「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

●第四章  〈伊藤〉という名の ふじ子

2016-12-30 23:58:12 | 一場の春夢――伊藤ふ...

●第四章  〈伊藤〉という名の ふじ子

 

冒頭で紹介の南(旧姓小沢)路子は多喜二の後に、「藤倉工業」にオルグとして派遣され、多喜二たちの闘争をたどっている。そのレポートは「女工 マツ子」名で「赤旗」に掲載された。

――(大崎労働者クラブ)に集まる「藤倉工業」の皆の不満はひどかった。一人が「プロレタリア小説家の小林さんを知っているからあの人に頼んで来てもらって、皆を集めたらどうだろう?」と提案した。それも未組織の人を大衆的に集める方法なので、早速一人だけ工場を早引きして、小林多喜二に頼みに行った。多喜二は非常に親切に、何から何まで世話を焼いた。馘首が二十日先に迫った時「小林多喜二の小説の話を聞く会」という名目で公然と二十数名余りの男女女工を集めることに成功した。小説の話なんか聞かないうちに、工場長や、重役や組長などの悪口が飛び出したり、既に二回まかれた工場新聞の話が出たり、エロ話に脱線したりした。――「小父さん、あたい達の工場のこと小説に書いてよ」とか男女工が話かけるのに対して、同志小林はニコニコして答えていた。「君達の工場の事を小父さんだって書きたいのだが、何時も監督におどかされて恐々していますだの、大人しく馘になりました、なんて事はみっともなくて書けないじゃないか。今度の首切りなんか、君達がまっさきに起って、反対するんだね、そうすれば小父さんも××の従業員はこんなに偉いんだと大威張りで小説に書くよ」などと答えたりした。多喜二の励ましによって、ほとんど全部が未組織であるにもかかわらず「どんなにして馘首に反対するか」「如何にして従業員大会を開くか」「俺がビラを持ち込む」という元気な青年さえ出てきた。

多喜二は「党生活者」で、この闘争を以下のように描いた。

―太田のあとは伊藤ヨシが最近メキ/\と積極的になった。弾圧の強襲が吹き捲っているときに、積極性を示すものは仲々数少なかったのだ。彼女は高等程度の学校を出ていたが、長い間の(転々としてはいたが)工場生活を繰りかえしてきたために、そういう昔の匂いを何処にも持っていなかった。

―伊藤は警察に捕る度に母親が呼び出され引き渡されたが、半日もしないうちに又家を飛び出し潜ぐって仕事を始めた。母親は、娘が捕かまったから出頭しろという警察の通知が来ると喜んだ。そして警察では何べんもお礼を云って帰ってきた。三度目か四度目に家へ帰ったとき、蔭ながらのお別れと思い、伊藤は久し振りで母親と一緒に銭湯に行った。ところが母親はお湯屋で始めて自分の娘の裸の姿を見て、そこへヘナ/\と坐ってしまった。伊藤の体は度重なる拷問で青黒いアザだらけになっていた。彼女の話によると、そのことがあってから、母親は急に自分の娘に同情し、理解を持つようになったというのである。「娘をこんなにした警察などに頭をさげる必要はいらん!」と怒った。その後、「ただ貧乏人のためにやっているというだけで、罪もない娘をあんなに殴ぐったりするなんてキット警察の方が悪いだろう」と母親は会う人毎にそう云うようになっていた。――自分の母親ぐらいを同じ側に引きつけることが出来ないで、どうして工場の中で種々雑多な沢山の仲間を組織することが出来るものか。

 

ここは、ふじ子とその母とのエピソードがそのまま生かされているといっていい。ふじ子は検挙され、大崎署に連行された。特高のテロはすさまじいものだった。当時の活動家の証言によると五~六人がかりで帯や着物を引きはぎ素っ裸にして取り囲むと、こわれた肘かけイスの釘の出ている木片で両足を殴りつけ、太ももを靴でけるなどの暴力をくわえ、さらに、うら若き女性にたえ難い野獣のような凌辱をさえもくわえたという。ふじ子が受けたテロも同様なものだったろう。古賀「無名の情熱――伊藤ふじ子」にも、「女であることをもって凌辱的拷問を受けたという。」と書かれている。「党生活者」では、「伊藤も二度ほど警察で、ズロースまで脱ぎとられて真ッ裸にされ、竹刀の先きでコヅキ廻わされたことがあったのだ。」とこのエピソードが描かれている。

〈伊藤〉の下宿の「鏡台を見ると立派で、黄色や赤や緑色のお白粉まで揃っている」という生活を紹介し、

――未組織をつかむ彼女のコツには、私は随分舌を巻いた。少しでも暇があると浅草のレビュウへ行ったり、日本物の映画を見たり、プロレタリア小説などを読んでいた。そして彼女はそれを直ちに巧みに未組織をつかむときに話題を持ち出して利用する。(余談だが、彼女は人眼をひくような綺麗な顔をしている)

―彼女はそれから自分たちのグループを築地小劇場(左翼劇場)の芝居を見に連れて行ったことを話した。労働者だとか女工だとかゞ出てきて、「騒ぎ廻わる」ので吃驚りしてしまったらしかった。終ってから、あれは芝居じゃないわ、と皆が云う。 伊藤が、何気ないように、どうせ俺ら首になるんだ、おとなしくしていれば手当も当らないから、あの芝居みたいに皆で一緒になって、ストライキでもやって、おやじをトッちめてやろうかと云うと、みんなはニヤ/\して、「ウン……」と云う。そしてお互いを見廻しながら、「やったら、面白いわねえ!」と、おやじのとッちめ方をキャッ/\と話し合う。それを聞いていると、築地の芝居と同じような遣り方を知らず識らずに云っていた。

――工場で一寸ちょっと眼につく綺麗な女工だと、大抵監督のオヤジから、係の責任者から、仲間の男工から買物をしてもらったり、松坂屋に連れて行ってもらったり、一緒に「しるこ屋」に行っておごってもらったりする。伊藤は見込のありそうな平職工だと誘われるまゝに出掛けて行ったし、自分からも勿論誘うようにしていた。それで彼女は工場には綺麗に顔を作って行った。

――工場のオルグをやると、どうしても白粉ッ気が多くなるが、細胞の会合のときに伊藤は今まで一度も白粉気のある顔をしてきたことがなかった、又その必要もなかったので。フト見ると、ところが伊藤は今迄になく綺麗な顔をしていた。

 

この二つのエピソードは、左翼劇場の女優・ふじ子の姿であるだろう。〈伊藤〉もまた、伊藤ふじ子という女性を素材としたものだった。

 


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