静岡・神奈川・山梨三県境の三国山(2019年1月)
2015年度から16年度にかけ、当会20周年記念事業の一つとして『富士山周辺の山々』を行った。富士山外周の山々を、月々の定例山行や合宿山行を通じて、四季折々の富士山の姿を眺めながら繋ごうというもので、その実績は20周年記念展におけるメイン展示として発表された。が、実は「繋ごう」とはしたものの諸事情で抜け落ちてしまった部分があって、その一つが「三国山稜」ということになる。
三国山頂2005年
三国山稜というのは、山中湖東南岸の切通峠から篭坂峠までの小さな山稜を称していると思われる。山中湖の湖面標高が982mに対し、山稜中の最高地点が大洞山1383mであるから、穏やかな尾根の容姿と相まって、湖畔から見れば丘のようなものだ。大きな山域の括りでいえば、菰釣山などから尾根続きの丹沢山地西端にあたる山域で、名前のとおり駿河、甲斐、相模の三国境となっている。この山稜の魅力の一つは、カヤトで遮るものの無い鉄砲木ノ頭山頂からの眺望。山中湖を前景に長く裾を引く富士山東面と、その右には富士五湖を囲む山々、さらに背後には南アルプスの白い稜線が凛と連なる贅沢なものだ。中腹のパノラマ台までは車で上がれることもあって、大勢の観光客やカメラマンで賑わっている。この明るく派手な様相は、鉄砲木ノ頭から南下し三国峠を越えると一変し、ブナ、ミズナラ、カエデなどの広葉樹林となって内省的な雰囲気を醸し出していて、その対比が面白い。とは言え、葉をすっかり落とした冬の尾根に暗さはなく、1300メートル前後の広くゆったりとした尾根が畝々と続く山道に心も穏やかになるような気がする。雪の道となれば尚更のこと、その静かな明るさを愉しめそうなのだが、時折下から響く富士スピードウェイのエンジン音に俗世間に引き戻されてしまうのがヤレヤレである。
富士山頂から20km圏内の山
さて、20周年の『富士山周辺の山々』で歩いた尾根は、箱根を除いて富士山頂(剣ヶ峰)から概ね20㎞内外であることが掲げた地図から解る(別に20周年を掛けた訳ではないが…)。三国山稜をみると、最西端に立山(たちやま)(1325m)というピークがあって、ここから富士山頂までの距離は約13.5kmとなるから、大室山などの側火山を除けばここが富士山に最も近い山ということになる。島田市役所から八高山頂までがほぼ同距離であるから、あの場所に富士山が聳えていることを想像すれば、その迫力が窺える。立山展望台からの眺めやいかに……。この三国山稜と富士山との近さと地形的な繋がりも興味深い。「本州上の全ての山は尾根で繋がっている」というのは、読図する上での大事なセオリーの一つだが、独立峰である富士山もこの論に洩れず、その接合部分が立山から下った篭坂峠であり、そこから幾つかのコブを上下しながら小富士へと尾根は繋がっていく、そういう場所なのである。丹沢山地と富士山との誕生を含めた関係の深さも示しているように思える。
葛飾北斎『甲州三嶌越』(富嶽三十六景)
ところで、富士山への関心は江戸人も同じで、有名な葛飾北斎の『富嶽三十六景』は大ヒットのシリーズとなった。気をよくした版元の西村屋与八は、さらに十図を追加出版して、「三十六景」と謳いながら全46図の構成になったのだという。その〝四十六景〟の中で、最も富士山に近い場所から描いたとされるのが、29番『甲州三嶌越』。〝三嶌(三島)越〟であるから、旧鎌倉往還(現R138)を甲州側から三島へ向けて越える場所、即ち篭坂峠辺りと推定されている。この画を眺めると、目に飛び込むのは富士山というよりもまず中央に配した杉の巨木で、数人の旅人が幹を取り囲みその大きさを確かめている様子が、今でも〝あるある〟感があって面白い。左右には柴刈り休憩中のキセルを吹かしながら少し自慢げな様子の地元おじさんや、〝何やってんだか〟という感じで通り過ぎるおばさんの姿もあって、動的なストーリー性のある構図に、さすが北斎先生と感心する。『富嶽三十六景』各画の視点を考察、検証している久保覚氏は次のように解説している。
この画は通説通り、籠坂峠から見た富士山ですが中央の大きな木は当時から現在まで存在が確認されていません。特に富士山の東側は宝永の噴火の影響を直接受けており、火山灰等がかなり堆積した場所でもある理由から巨木が無事でいる理由も薄いと考えられます。
おそらく北斎が巨木を配置した理由は「宝永火口」を隠すためという説はおおよそ正しいと思います。また、この巨木は笹子峠の「矢立の杉」を拝借したと個人的に考えています。北斎自身も「北斎漫画」の中でも「矢立の杉」を描いていますし、広重も「諸国名所百景」の中で「矢立の杉」を描いています。広重に至っては北斎と同じく旅人が巨木の大きさを測るために腕を広げて木の周りに寄り添っています。北斎も「矢立の杉」を見たときの感動を富嶽三十六景のどこかで使用したかったに違いありません。理由はどうであれ、峠道の高度感と大変さが巨木と休憩によって程よいバランスが保たれているように感じるのは私だけでしょうか?
(『富士五湖TV』サイト内「浮世絵に見る富士山」より)
三国山稜には〝三嶌越〟程の巨木は無いが、潔い冬木立の尾根道を歩きながら、最も近い冬富士の眺望を存分に味わいたい。
(2018年12月、『やまびこ』No.261)