井上ひさし「一週間」と二人の"スパイM"
一、井上ひさし「一週間」が描くもの
二、共産党の資金活動
三、第五回プロフィンテルン大会がもたらしたもの
四、31テーゼ草案と共産党大衆化
五、スパイ「M」-松村
六、もうひとりの スパイ「M」 -三船
七、「赤旗」事件
八、特高の「M」-毛利
九、多喜二「地区の人々」の意図
十、「日本新聞」と「赤旗」
序
井上ひさしの晩年の仕事に、「組曲虐殺」と「一週間」がある。
「組曲虐殺」は、プロレタリア作家・小林多喜二の生涯を劇化したものだ。そして「一週間」は、井上ひさしの父・小松修吉を主人公にしたものだった。
私にはこの二作はコインの表裏のような関係にある作に思える。そして、この二作をつなぐものは“二人のスパイM”。
一人は、松村昇(本名飯塚)、一人は三船留吉--。
◇
「組曲虐殺」では、満州事変以後の反戦活動のなかで、治安維持法で非合法とされ、地下活動に入った作家・小林多喜二の晩年を主にとりあげている。
多喜二が地下活動に入る動機となったのは、一九三二年春のプロレタリア文化運動への大弾圧だった。プロレタリア作家同盟書記長として運動を指導していた。1931年秋に入党していた多喜二は、地下から反戦活動を指導していた日本共産党の文化運動の指導だけではなく、宣伝・扇動部を担い、活版印刷で大衆的普及をひろげていた『赤旗』文化面の編集を担当し、さらに反帝同盟執行委員として反戦統一戦線運動に挺身し極東反戦大会の成功のために奔走した。
地下活動に入った多喜二は非公然の潜伏活動のなかで、作家・評論家としても果敢に筆をとり『改造』『中央公論』誌なでに「転形期の人々」「党生活者」「沼尻村」「地区の人々」、「赤旗」紙面での短編連作を遺している。
一方の「スパイM」とは、この日本共産党に潜入した特高のスパイであり、あろうことか共産党の組織部、家屋資金局の責任者となり、事実上、委員長に次ぐナンバー2だったといっていい。 スパイ「M」のその正体と罪状が明らかになるのは、戦後になってからだった。
・松本清張 『昭和史発掘』第十三話 「スパイ“M”の謀略」
・小林峻一・鈴木隆一著 『昭和史最大のスパイ・M-日本共産党を壊滅させた男』 (ワック、2006)
・1976(昭和51).10月5日から10月8日、共産党機関紙「赤旗」紙上に、「スパイMこと飯塚盈延(みつのぶ)とその末路」が発表され、スパイMの全体像が簡略ながらも明らかにされた。
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