完全フィクション

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日本の酒文化を見直すとき

2018-04-26 11:00:04 | 日記
国分太一、山口のアルコール通院認める「病院に行ってお酒と向き合っていた」

自分たちが若い時と、お酒に関する環境や社会価値観が異なってきていることについていけてないっていう面があるんじゃないか。
かつては、「ちょっとお酒のんで運転する」っていうのは地域にもよるけれど、社会的に甘い対応だった。
大学生のときに、「飲み過ぎて、どうやって運転して帰ってきたか覚えてない」とかいう話を普通に友人同士でしていた。
お酒の席の無礼講っていうのも、いまより酷くて、度が過ぎていた。

いまは、「かつては『酒の席だから仕方が無い』と我慢していた(させられていた)被害者」が、黙っていなくなった。
千葉市立大の医者が、看護婦に酒の席でセクハラをして訴えられたりしているが、今まで我慢してきた被害者が声をあげるようになった。
そのことに、「加害者」がついていけてない~「自分が加害者である自覚がない」。

いまでも、大学病院などでアルコールの席においてセクハラやパワハラがある。
そして、対象が「女医」になってきた(看護師に対しても相変わらずあるが…)。
その理由は「黙らせやすい対象」というのが、看護婦から女医にシフトしているからだろう。
既に、「医者が看護婦を支配する」という構造が崩れて、「医者によるパワハラ・セクハラ」に対して若い看護婦は抵抗し声をあげるようになった。
それに対して、「男性上司の医者が、部下の女医を支配する」という構造は崩れておらず、強化されているケースもある。

日本が飲酒に対して寛容な社会であることは、これまでも指摘されてきた。
昼間に子供たちが遊ぶような公園で、大人が飲酒をしていても、通報されることはない。
通報されたとしても、実際に暴力を奮ったりという被害がなければ警察は動かない。
神経質な母親が、何十回も通報をして、警察が来たとしても、注意するだけで逮捕も拘束もなければ、退去すらない。

この状態に甘んじてきた世代は、これから考えを改めなければ『飲酒老害』となるだろう。

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