「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

第二章 「党生活者」のおんな

2016-12-30 23:53:30 | 一場の春夢――伊藤ふ...
  • 第二章 「党生活者」のおんな

 

―今まで一二度逃げ場所の交渉をして貰った女がいた。その女は私(警察の追及によって地下活動に潜行している―主人公佐々木安治―引用者註)が頼むと必ずそれをやってくれた。女はある商店の三階に間借りして、小さい商会に勤めていた。左翼の運動に好意は持っていたが別に自分では積極的にやっているわけではなかった。

―私は笠原に簡単に事情を話して、何処か家が無いかときいた。

女の友達なら沢山頼めるところがあるのだが、「君、男だから弱る」と笠原は笑った。

「こゝは、どうだろう……?」

 私は思いきっていい出した

「…………!」

 笠原は私の顔を急に大きな(大きくなった)眼で見はり、一寸息を飲んだ。それから赤くなり、何故かあわてたように今まで横坐りになっていた膝を坐り直した。

 しばらくして彼女は覚悟を決め、下(大家さん―引用者)へ降りて行った。S町にいる兄が来たので、泊って行くからとことわって来た。だが、兄というのはどう考えてもおかしかった。彼女は簡素だが、何時でもキチンとした服装をしていて、髪は半断髪(?)だった。そこにナッパを着た兄でもなかった。彼女がそういうと、下のおばさんは子供ッぽいふじ子の上から下を、ものもいわないで見たそうである。

 

ここは、ふじ子との暮らしを素材としていると思ってもまちがいはない。ふじ子は多喜二の七つ年下「幼い」おもざしの二十歳の女性で、銀座のデザイン事務所に勤める半断髪のモダンガールで、兄もいた。また、実際に活動家をサポートする活動もしていたからだ。

 

―蒲団は一枚しか無かった。それで私は彼女が掛蒲団だけを私へ寄こすというのを無理に断って、丹前だけで横になった。電燈を消してから、女は室の隅の方へ行って、そこで寝巻に着換るらしかった笠原は朝までたゞの一度も寝がえりを打たなかったし、少しでも身体を動かす音をさせなかったのである。私は、女が最初から朝まで寝ない心積でいたことをハッキリとさとった。

 

主人公・佐々木安治が〈笠原〉と同居を始めるきっかけは、愛情からではなく、佐々木が帰るべきところを失い、その一夜の宿を求めたことに〈笠原〉が同意したことに始まる。

一つ部屋で一夜を過ごす若い男女。当然、そこには性的欲求の衝動がある。かつて、多喜二は小説「オルグ」でそういう場面を妄想し、描こうとしたことがあった。「オルグ」ノート稿(「小林多喜二草稿ノート・直筆原稿」雄松堂DVD)を検討した解説で、尾西康充は推敲の軌跡をたどり、以下の指摘をしている。

 

――地下生活者の「愛情の問題」の描写について多喜二が「オルグ」でも試行錯誤していたことは、「中七」の病気を石川に代わってお君がオルグの仕事を引き受けた場面にみられる。「石川は事情があって外の女と一緒に運動しなければならなくなる。すると運動の形態の必然が、外の女と関係させる。その女がお君の友達であり同志である。そうなるとお君は苦しむ。石川はその苦しむお君をケイベツする」とあるが、ペンで上から抹消している。さらに、石川がお君からの愛情に気づく場面で、草稿には「襖を隔てた隣の室で、お君が帯をとき、着物を脱いでいる音を彼は室の中で聞いていた。彼は今晩はまた眠れなく屡屡反そくしなければならないのだなと思った……。」とある。これもペンで上から消されている。また、石川は疲労して帰って床に入ってからも興奮して眠れないときには「まるで狂暴的に」お君の室に入って行くことを考えることもあったが、「しかし、彼はいつでも最後のドタン場でそれを踏みこらえてきた」という文と、「そのために、次の日頭が重いこともあった」という文との間には、草稿では「彼は時々自☓をした。」と書かれていた。これら一連の表現は、作者がどのように「愛情の問題」を描こうとしていたのかを理解する手がかりなる。

「襖を隔てた隣の室で、お君が帯をとき、着物を脱いでいる音を聞いた」その時、多喜二は、前衛としての理性を喪い「まるで狂暴的に」室に入る衝動を意識していた。「オルグ」のなかでは、ドタン場でその欲望をおしとどめたのが多喜二らしいといえる。

