◯児玉誉士夫昏睡の理由
1976年2月、ロッキード事件が発覚した。ロッキード社から児玉誉士夫に渡った30億円(現在価値300億円)の内、21億円は対潜哨戒機P3C選定資金に使われたと見られている。この「児玉ルート」において、当時防衛庁長官であった中曽根康弘は関係が疑われた。
米国から提供された資料を元に検察は捜査を進め、児玉誉士夫に事情聴取をおこなったが、東京女子医大の喜多村孝一教授による高血圧症によるドクターストップで捗らなかった。
喜多村部下だった天野恵市氏の証言では、児玉の証人喚問の予定日だった76年2月16日午前11時頃、喜多村氏は睡眠作用のある薬物「フェノバールとセルシン」を投与するために児玉邸に出向いていた。
当日喜多村氏は「国会出頭は無理」と診断し「国会不出頭届」を提出する。
衆院予算委員会理事会は同日正午過ぎ、国会医師団の派遣を決定した。医師団は午後10時ごろに児玉邸に到着したが、「重度の意識障害で証人喚問は無理」という結論を出した。これにより、このまま児玉氏の証人喚問は立ち消えになり、「児玉ルート」の真相は解明されることは無くなった。
当時、中曽根康弘は児玉と最も深い仲であり、自民党幹事長として国会事情に精通していた。
76年2月18日、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)が米国大使館の関係者に接触し「この問題をもみ消す(MOMIKESU)ことを希望する」との要請をした。
裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」というが理由である。
◯狙われた児玉誉士夫
児玉はCIAエージェントであった。CIAの評価は
「自身の富や権力を得ることが目的で、母国の将来には関心がなかった。諜報員としての価値はないに等しい」
「(児玉は)一貫した思想はなく時の権力者と巧みに取り入り財を受るか、名を受るかの実利主義者である。」
と児玉を酷評している。
「政治の舞台裏の策略にかなり関わった」とも言及している。
児玉誉士夫は鳩山一郎の他にも、37年頃から重光葵とも親しくしていた。
戦前の児玉が外務省の情報員として雇用されていた。戦時中に重光が外務大臣をしていたことも関係していると思われる。
41年12月、海軍航空本部の依頼で上海に物資調達を目的とした特務機関「児玉機関」を設立した。
児玉機関は大量の貴金属類を集めることに成功、終戦後の混乱に乗じて密かに朝日新聞社機に乗せて日本国内への持ち込んで隠匿した。
約半分はGHQに没収され、残った半分が45年10月鳩山一郎による日本自由党結成の資金に使われた。
戦後になると、重光が所属していた改進党に児玉を経由して保全経済会名義で4千万円の寄付がなされた。
吉田茂の吉田政権下で、鳩山一郎は吉田茂と敵対していた。児玉は吉田茂を「アメリカのヒモだ」と発言していた。それどころか、右翼や元軍人を集めた会合の席で「吉田内閣転覆のために武力が必要」との意見を述べている。
54年11月、児玉が画策していた通りに鳩山一郎を総裁、重光葵が副総裁となる民主党が結成され、翌12月には鳩山が首相に就任、重光が副総理兼外務大臣になった。
55年11月に、民主党と自由党との保守合同が実現し、現在の自由民主党が成立する。やはり、鳩山一郎、重光葵、大野伴睦、河野一郎といった面々が児玉誉士夫と繋がっていたとされている。
56年、河野一郎外務大臣は全権代理として当時のソビエトのフルシチョフとの交渉に及んで、それが日ソ国交回復に繋がった。
自民党内や極右団体にはソビエトとの交渉に反対する勢力があり、極右団体によって鳩山一郎及び河野一郎が暗殺される可能性があった。これを児玉が睨みを利かせて抑え込んだ。
◯田中・キッシンジャー秘密会談
キッシンジャーは、71年7月9日に極秘に訪中し、周恩来首相と会談し、リチャードM.ニクソン大統領(President Richard M. Nixon)の訪中を固めた。ニクソンは71年7月15日に訪中計画を公表、翌72年2に訪中を実現した。 72年7月に首相に就任した田中角栄は、同年72年9月に訪中して日中国交正常化を実現した。つまり、米中国交正常化よりも日中国交正常化は後に行われているのであり、この件でニクソンに先行して締結したわけではない。
72年8月31日、田中は中国訪問に先立ってハワイでニクソンと首脳会談を行なった。
実はこの時に田中はニクソンから日米間の裏交渉ルートについて提案されている。田中の前任の佐藤栄作との間では京都産業大学教授の若林敬が密使となり、偽名を使ってヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(Henry Alfred Kissinger/1923 - )と連絡を取り合っていた。若泉は内閣調査室(現・内閣情報調査室)の人物であり、沖縄返還に関わる核密約交渉に当った。ニクソンの狙いは佐藤内閣との密約の保持などにあったと推定される。 これは私の推測だが「核密約」には米核兵器用プルトニウム調達も含まれており、日本のプルサーマル計画は米国のPu239濃縮作業の肩代わりだろう。
◯資源の自主調達
田中角栄が米国に狙われたのは、大方ではブレジネフとの会談で提案されたソ連チュメニ油田の自主調達ルート確保にあったとの見方がなされている。
