きょうは 空一面 雲 雲 雲...
昨日は夕食の話題から
子育て時代に思いを馳せてしまいましたが
つづきの話
息子が小学校時代
私はかなりシビアな職務に携わっていた。。。
息子の同級生のお母さんの中には
自分の理解を超えたわが家の生活を揶揄する人もいた。。
余計なお世話 ですね
家庭の在り方は 一律ではないし
理解しがたい という勝手な固定概念や
多数決の論理だけで
それを「一般的」と称して
「正しいこと」と思い込んでいる人の方が
楽なルーティンを ただ繰り返す日々で
何も新たな創意工夫も 学びもない
当時はこちら側も そんな風に感じていたり
親子の絆は その親子間ででしか築けない
他人の論理で測れるものではない
昭和時代の子育て学 でしょうか...
とにかく
子供には暇を与えないのが一番
みたいな...
特に男子は
暇を持て余すとロクな考えを働かせない
これは
暴走族とか
ツッパリの風潮が際立っていた
私の世代の教訓かも
そういう概念が根底にあったためか...
息子には
退屈をする暇がないくらい
打ち込むべきもの
というものに出逢わせたかった
小学校高学年以降は
息子が
『競泳選手』として活動するようになり...
息子の活動のために
365日無休で × 8年余
親としてのエネルギーを最大限発揮した歳月
過密なスケジュールの中でも
● 息抜きの時間
● 学習の時間
などなど
自分の体力&気力と照らして
無理をせず
しかし 怠けない
そういう 似て非なるものの本質を
幼い頃から自覚できるよう働きかけること
そこへの配慮はとても大切だったと感じています
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現代の子育ては
このコロナ禍も影響して...
昭和の時代のような大雑把では
うまくいかないことが多いのでしょうか?
でも...
いつの世であっても
親は 子どもの未来を想像して
親が失くても 子が生きられるように
自力を備えてやることだけ
親の役割とは その程度だと思うのです。。
Simple is best!
子育ての環境や価値観が違うと、お互い受け入れられないこともありますよね。
それでも、その人の性質がステキだと分かっていれば受け入れ合えますね、信頼でしょうか♬
現代も大雑把でもいいと思います。
「愛」があれば♬
子供が間違った方向にいこうとしていたら、本質を教えてあげる。
自由と放任を間違えなければいいのかな~と。
がんじがらめだと、子供の自立を損なってしまうし、思考力も育たないですものね。手をかけるところと、経験させるところ、このさじ加減が大切だなーと最近改めて感じています。
まだまだ修行中ですが(^▽^;)
応援p
ありがとうございます(^^;
>手をかけるところと、経験させるところ、
このさじ加減が大切だなーと最近改めて感じています。
↑ ↑
私は、息子が大学に入るまでの
中高生時代のの子育て期には
まず、息子がハードスケジュールだったのと
仕事をフルにしながらの対応で夢中だったので
ハピさんのように冷静な自己分析に基づいた
客観的な考えを持ち合わせていたか?否か?(苦笑)
ただ..
親子ともども多忙な日常での絆=軸として
息子の活動があったこと
そこでのスクラムが組めていたこと
そういう歳月を通して
やるべきことが明確にあって
暇を持て余すことのない24時間/1日
そんな生活でも
考えたり学ぶ時間があったこと
親子で そういう歳月を共有できたことが
私の宝物になっているのは確か
ハピさんの勤勉さには敬服しています