学んでこそ経験の意味がある。
最近は経験から何も学ばなかった大人が多くて、
何とも嘆かわしい。
人生ゲームはHappyに上がりたいものだ。