「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

田辺耕一郎「レーニン的作家としての同志小林多喜二」 1933年5月

2010-02-28 00:32:11 | takiji_1932
一九三二年あらゆる消息を絶つて地下に潜入する前まで彼はタンネンに下書をして更に二度も稿をあらためずには満足しない作家であつた。執筆してゐるとき彼は油が乗つてくるとペンを擱くのだと語つてゐた。油が乗つてきてペンが上辷りすることを惧れるほどの鋭い芸術家的良心であつた。(中略)
 消息を絶つて地下潜入のまへ同志小林は文化・文学運動のあの歴史的な方向転換の渦中に書記長として多端な活動をしながら小さな時間をみつけては時計を机の上に置いて一枚かき二枚かきしてゐた。
 しかし、運動の進展は、指導者としての彼から、つひにその小さな時間と書斎をも奪つてしまつた。そこで彼はペンと原稿用紙と一冊のレーニン主義の本とを小さな風呂敷包みにしてそれを懐に入れて駆け廻りどこでも取り出して書いた。一九三一年から三二年の春へかけてのことである。
「努力だよ。俺達にとつてこれ以外になにがある! レーニンの努力を見ろ。バルザツクの努力を見ろ!」
 かつて同志小林多喜二は私にかう語つたことがあつた。

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