歌謡曲とか演歌というものを聴いて、まず最初に感じる疑問。
メロディーが先なのか詞(ことば)が先なのか?
作曲家と言われる人の、あの感情表現、描写は一体どこで聴いた音に根源があるのか?
言葉を発せるようになるまでは、赤子はただただ音声に頼っての感情表現が出来るだけ。
成長していく過程で聞いたさまざまな音が、というよりも、人は最初から感情表現としての
音を持っていたのではないか。
ごく限られた数の音しか持っていなかったのが、いろいろ体験して、その数も種類も豊富に
なってきて。やがて音と感情を上手く結びつけられるようになって。
自分の感情、想いをメロディーにそして詞に乗せて…そんな壮大な願望の第一歩。道険しき
世界。しかしながら所詮は遊びのことですから、なにも肩肘張る必要もないわけです。
のんびりやりましょう。
なにごともまずは、歴史から。音楽であれば、雅楽からでしょうが、時代が遠過ぎます。
民謡辺りからというのが、無難でしょうか。日本の民謡、どうせなら好きな津軽民謡から
にしましょうか。
人間の生活や風俗といったものは、その地域の自然と切り離せません。自然と深いつながりを
持っている訳で、どうしたって、その自然をよく観察してみないことには、人間もよく理解出来
ないことになります。ですから、津軽民謡も、まずは津軽の自然を、今であれば雪に覆われた
厳寒の津軽を体験して来ないことには。津軽の音を聴いて来なくてはダメだと思っています。
津軽三味線だけが津軽の音じゃないでしょう。日常のごくありふれた音だけど、これぞ津軽の音って
ものを聴きとって来なくては。
メロディーが先なのか詞(ことば)が先なのか?
作曲家と言われる人の、あの感情表現、描写は一体どこで聴いた音に根源があるのか?
言葉を発せるようになるまでは、赤子はただただ音声に頼っての感情表現が出来るだけ。
成長していく過程で聞いたさまざまな音が、というよりも、人は最初から感情表現としての
音を持っていたのではないか。
ごく限られた数の音しか持っていなかったのが、いろいろ体験して、その数も種類も豊富に
なってきて。やがて音と感情を上手く結びつけられるようになって。
自分の感情、想いをメロディーにそして詞に乗せて…そんな壮大な願望の第一歩。道険しき
世界。しかしながら所詮は遊びのことですから、なにも肩肘張る必要もないわけです。
のんびりやりましょう。
なにごともまずは、歴史から。音楽であれば、雅楽からでしょうが、時代が遠過ぎます。
民謡辺りからというのが、無難でしょうか。日本の民謡、どうせなら好きな津軽民謡から
にしましょうか。
人間の生活や風俗といったものは、その地域の自然と切り離せません。自然と深いつながりを
持っている訳で、どうしたって、その自然をよく観察してみないことには、人間もよく理解出来
ないことになります。ですから、津軽民謡も、まずは津軽の自然を、今であれば雪に覆われた
厳寒の津軽を体験して来ないことには。津軽の音を聴いて来なくてはダメだと思っています。
津軽三味線だけが津軽の音じゃないでしょう。日常のごくありふれた音だけど、これぞ津軽の音って
ものを聴きとって来なくては。