戦後のフィクサーとしては、児玉誉士夫以外には【田中清玄】が有名である。
田中清玄は丸善石油を媒介にアブダビの海上油田開発に関わり、中東石油を日本に持ち込む橋渡しを行いオイルショック時の危機を救った。
児玉はインドネシアでの石油権益を得るために岸信介・河野一郎らはスカルノと組んでいた。
これに対して、田中清玄は田中角栄と反スカルノ派のスハルト将軍と組むお膳立てをした。これを潰そうとCIAがインドネシア現地で反田中世論を作り上げ、田中が空港に着陸するときには、あちこちで火の手が上がっていた。
田中角栄が首相になってから、北海油田の開発に関わったが、事前に情報漏えいが起きて失敗している。角栄は資源外交で東奔西走した。その裏には田中清玄がいた。
田中角栄はフランスからウラン燃料調達に成功しており、それまで10割が米国製だったウラン燃料の内、3割が仏製になった。
63年11月9日、田中清玄は東声会組員・木下陸男に銃撃される。3発被弾するも一命を取り留める。田中清玄は自伝『木下陸男は、児玉誉士夫からの差し金で、金をもらってやった』と書いている。
東声会は1973年の金大中拉致事件との関与を警視庁に疑われていた。児玉と盟友の町井久之(鄭建永(チョン・ゴンヨン)山口組系東声会会長)が拉致現場となったホテルのフロア-をほとんどすべて借り切りKCIAに協力した、と言われている。
様々な米公文書が公開されてきている現在では、ロッキード事件における米国の狙いは、最初から児玉誉士夫にあったと考える者もいる。児玉は日本の政界と裏社会を取り持ち、武力行使で政治を動かそうとした。米国は日ソ国交回復の裏の立役者であったことから児玉を注目していたのだろうが、金大中事件で一気に排除に動いたと考えられる。
参考
ロッキード事件揉み消しを米政府に依頼した中曽根氏
https://ameblo.jp/aratakyo/entry-10458517313.html
平野貞夫 権力に屈した朝日新聞
https://note.mu/gekkan_nippon/n/n26ddea231819
特捜検事を騙した医師
ー脳梗塞を捏造した脳外科医:ロッキード事件は検察が政争の具として使われた結果に過ぎなかったー
https://square.umin.ac.jp/massie-tmd/fakestroke.html
ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書 朝日新聞
https://blogs.yahoo.co.jp/minahidetyan/9045130.html
1976年2月、ロッキード事件が発覚した。ロッキード社から児玉誉士夫に渡った30億円(現在価値300億円)の内、21億円は対潜哨戒機P3C選定資金に使われたと見られている。この「児玉ルート」において、当時防衛庁長官であった中曽根康弘は関係が疑われた。
米国から提供された資料を元に検察は捜査を進め、児玉誉士夫に事情聴取をおこなったが、東京女子医大の喜多村孝一教授による高血圧症によるドクターストップで捗らなかった。
喜多村部下だった天野恵市氏の証言では、児玉の証人喚問の予定日だった76年2月16日午前11時頃、喜多村氏は睡眠作用のある薬物「フェノバールとセルシン」を投与するために児玉邸に出向いていた。
当日喜多村氏は「国会出頭は無理」と診断し「国会不出頭届」を提出する。
衆院予算委員会理事会は同日正午過ぎ、国会医師団の派遣を決定した。医師団は午後10時ごろに児玉邸に到着したが、「重度の意識障害で証人喚問は無理」という結論を出した。これにより、このまま児玉氏の証人喚問は立ち消えになり、「児玉ルート」の真相は解明されることは無くなった。
当時、中曽根康弘は児玉と最も深い仲であり、自民党幹事長として国会事情に精通していた。
76年2月18日、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)が米国大使館の関係者に接触し「この問題をもみ消す(MOMIKESU)ことを希望する」との要請をした。
裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」というが理由である。
◯狙われた児玉誉士夫
児玉はCIAエージェントであった。CIAの評価は
「自身の富や権力を得ることが目的で、母国の将来には関心がなかった。諜報員としての価値はないに等しい」
「(児玉は)一貫した思想はなく時の権力者と巧みに取り入り財を受るか、名を受るかの実利主義者である。」
と児玉を酷評している。
「政治の舞台裏の策略にかなり関わった」とも言及している。
児玉誉士夫は鳩山一郎の他にも、37年頃から重光葵とも親しくしていた。
戦前の児玉が外務省の情報員として雇用されていた。戦時中に重光が外務大臣をしていたことも関係していると思われる。
41年12月、海軍航空本部の依頼で上海に物資調達を目的とした特務機関「児玉機関」を設立した。
児玉機関は大量の貴金属類を集めることに成功、終戦後の混乱に乗じて密かに朝日新聞社機に乗せて日本国内への持ち込んで隠匿した。
約半分はGHQに没収され、残った半分が45年10月鳩山一郎による日本自由党結成の資金に使われた。
戦後になると、重光が所属していた改進党に児玉を経由して保全経済会名義で4千万円の寄付がなされた。
吉田茂の吉田政権下で、鳩山一郎は吉田茂と敵対していた。児玉は吉田茂を「アメリカのヒモだ」と発言していた。それどころか、右翼や元軍人を集めた会合の席で「吉田内閣転覆のために武力が必要」との意見を述べている。
54年11月、児玉が画策していた通りに鳩山一郎を総裁、重光葵が副総裁となる民主党が結成され、翌12月には鳩山が首相に就任、重光が副総理兼外務大臣になった。
55年11月に、民主党と自由党との保守合同が実現し、現在の自由民主党が成立する。やはり、鳩山一郎、重光葵、大野伴睦、河野一郎といった面々が児玉誉士夫と繋がっていたとされている。
56年、河野一郎外務大臣は全権代理として当時のソビエトのフルシチョフとの交渉に及んで、それが日ソ国交回復に繋がった。
自民党内や極右団体にはソビエトとの交渉に反対する勢力があり、極右団体によって鳩山一郎及び河野一郎が暗殺される可能性があった。これを児玉が睨みを利かせて抑え込んだ。
◯田中・キッシンジャー秘密会談
キッシンジャーは、71年7月9日に極秘に訪中し、周恩来首相と会談し、リチャードM.ニクソン大統領(President Richard M. Nixon)の訪中を固めた。ニクソンは71年7月15日に訪中計画を公表、翌72年2に訪中を実現した。 72年7月に首相に就任した田中角栄は、同年72年9月に訪中して日中国交正常化を実現した。つまり、米中国交正常化よりも日中国交正常化は後に行われているのであり、この件でニクソンに先行して締結したわけではない。
72年8月31日、田中は中国訪問に先立ってハワイでニクソンと首脳会談を行なった。
実はこの時に田中はニクソンから日米間の裏交渉ルートについて提案されている。田中の前任の佐藤栄作との間では京都産業大学教授の若林敬が密使となり、偽名を使ってヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(Henry Alfred Kissinger/1923 - )と連絡を取り合っていた。若泉は内閣調査室(現・内閣情報調査室)の人物であり、沖縄返還に関わる核密約交渉に当った。ニクソンの狙いは佐藤内閣との密約の保持などにあったと推定される。 これは私の推測だが「核密約」には米核兵器用プルトニウム調達も含まれており、日本のプルサーマル計画は米国のPu239濃縮作業の肩代わりだろう。
◯資源の自主調達
田中角栄が米国に狙われたのは、大方ではブレジネフとの会談で提案されたソ連チュメニ油田の自主調達ルート確保にあったとの見方がなされている。
戦後のフィクサーとしては、児玉誉士夫以外には【田中清玄】が有名である。
田中清玄は丸善石油を媒介にアブダビの海上油田開発に関わり、中東石油を日本に持ち込む橋渡しを行いオイルショック時の危機を救った。
児玉はインドネシアでの石油権益を得るために岸信介・河野一郎らはスカルノと組んでいた。
これに対して、田中清玄は田中角栄と反スカルノ派のスハルト将軍と組むお膳立てをした。これを潰そうとCIAがインドネシア現地で反田中世論を作り上げ、田中が空港に着陸するときには、あちこちで火の手が上がっていた。
田中角栄が首相になってから、北海油田の開発に関わったが、事前に情報漏えいが起きて失敗している。角栄は資源外交で東奔西走した。その裏には田中清玄がいた。
田中角栄はフランスからウラン燃料調達に成功しており、それまで10割が米国製だったウラン燃料の内、3割が仏製になった。
63年11月9日、田中清玄は東声会組員・木下陸男に銃撃される。3発被弾するも一命を取り留める。田中清玄は自伝『木下陸男は、児玉誉士夫からの差し金で、金をもらってやった』と書いている。
東声会は1973年の金大中拉致事件との関与を警視庁に疑われていた。児玉と盟友の町井久之(鄭建永(チョン・ゴンヨン)山口組系東声会会長)が拉致現場となったホテルのフロア-をほとんどすべて借り切りKCIAに協力した、と言われている。
様々な米公文書が公開されてきている現在では、ロッキード事件における米国の狙いは、最初から児玉誉士夫にあったと考える者もいる。児玉は日本の政界と裏社会を取り持ち、武力行使で政治を動かそうとした。米国は日ソ国交回復の裏の立役者であったことから児玉を注目していたのだろうが、金大中事件で一気に排除に動いたと考えられる。
参考
ロッキード事件揉み消しを米政府に依頼した中曽根氏
https://ameblo.jp/aratakyo/entry-10458517313.html
平野貞夫 権力に屈した朝日新聞
https://note.mu/gekkan_nippon/n/n26ddea231819
特捜検事を騙した医師
ー脳梗塞を捏造した脳外科医:ロッキード事件は検察が政争の具として使われた結果に過ぎなかったー
https://square.umin.ac.jp/massie-tmd/fakestroke.html
ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書 朝日新聞
https://blogs.yahoo.co.jp/minahidetyan/9045130.html
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます