山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

三方分山・パノラマ台

2025-01-30 17:17:59 | 山行

パノラマ台からのこの日の子抱き富士

所属会の1月定例山行はスノーハイキングを期待しての企画であったが、残念ながら下見時(1/5)と同様に積雪は全く無し。三方分山に限らずここより高い御坂の山々や毛無山塊も黒い姿だった。まず諏訪神社境内の国天然記念物「精進の大スギ」を見学。樹高約40メートル、根元周囲13メートル、目通10メートル、樹齢1200年以上といわれている杉の巨木だ。雪化粧していたら、さぞや美しいことだろう。諏訪神社と隣接する龍泉寺本堂は共に茅葺の屋根で、中道往還の坂下集落である居村の歴史を感じさせる。

精進の大スギ(1/5)

その中道往還は駿河・甲斐を結ぶ街道の一つで「魚の道」でもあった。吉原(富士市)を起点に富士山西麓を通り、精進湖西岸から女坂1215mの峠を越え、さらに古関(旧上九一色村)からは右左口(うばぐち)峠855mを越えて、甲府まで20里の道程だった。朝、沼津沿岸から揚げられた海産物は、暑い日中を避けて夕方から夜通し馬などを使って運ばれ、翌朝には甲府の魚問屋に並んだという。甲府周辺は、内陸へ生魚を運べる限界である「魚尻線」にあたり、中道往還は別名「五十集(いさば)の道」(魚介類の道)とも呼ばれた。現在、山梨県は人口あたりの寿司屋の件数が日本一、またマグロの消費量が静岡に次ぐというのは、中道往還あってのことだったのだ。

阿難坂峠の石仏(1/5)

道を保護する石垣や石仏など、往時の名残りを感じさせる坂道を登り切ると女坂(阿難坂)峠に出た。峠の石標と共に首の落とされた3体の石仏が祀られている。ゆっくりしようと思ったが、甲州側から吹き上げてくる北風が冷たく、立ち止まっての一服だけに留め、御坂山地の稜線を西に三方分山へと歩を進めた。葉をすっかり落として清々とした様相の樹間からは八ヶ岳連峰の白い峰をはじめ、甲府盆地の街並や奥秩父の山々がチラチラと見える。急登となった山道を40分ほど上りきると1422メートルの三方分山山頂に着いた。山名のとおりここは、北の釈迦ヶ岳からの尾根が合わさるジャンクションピークとなっている。山頂からパノラマ台へと南下するようになると、樹間からは西面の展望が開け、富士川の谷を隔てて南アルプスの白峰が頭を覗かせてくる。まず目に付くのは北岳、間ノ岳、農鳥岳の白根三山、その右の鳳凰三山は雪が少なく黒っぽい。左に目をやれば奥に尖った山容の塩見岳があり、さらに悪沢岳・荒川岳、赤石岳、聖岳は奥聖・前聖が重なって見慣れた家形の山容とは違って見える。錚々たる峰々を眺めながらの歩きは、適度なアップダウンもあって飽きることはないし、雑木の道は南面の尾根となって、暖かさも増して気持ち良い。この尾根には精進峠、根子峠の二つの峠があって、今は西側の道形は失せているが、かつては富士信仰の道者たちがここを越え、反(そり)木川の谷と精進湖、本栖湖とを結ぶ古い巡礼の道があったらしい(身延町根子には「御内八海道供養碑」が建つ)。

パノラマ台にて

順調に歩き、予定よりだいぶ早く正午前にはパノラマ台に到着した。定番の大室山を前景にした子抱き富士の姿が青空に映えるが、大室山に雪がなく、富士山にも雪が少ないの少々残念なところだ。とは言え、王岳から三ツ峠山の御坂の山々から、竜ヶ岳、毛無山の本栖湖周辺の山々などの展望は、パノラマ台の名前に恥じない。暖かな日差しの下、眺望を充分に楽しみながらゆっくりと昼食を摂った後、精進湖駐車場に下った。

 

No.541根子の道供養碑

 