小林多喜二とふじ子は、四月二十日頃から麻布の称名寺の境内にある二階の一室を借りてひそかに住んだ。多喜二とふじ子はこの時、”結婚”した。新婚の家は上下一間ずつの小さな家だった。彼らが借りた階下の部屋は隣家の板壁に周りをさえぎられて一日中日光のあたらない陰気な一室での新婚生活であった。多喜二は作家同盟書記長としてばかりか、共産党中央部アジ・プロ部員として、機関紙「赤旗」の文化欄の編集担当者としても多忙を極めていた。新婚としての甘い生活はなかった。

若い男女が一夜をともにすることで生じる性の衝動を、多喜二は小説「オルグ」のなかで自覚していた。その欲求に対してどう理性的に向き合うのかが、多喜二のリアルな課題となって迫った。ふじ子とおなじく、「党生活者」中の女性シンパ〈笠原〉にとっては一夜をともにする決意をするということは、一緒になることをも意味した。

そういう決意をした女と、そういう決意をさせた男。そう決意させておきながら佐々木は〈笠原〉が勤めから帰宅すると、入れ替わるように外出して男女のそういう関係を生じさせないよう、一緒に過ごす時間を持とうとしなかった。それでも〈笠原〉の側は「そうなってはいけない」と自分を抑えてはいたが、佐々木を求めて「一緒に」手をつないで歩きたいという思いでいっぱいになっている――、それは佐々木を愛する存在として〈笠原〉を描いているといえるだろう。その思いを受け止めない佐々木は、〈笠原〉に不機嫌に「当たられても」当然だろう。多喜二とふじ子の生活がそうであったとはいわない。多喜二は佐々木とは異なるからだ。

―彼女は時には矢張り私と一緒に外を歩きたいと考える。が、それがどうにも出来ずにイラ/\するらしかった。それに笠原が昼の勤めを終って帰ってくる頃、何時でも行きちがいに私が外へ出た。私は昼うちにいて、夜ばかり使ったからである。それで一緒に室の中に坐るという事が尠かった。そういう状態が一月し、二月するうちに、笠原は眼に見えて不機嫌になって行った。彼女はそうなってはいけないと自分を抑えているらしいのだが、長いうちには負けて、私に当ってきた。

「あんたは一緒になってから一度も夜うちにいたことも、一度も散歩に出てくれたこともない!」

 終には笠原は分り切ったそんな馬鹿なことを云った。

―私はこのギャップを埋めるためには、笠原をも同じ仕事に引き入れることにあると思い、そうしようと幾度か試みた。然し一緒になってから笠原はそれに適する人間でないことが分った。如何にも感情の浅い、粘力のない女だった。私は笠原に「お前は気象台だ」と云った。些細のことで燥いだり、又逆に直すぐ不貞腐れた。こういう性質のものは、とうてい我々のような仕事をやって行くことは出来ない。

―勿論一日の大半をタイピストというような労働者の生活からは離れた仕事で費し、帰ってきてからも炊事や、日曜などには二人分の洗濯などに追われ、それは随分時間のない負担の重い生活をしていたので、可哀相だったが、彼女はそこから自分でグイと一突き抜け出ようとする気力や意識さえもっていなかった。私がそうさせようとしても、それについて来なかった。

 

しかし、すでに恋心を佐々木に抱いている〈笠原〉、偽装とはいえ「事実婚」に入ることを承認した〈笠原〉にとっては、佐々木はなんとももどかしい感情のないロボットのような男だったろう。

〈笠原〉は佐々木との生活費を負担していた。そればかりか「一日の大半をタイピストというような労働者の生活からは離れた仕事で費し、帰ってきてからも炊事や、日曜などには二人分の洗濯などに追われ、それは随分時間のない負担の重い生活をしていた」。共稼ぎ夫婦の一方が家事労働に従事することだけでも大きな〈犠牲〉だったはずだ。その〈犠牲〉は左翼のシンパとしてのやりがいに甘えた〈やりがい搾取〉、佐々木への恋情に甘えた〈収奪〉でもあった。

 佐々木は、〈笠原〉の女心にこたえようとしない。なぜか――、「オルグ」ノート稿には男としての欲求を描きながら、ここではその欲求さえ描こうとしない多喜二だった。

 

 


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