ロング・ロング(最後まで読めるかな?)


昔のお正月の遊びといえば・・・
リッキーパパの少年時代は、50円玉を握って(しかも、磁石でくっつく50円玉)駄菓子屋に走り、30円のやっこ凧と10円の凧糸を2つ買って、マッハのスピードで家に帰り、新聞紙を細長く切り、手と足をつけて、糸巻きに凧糸をつけてスタンバイOK。


 我がふるさとの尾道は、い草の畑が多いので、冬場はただの空き地になることが多い。
そこは子どもたちの遊ぶための設備となる。
三角ベースや石蹴り、ビー玉遊びやミニゴルフ、銀玉鉄砲を使ったコンバットゲーム、チャンバラ、想像力次第で何でもありのアミューズメントに早変わりしていました。


 そこで凧揚げをしていると、誰かがよってくる。数分、その少年たちは、うらやましそうに眺めていたかと思うと、さっと家の方に走り、しばらくすると凧を持ってくるのである。


だいたい、この頃の凧と言えば、その年流行したマンガのキャラクターが描かれていた。もちろんオーソドックスにやっこさんを描いたものもあったが・・・

キャラものは10円の凧に多かったと思う。主に男の子向けであったが。

(いっておきますが、現在のビニール製の凧とは違い、当時は竹ひごに紙が貼ってある『純和風』の凧のことを凧といい、現在の凧は『洋風』で、初めは『ゲイラ』といって1つ2000円もしたと思う。しかも、コマーシャルまでして。そのキャッチコピーが『真上に跳ぶ凧』であった。)


 しばらくすると、まわりは凧揚げの子どもたちでいっぱいとなる。

しかも年齢層は自分よりもずいぶんと年下のガキンチョばっかり。
こうなると妙に恥ずかしくなるもので、仕方なく、糸を巻きながら凧を降ろし、最高の凧揚げポイントへと移動する。

そこは






そう、山の上である。


ここからあげると町の家々の頭上に凧がゆうゆうと飛んでいくので爽快感が違う。私は、山に行くことを家の者にひとこと告げて上り始める。


(ちなみに、ここは現在 備後広域公園となり、陸上競技場や温水プール、家族で遊べる公園などがドカーンとあるところなのだが・・・)


そこで、しばらくあげていると、4つ年上の兄と、いとこたち(総勢5名)が上ってきた。手には思い思いの凧をもって・・・

兄の凧は10円のヤダモンのキャラのものであった。

10円の凧は、ほとんどの子どもたちがパスする代物で、不良品が多く、まっすぐ上がらなかったり、背中のひごがすぐに折れたりして、実に確実性のない凧であった。

おまけに一回り小さい。

子どもたちの間には、高いものがいいもので、安いものは悪いもの。と、相場が決まっていた。10円凧を買う奴は小遣いがない奴ぐらいに思っていた。



その、キャラものに長い長いしっぽを1本つけて、両手の部分は省略して得意げな顔をして兄貴は持ってきたのだ。


お金がないのかと思いきや、そうではなく、兄貴は凧糸に命をかけており、何十円かけたのかは分からないが、すごい長さになっていた。



いとこの凧は、これもオーソドックスな四角の凧。赤色に黒の墨で『龍』と書いてある。両足は長く、実にバランスがいい。


もう一人のいとこは、普通の奴凧なのだが、糸巻きが変わっており、釣り竿にリールをつけてまるで魚釣りのように操っている。

(これはいい方法です。お試しください。)

 ここで、負けず嫌いな少年リッキーパパは

(当時はね、そう思ってたけど。今は負けるが勝ち!だよ)
駄菓子屋に走って、30円の糸巻きを購入。

これは、凧の力で糸が出るときはフリーに糸巻きが回転し、止めたいとき(たぐりあげたいとき)←(このテクニックが分かるかな?)は、糸巻き押さえの棒をスライドさせる。まぁ巻き取りの聞かない裁縫道具の巻き尺のようなものです。




 さて、こいつを使って凧をぐんぐん上へ上げていったのですが、どの凧もしっかり揚がっているので、あとは糸の長さがものを言う。


 私の凧は50メートルなのだが、いとこの竿の凧は100メートル。これには参った。






しかし、それらの凧よりもひときわずーーーーーーーっと遠くに上がっている米粒のような凧がひとつ。


 そいつは、長いしっぽを一本ぶら下げた、10円のキャラものなのだ。
しっかりととんがった角、丸い大きな目玉、口からペロッと出した舌、おなかのポケット、カワイイしっぽ。紛れもなく

『ヤダモン』


 そう、兄貴の凧だった。こちらの予想を遙かに超えて、その凧は300メートルも飛んでいた。


現在地が竹屋の山なので、となりの川上まで届いているのではないか?

誰もがそう思った。どの辺まで糸がのびているのか見るために私は山を一度下りて、凧の様子をうかがった。


 なんと、間違いなく山裾の川上まで届いているように見えたのだ。これはスゴイ!。もう一度上って兄貴に知らせよう。


 息せきかけて、頂上に登って『あのね~川上の』まで言い終わらないうちに







『ブチッ』



なんと、ヤダモンは長い凧糸を引きずりながら、米粒からノミのようにどんどん遠ざかっているではないか・・・


 兄貴の手元から約10メートル先の糸が切れてしまったのである。あわてて追いかけるが目の前の松の木がじゃまでそれ以上追えない。







兄貴から鬼のような命令が下る。




『おい!。凧取ってこい。』(エーーーーーーーーーーーッ)



まさに、鬼である。正月の風に乗った凧を持ち主でもない自分がなぜ?と自問自答することさえ許されない雰囲気を醸し出しているので、ここは一応取りに行くふりでもしておこう。



 一目散に山を駆け下り、道路に出てしばらくは追ってみたが、ノミのようになったヤダモンはとうとう、星くずになってしまいました。

しかも、山の頂上の高さを保ったまま。

今思えば、
芸術的ともいえる凧の飛翔でした。



凧糸は斜めにダラーンと垂れ下がってはいるものの、決して地面には着いておらず、一定の高さを保ちながら川上から栗原を超え、あの方向から考えると千光寺の方向へ飛んでいったと思われる。




千光寺を越えたら尾道水道を越えて、向島、その先の四国まで飛んでいったかな?


兄貴の10円凧は、当時の私たちにもたらしたミラクルであり、今や伝説となってしまった。
10円の安物と笑うべからず! 工夫次第で30円の凧をも越える。

みんなも凧揚げに挑戦しよう。
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