山を彫る(番外篇)乗鞍岳

2025-01-23 15:18:32 | 山を彫る

東海フォレストツアーとして乗鞍高原スノーシューハイキングの案内があった。友人夫妻と共に我々夫婦も申し込んだが‥‥。妻が帯状疱疹に罹り取り止めて、我が家は私だけの参加となる。ロッジ「ふもと」到着後は、早い時間から飲みながら談笑。上等な宿とは言えないが酔ってしまえば、なんていうことはない。
2日目、観光センターが起点。スノーシューを借り衣装を整えた。私は積雪期登山や高遠少年自然の家での経験から難なく支度できたが、中にはスノーシューは初めてと言う人もいて手間取った。目が届き易いようにA,B2班に分けられた。ガイドの後に続いて参加者が、えっちらおっちら歩を進める。スノーシューは大きくて足にまとわりつく。多少の上り下りでも、それなりのテクニックが要る。間もなく牛留池に到着。氷結した上に真っさらな雪、Yonさんの計らいで向う岸までのかけっこ、よーいドン。こけつまろびつ各人好きなところをドタバタ、ドタバタ。「ここで後ろを振り向きましょう」の合図に振り返ると‥‥、わーお、林の上に乗鞍岳が、素晴らしい!要所々々でガイドがあり楽しい。おっ、熊の食事処(熊棚)だ。楢の木の梢に枯れた枝が広がっている。あんなに高い細枝の所まで上れるのだ。熊に遭遇して木の上に逃げたとしても追いつかれてしまう。もっとも、この姿では木に上れそうにもない。小さなコブを上がったり下がったり進み一ノ瀬遊園地に到着。ここは、更に開けていて絶景の場所だ。弁当を食べながら良い時間を過ごした。この後急降下して善五郎の滝へ。氷瀑を登っているところを初めて見た。14時スタート地点に戻り道具を返却。乗鞍岳には不気味な雲が現れていた。天気が崩れる予兆とか、天気に恵まれスノーハイクを充分楽しむことができた。
乗鞍岳は姿が良い。一ノ瀬遊園地からの眺めを彫ることにした。先生から中景に樹林を置くようにアドバイスを受けた。美しい峰を、それなりに表現できたと思っている。
2018/7SHC夏山合宿で乗鞍岳に登った。乗鞍高原が眼下にあった。

追記
このツアーに一緒に参加したT夫妻とは長きに亘り旅行を共にした。7月乗鞍高原泊、シャトルバスで畳平へ、富士見岳下のコマクサ群を見てもらいたいと宿の予約をしたのに‥‥。奥様が病に罹り予約をキャンセル、10月亡くなられた。版画の師に続いて大切な友人を失い、とても悲しい。今になって乗鞍岳は様々な想いが重なる山となっている。

(2025年1月・IK記)

*  *  *

この画の素材となった乗鞍高原は、IK氏の個人的なツアー参加ゆえに、それがいつのことか、また元になった写真など全く分からないのだが、2012年3月、会の合宿山行で乗鞍岳西麓の乗鞍青少年交流の家に泊まった。丸黒山を目指してのスノーシューハイキングは、時間と天候の関係もあって3分の1ほどの行程で終わったが、フカフカの積雪の中のどこを歩いてもOKという自由な感覚は、初心者を混じえて楽しいものだった。

 昨年の高見山に続いて今回の冬期合宿にも大勢の方が参加され、企画した者として嬉しく思います。今回のテーマは、「スノーシューを使って雪の上に自分達のトレールを刻む」ということでした。交流の家備品のスノーシューはあまり上物ではなく、装着に手間取ったり、最初は足の運びに戸惑ったりしましたが、時間が経つにつれ、皆さん人の踏んでいない所をどんどんと進んで行きました。雪の上を自由に歩き回る愉しさを覚えたことが、皆さんの感想から伝わってきました。力にあった場所を選び、充分な用意をし、そして少しだけ大胆な気持を持って臨めば、雪の野山ほど心が解放される所はないと思います。
 帰りの時間や下り坂の天候のこともあり、目的地の半分くらいの地点で引き返しましたが、なだらかで静かなこの尾根は気持ち良く、冬のこんな遊びには最適のフィールドと感じました。ぜひとも機会を作ってあの続きを歩きたいものです。(『やまびこ』No.182)

この3月「あの続き」を歩けることになった。どんな景が待っているだろうか。


蓮華寺池公園ウォーク

2025-01-22 15:47:25 | Ryoウォーク

Ryoの日めくり 1月13日(成人の日)

蓮華寺池公園周りの丘陵を歩く。Ryoが連休の中で2回もウォークに出るのは珍しい(11日、白岩寺山)。

日時計の影は亥の辺りを指す。

富士山は北東へ約70km、宇津谷峠の鞍部から大きく望む。

古墳の広場の展望台からも富士山から伊豆半島まで絶景が広がる。

この日も穏やかな一日だった。

 


正義の人々

2025-01-13 16:58:17 | エッセイ

2012年7月の夏山合宿「会津駒ヶ岳」の4年前、良き相棒だったAmk親父らとここを訪れた時のこと。

*  *  *

正義の人々

 9月の連休に会津駒ヶ岳に行った時のことである。花と紅葉の狭間の時季とはいえ、国立公園となった人気の山で登山者の数は多く、比較的若い人達も目に付いた。この山の頂稜部は雲上の湿原となっていて、駒ノ小屋直下から中門岳までずっと二本の木道が続いている。歩き易そうな方を、あるいは花を見る時は近くの側へと、右に左に踏む道を替えながら歩いていく。対向者とのすれ違いも、低速“者”や駐“者”中の追越しも、それなりにスムースに運んでいくものである。
 駒ヶ岳山頂から先は人も少なくなり、池塘と草原の中を畝々と続く道を「気持いいね」と話しながら、中門岳を目指していた。前方から30才前後の女性が近づいてきた。我がパーティは7人、この時は無意識的に左の木道を一列で進んでいた。女性は単独で右の木道(我々と同じ側)を進んできた。平坦で上り下りの差もなく、先頭の私はてっきり単独の若い彼女が反対側に軽やかによけてくれるものと思い込んでいた。顔面鉢合わせまで近づいて、断固として道は譲らないという決意の表情で彼女が放った言葉は
「右側通行が常識です!」
唖然とした。が、この「チョー、気持ちいい」場所で言い争い、仲間の楽しい気分を害することは馬鹿げているので、ここはもっさりと右側に移った。後ろのメンバーも、各々もっさりと動きすれ違ったのだった。
 あるいは彼女は婦人警察官や交通指導員だったのかもしれないが、自らの〈正義〉の主張が貫徹され、無知で鈍重な中高年登山者に道を譲らしめたことに満足したのだろうか。山道は道路交通法が適用される公道ではない。よしんばこの山では「木道は右側を」ということがルールとなっているとしても、単独者が一歩方向を変えるのと7人がそれぞれ踏み替えるのとでは、すれ違いのお互いのスムーズさは一目瞭然だろう。私たちは、山道は上り優先である(これとて我彼の人数や技量、場所の状況など条件によりけりだが)とか、よける時は山側にとか、悪場では同じスパンに複数入らないとか、互いのパーティが行き交う時の基本をいくつか知っている。が、これはルールではなく、お互いが何より安全に、かつスムーズに通過するための方策で、つまりは臨機応変に対応するといった知恵というようなものではないか。
 木道はさらに先へと続いている。「どこまで歩くの?」「この道の果てまで…」などと言いながら進む。遠くに僅かな高みが見え、あの辺りまで続いているらしい。「この辺りが中門岳」という曖昧な表現の山頂標識を過ぎると暫くで、木道は池の周りをロータリー状になって終っていた。北西側は樹林となって落ちているようで、頂稜湿原の末端のようだった。ここまで来ると数える程の登山者で、木道の隅に腰掛け昼食とした。周囲は保護用のロープが張られ、木道から離れられないようになっているが、用足しのためだろうか一箇所だけロープが緩み、草原の外へと踏み跡が付いていた。メンバーの並んだ写真を撮ってあげようと、カメラマンが一歩この踏み跡に足を入れた。すると、横に並んで座っていたアベックの若者が突然、
「駄目じゃないですか、ロープの中に入っちゃ。そうして皆が入るから自然が破壊されてしまうんですよ。“いい齢”をして……、僕達の見本になる行動をとらなくちゃ駄目でしょ!」
 確かにおっしゃるとおりです。正論です。けどね…、と思ってしまう。トイレのある駒ノ小屋からここまで往復2時間半、湿原の続く稜線には隠れる場所もなく、だいいち木道からは外れられないようになっている。湿原の果てまで来て、その隅っこから樹林へと向う踏み跡が付いてしまうのも解ることなのだ。しかも皆遠慮して、既にある踏み跡を使わせてもらおうとするから次第にそれが濃くなっていく。「自然は保護しなくちゃ」という気持はそれなりにあるのではと思うのは、“いい齢”をした者の都合良い言い草か。厚顔無恥な中高年のバカ共を一喝した青年に、連れの彼女はきっと惚れ直したことだろう。
 最近、巷に様々な「正義の人々」が現れる。己の観念が世界の常識(グローバルスタンダード)であると信じている。その代表的な例が米国であることは言うまでもないが、およそ理解不能な犯罪の中にも、その人なりの「正義」があったりして始末が悪い。山を歩く行為は、観念ではなく現実である。その現実に対処するための、軽やかで柔らかい知恵を得ていくことだと思っている。

 歩く人間の思考は、書斎の思考にくらべるとずっと現実の光に影響される。不断に外光の変化があり、それが歩行者の頭や胸に絶えず〝自分は世界の一部なのだ〟という意識を植える。ドストエフスキーの地下生活者的思考――牢獄に閉ざされたものの暗い「世界は私だ」式観念、あるいは観念の抽象的図形から生じる哲学や、ユダヤ的復讐のファンタジーに閉ざされっぱなしになることは滅多にない。
 歩く人間のうち、山へ登る人間はさらに単純な水平的比例の思考から容易に飛躍できる生理をもっている点で、本来軽々している。軽いということは薄っぺらだということでは決してない。ダビデはゴリヤテよりも軽薄ではないという意味でだ。
(辻まこと『山からの言葉』より)

(2008年11月『やまびこ』140号「巻頭言」)

 

 

山を彫る(番外篇)会津駒ヶ岳 - 山の雑記帳

会津駒ヶ岳1駒ノ小屋が見えてきた、稜線まであとわずか愛唱歌「夏の思い出」の中の一節に「はるかな尾瀬遠い空‥」とある。尾瀬が好きで何度か行っているうちに燧ケ岳、至仏...

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2025初ウォーク

2025-01-12 12:06:57 | Ryoウォーク

ここ二、三日の強い風と寒さが収まり穏やかな日和となったので、Ryoと白岩寺山公園までウォークした。
正月の間、ゴロゴロとしていた割には快調な歩行で、白岩寺山の登りもあまり苦にしなかった。家から往復で2時間を切るのはなかなかのもの。
富士山は雲がかかっていたが、先週よりも積雪が増したようだ。