ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
-室生犀星の詩「小景異情」より引用-
********************
今朝の空を眺めながら
私の大好きな詩人『室生犀星』の詩を思いました
私は幼少期から
[育った環境] に長く留まる自分を
イメージできませんでした..
それは
そこが嫌い..だとかの理由とは異質な感情で
当然
未来の住処(生き方)は自分で求めて決めるもの
という気持ちが強かった..
[住み替え] を選択した一理にも通じます
そして現在(いま)に至りますが..
模索してきた自分の身の置き所としては
まずまず 満足感が得られています
やがて
亡父の一周忌法要です..が
明治~大正~昭和初期に
苦労して祖父が築いた[家]は
第二次大戦後に 父が譲り受けたものの
次の世代=戦争を知らない若者たち(姉 兄 私)は
親が赦すままに それぞれの[自由] を求めて..
兄も[ふるさと]を離れて新居を築いたので
もはや
菩提寺を参る機会以外には 縁も無くなり
まさしく『室生犀星』のごとく
ふるさとは遠きにありて思ふもの
となっています
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます