2016年11月13日(日)

(今日のマップ)
JR九州ウォーキング人吉駅コースに参加。
熊本駅発7時20分人吉駅行快速に乗る。車両は古い。
今年4月の熊本地震までは、人吉-八代-熊本-阿蘇-大分-別府を往復する「九州横断特急」が運行されていた。地震で豊肥線の肥後大津-阿蘇間が不通となって九州横断特急も運休している。その代りに人吉-熊本間に快速列車が運行されている。熊本から新八代、八代、坂本、一勝地、渡の各駅に止まり、1時間30分程で人吉駅に着く。
快速に乗らない場合は、熊本駅から八代駅までの普通列車に乗り(熊本-八代間には熊本-人吉間の快速以外の快速列車は走っていない。)、八代駅から人吉駅行の普通列車に乗り換える。時間は2時間強かかる。
乗り心地さえ無視すれば、特急料金がいらない快速列車に乗れる今の方が人吉行には便利がいい。熊本駅でほぼ満席になった。八代駅で乗り換えることも無く列車は人吉へと向かう。
肥薩オレンジ鉄道の球磨川鉄橋が見えると、列車は球磨川沿いを上流に向かって走る。朝早い時間はいつも霧の中だが、今日も霧の中を走る。

(球磨川に架かる肥薩おれんじ鉄道の鉄橋。昨日は渡った。)

(球磨川)

(球磨川)

(球磨川)

(坂本駅)

(坂本駅で熊本行の快速と会う。)

(球磨川)

(球磨川)
球磨川は、列車の進む方向から右に見えるが、鎌瀬駅を過ぎると左に変わる。乗客が少ない時は席を移動して写真を撮れるが、今日は満席で移動できない。球磨川の写真を撮るのは諦める。
止まる駅が少ないので、いつもの普通列車で行くときに比べたら、あっという間に人吉駅に着いた。

(人吉駅)
受付を済ませてスタート。しばらく歩いて人吉藩時代、鍛冶職人が集まり最大66軒の刃物や銃、農具の店が集まっていた鍛冶屋町通りへ。現在は石畳を中心に昔ながらの街並みが作られている。茶の蔵の立山商店、みそ・しょうゆ蔵の釜田醸造所を見学。

(天満宮)

(鍛冶屋町案内)

(美容院KOMACHI)

(茶の蔵・立山商店)

(茶の蔵・立山商店中庭)

(茶の蔵・立山商店)

(みそ・しょうゆ蔵・釜田醸造所)

(みそ・しょうゆ蔵・釜田醸造所ではお茶と試食のサービス)

(鍛冶蔵)

(西洋食堂)
球磨川を渡る手前で、若宮神社に寄る。

(若宮神社)

(若宮神社で)
若宮神社から球磨川沿いに出る。

(球磨川対岸から人吉城址)

(球磨川対岸から人吉城址)
水ノ手橋を渡って、人吉城址へ。人吉城址内はコースには入っていないが、紅葉も見られるからだろうか意外と多くのウォーカーが訪れていた。

(水ノ手橋)

(大橋)

(間米蔵跡:礎石は間村の年貢米を納めたと考えられる蔵跡)

(水ノ手門跡:球磨川に面して築かれた人吉城内に入る4ヶ所の門の一つ)

(人吉城址の紅葉)

(人吉城址の紅葉)

(人吉城址の紅葉)
一番高い所、本丸跡へと上る。本丸には天守は建てられず、護摩堂が建てられた。護摩堂跡の礎石群が残っている。木が生い茂り視界はあまり良くない。

(御下門跡:「下の御門」とも呼ばれ、本丸・二の丸・三の丸への唯一の登城口に置かれた門)

(本丸への階段)

(本丸跡)

(本丸からの眺望)
下っていると、昨日も会ったが熊本コースでよくお会いする熊本の女性の方に会った。「一番上まで行ってきましたよ。」といったら、「何年か前に行ったけどね。何も見えないもんね。」と。後でまたお会いしたら、「上まで行ってきたよ。」とお話してくれた。

(二の丸からの眺望)

(下る)

(下る)

(犬童球渓の碑:人吉市出身の詩人、「旅愁」「故郷の廃家」など)

(武者返し:上端にはねだし工法による「武者返し」と呼ばれる突出部がある。)
人吉城跡から道を渡ったところのふるさと歴史の広場では人吉産業祭が開催中で、野菜の野菜の品評会や多くの出店が出ている。まだ、時間も早いしお腹も空いてないので、さっと見て、同じ広場内にある人吉歴史館へ入る。

(人吉産業祭)

(人吉産業祭)
人吉は鎌倉時代初期から明治維新まで約700年間、相良家が統治してきた。一つの地域を変わることなく統治したのはここだけだと思う。この間内部の抗争も絶えなかったようだが、外部からの侵略は防いできた。
人吉の通史を書いたものはあまり目にかかることが無い。人吉歴史館の説明文を写真に撮りたいが、撮影禁止となっている。
歴史館は藩の家老屋敷跡に建っているが、地下室も発見され公開されている。説明もしてもらった。
特別展では「免田式土器がつなぐクマモト」が開催されていた。免田式土器は、熊本県人吉市から少し東に行った球磨郡旧免田町(現あさぎり町)で発見された2000年前の弥生土器で、熊本県を中心に出土しているが、熊本以外にも広がっている。沖縄の県立博物館で見た時はビックリした。

(人吉歴史館)
歴史館を出たところで、ポケットのマップが無くなっているのに気がついた。マップは見ないで歩くことが多いので、まぁいいかと進む。
矢印と係りの人の案内で老神神社(おいがみじんじゃ)へ。霧島神社を勧請したと伝えられるが、創立年代は不明、とある。

(老神神社)

(老神神社)

(老神神社八角形の石灯篭)
次に訪れたのは、球磨焼酎の「繊月酒造」。人吉城は築城の時三日月の紋様の入った奇石が出土したので繊月城とも呼ばれた。
受付で名前を書いて、数人単位で蔵の中を案内してもらえる。撮影は禁止。案内が終わった後は試飲会場へ。7種類ほどの銘柄を飲み比べできる。うっ強い、と感じるものから優しいものまで。
今、売出し中は「川辺」と説明があった。ダムの建設反対で全国的にも話題になった川辺川の伏流水を使っているとのこと。その川辺川は国土交通省の水質調査でランクが一位の「最も良好」に10年連続選出されている。そのような川に建設省はダムを作ろうとしている。
写真に写し損ねているが、私にとっては「峰の露」の名前が懐かしい。小さい頃、親に頼まれ酒屋に使いに行って買っていたのが「峰の露」で、当時は酒屋に瓶を持参して1合とか2合とかの量り売りだった。
「繊月」を発売始めたのは昭和57年で、それまでは「峰の露」が主力商品だったと思う。会社名が「繊月」になったのは平成16年のようだ。
試飲をして、こころよい気持ちになったので、甕繊月、肴用に燻製豆腐やとうふのみそ漬などを買ってしまった。蔵元にとっては試飲大成功。

(繊月酒造)

(繊月酒造冑窯式蒸留器:江戸から明治にかけて使われた)

(繊月酒造試飲)
焼酎の産地名を使用できる基準は国税庁によって決められている。球磨焼酎は『米こうじ及び球磨川の伏流水である熊本県球磨郡又は同県人吉市の地下水(「球磨の地下水」)を原料として発酵させた一次もろみに米及び球磨の地下水を加えて、更に発酵させた二次もろみを熊本県球磨郡又は同県人吉市において単式蒸留機をもって蒸留し、かつ、容器詰めしたものでなければ「球磨」の産地を表示する地理的表示を使用してはならない。』と定められている。球磨焼酎の他、壱岐、琉球、薩摩も使用基準が定められている。
繊月を出て、直ぐに永国寺があったが、先に進む。永国寺はゆうれい寺として知られ、ゆうれいの掛軸がある。また、西南戦争では 西郷隆盛が本陣として滞在している。

(永国寺)
永国寺から少しまわり道をするコースになっていて、「相良路の湯おおが」の前では、女将さんと思われる方から、湧き出てくる温泉水を飲ませていただいた。あまり癖のないやさしい味だった。「美味しいですね。」といったら、ゆずを2個プレゼントしてくれた。

(「相良路の湯おおが」で温泉水)
大きい通りに戻って、人吉橋を渡る。朝から霧で見通しが良くなかったが、この頃には晴れ渡って、暑くなってきた。

(人吉橋から)
着いたのは、本殿や楼門などが国宝に指定されている「青井阿蘇神社」。楼門の写真を撮っていると年配の方から声をかけられた。うれしそうに「孫の七五三です。」私「七五三は自分の子どもの時よりも孫の時が嬉しかですもんね。」年配の方「お金はどんどん出て行きます。」と嬉しそうに話していただいた。そしてポケットから人吉産業祭のパンフレットを出して、「美味しいものがいろいろ出てますよ。」と宣伝された。お話では人吉市の東にある錦町からこられていた。農業をされていて人吉産業祭にも関わりを持っておられたかもしれない。

(青井阿蘇神社)

(青井阿蘇神社)

(青井阿蘇神社:七五三でいっぱい)
青井阿蘇神社から先に進む矢印がハッキリせずに道を迷われていた方が多くいた。JRの係員も配置されていなかった。人出が多いところでは係員を配置していたが良いと思う。
駅前の人吉鉄道ミュジアム「MOZOCAステーション868」へ向かう。少し回り道をしていくコースになっていたが、青井阿蘇神社から駅前に出て行くコースであれば。道もはっきりしていて迷う人もいなかったのではなかろうか。
MOZOCAに着く少し前に、SL人吉号が人吉駅に入った。MOZOCAの展望台から見ている人も多かった。
MOZOCAはどちらかといえば子供向けの施設。ミニトレインなどで遊べる。

(MOZOCA)

(MOZOCAミニトレイン)

(MOZOCAミニトレイン)

(MOZOCAの展望台から人吉駅)

(MOZOCAのレイルバイク:後方は旧人吉機関区石造庫)
人吉駅にゴールして、マップを失くしたので下さい、とお願いしたら、マップはコピーに変わっていた。予想よりも多くの参加者があったようだ。失くしたと思ったマップは家に帰ったらリュックの中から出てきた。
駅前の広場でもいろんな催しがあっていた。ここでも焼酎の試飲があったので、またまたいただいた。紅茶やクッキーなどの無料サービスもいただいた。お饅頭、弁当、煮しめなどの販売もされていた。

(駅前広場からくり時計の下で催し物)

(駅前でも球磨焼酎の試飲)
催しを楽しんだ後、駅の裏へ。ホームから見えるところに大村横穴群がある。高さ30m程の垂直な崖に、今から約1400年前、7世紀初めに造られた古代人の墓群。現在は27基程遺っている。

(大村横穴群)
少し歩いて、JRの人吉鉄道事業部へ。旧人吉機関区の石造庫、今もSLの反転に使われている転車台、SL館がある。石造庫はMOZOCAやホームからも見れる。SL館には当時使われていたさまざまなものが展示してある。石造庫に入庫しているSLの見学は事前に予約がいるようだ。マップに場所が書いてあればゴール後に多くの人が訪れたと思う。数年前の人吉駅ウォーキングに参加した時は、ここもコースに入っていた。

(SL人吉号とMOZOCA)

(SL館)

(SL館)
駅に戻って、人吉駅13時30分発熊本駅行の快速列車に乗るためにすでに多くの人が乗車口に並んでいる。列車がホームに入ってきて、朝来た時とは反対側の窓側に座ったが、列車が進む方向とは逆向きの席にしか座れなかった。前の席に座ったのは、朝来た時にやはり前に坐っていた2人連れの女性の方々だった。その時は私が進行方向に向かっての席だった。見渡すと、朝同じ列車だった人も多いようだ。マップには、今日のコースは距離6km、所要時間約2時間とあるけど、朝は9時前に着いたので、4時間半程人吉にいたことになる。今日の参加者は皆さん人吉をいっぱい楽しまれたようだ。このレポートも長文になったが、まだまだ書き足りない思いがある。

(吉松駅へ出発するいさぶろう・しんぺい号)

(人吉とお別れ)
快速列車は人吉駅から2つ目の渡駅に止まる。そこで子ども2人連れの人が乗ってきた。列車はほぼ満員だったけど私の横の席は空いている。席を譲って、空いている通路側の席に座った。球磨焼酎の試飲を重ねてきたせいか、うつらうつらなって今日のウォーキングを終える。

(今日のマップ)
JR九州ウォーキング人吉駅コースに参加。
熊本駅発7時20分人吉駅行快速に乗る。車両は古い。
今年4月の熊本地震までは、人吉-八代-熊本-阿蘇-大分-別府を往復する「九州横断特急」が運行されていた。地震で豊肥線の肥後大津-阿蘇間が不通となって九州横断特急も運休している。その代りに人吉-熊本間に快速列車が運行されている。熊本から新八代、八代、坂本、一勝地、渡の各駅に止まり、1時間30分程で人吉駅に着く。
快速に乗らない場合は、熊本駅から八代駅までの普通列車に乗り(熊本-八代間には熊本-人吉間の快速以外の快速列車は走っていない。)、八代駅から人吉駅行の普通列車に乗り換える。時間は2時間強かかる。
乗り心地さえ無視すれば、特急料金がいらない快速列車に乗れる今の方が人吉行には便利がいい。熊本駅でほぼ満席になった。八代駅で乗り換えることも無く列車は人吉へと向かう。
肥薩オレンジ鉄道の球磨川鉄橋が見えると、列車は球磨川沿いを上流に向かって走る。朝早い時間はいつも霧の中だが、今日も霧の中を走る。

(球磨川に架かる肥薩おれんじ鉄道の鉄橋。昨日は渡った。)

(球磨川)

(球磨川)

(球磨川)

(坂本駅)

(坂本駅で熊本行の快速と会う。)

(球磨川)

(球磨川)
球磨川は、列車の進む方向から右に見えるが、鎌瀬駅を過ぎると左に変わる。乗客が少ない時は席を移動して写真を撮れるが、今日は満席で移動できない。球磨川の写真を撮るのは諦める。
止まる駅が少ないので、いつもの普通列車で行くときに比べたら、あっという間に人吉駅に着いた。

(人吉駅)
受付を済ませてスタート。しばらく歩いて人吉藩時代、鍛冶職人が集まり最大66軒の刃物や銃、農具の店が集まっていた鍛冶屋町通りへ。現在は石畳を中心に昔ながらの街並みが作られている。茶の蔵の立山商店、みそ・しょうゆ蔵の釜田醸造所を見学。

(天満宮)

(鍛冶屋町案内)

(美容院KOMACHI)

(茶の蔵・立山商店)

(茶の蔵・立山商店中庭)

(茶の蔵・立山商店)

(みそ・しょうゆ蔵・釜田醸造所)

(みそ・しょうゆ蔵・釜田醸造所ではお茶と試食のサービス)

(鍛冶蔵)

(西洋食堂)
球磨川を渡る手前で、若宮神社に寄る。

(若宮神社)

(若宮神社で)
若宮神社から球磨川沿いに出る。

(球磨川対岸から人吉城址)

(球磨川対岸から人吉城址)
水ノ手橋を渡って、人吉城址へ。人吉城址内はコースには入っていないが、紅葉も見られるからだろうか意外と多くのウォーカーが訪れていた。

(水ノ手橋)

(大橋)

(間米蔵跡:礎石は間村の年貢米を納めたと考えられる蔵跡)

(水ノ手門跡:球磨川に面して築かれた人吉城内に入る4ヶ所の門の一つ)

(人吉城址の紅葉)

(人吉城址の紅葉)

(人吉城址の紅葉)
一番高い所、本丸跡へと上る。本丸には天守は建てられず、護摩堂が建てられた。護摩堂跡の礎石群が残っている。木が生い茂り視界はあまり良くない。

(御下門跡:「下の御門」とも呼ばれ、本丸・二の丸・三の丸への唯一の登城口に置かれた門)

(本丸への階段)

(本丸跡)

(本丸からの眺望)
下っていると、昨日も会ったが熊本コースでよくお会いする熊本の女性の方に会った。「一番上まで行ってきましたよ。」といったら、「何年か前に行ったけどね。何も見えないもんね。」と。後でまたお会いしたら、「上まで行ってきたよ。」とお話してくれた。

(二の丸からの眺望)

(下る)

(下る)

(犬童球渓の碑:人吉市出身の詩人、「旅愁」「故郷の廃家」など)

(武者返し:上端にはねだし工法による「武者返し」と呼ばれる突出部がある。)
人吉城跡から道を渡ったところのふるさと歴史の広場では人吉産業祭が開催中で、野菜の野菜の品評会や多くの出店が出ている。まだ、時間も早いしお腹も空いてないので、さっと見て、同じ広場内にある人吉歴史館へ入る。

(人吉産業祭)

(人吉産業祭)
人吉は鎌倉時代初期から明治維新まで約700年間、相良家が統治してきた。一つの地域を変わることなく統治したのはここだけだと思う。この間内部の抗争も絶えなかったようだが、外部からの侵略は防いできた。
人吉の通史を書いたものはあまり目にかかることが無い。人吉歴史館の説明文を写真に撮りたいが、撮影禁止となっている。
歴史館は藩の家老屋敷跡に建っているが、地下室も発見され公開されている。説明もしてもらった。
特別展では「免田式土器がつなぐクマモト」が開催されていた。免田式土器は、熊本県人吉市から少し東に行った球磨郡旧免田町(現あさぎり町)で発見された2000年前の弥生土器で、熊本県を中心に出土しているが、熊本以外にも広がっている。沖縄の県立博物館で見た時はビックリした。

(人吉歴史館)
歴史館を出たところで、ポケットのマップが無くなっているのに気がついた。マップは見ないで歩くことが多いので、まぁいいかと進む。
矢印と係りの人の案内で老神神社(おいがみじんじゃ)へ。霧島神社を勧請したと伝えられるが、創立年代は不明、とある。

(老神神社)

(老神神社)

(老神神社八角形の石灯篭)
次に訪れたのは、球磨焼酎の「繊月酒造」。人吉城は築城の時三日月の紋様の入った奇石が出土したので繊月城とも呼ばれた。
受付で名前を書いて、数人単位で蔵の中を案内してもらえる。撮影は禁止。案内が終わった後は試飲会場へ。7種類ほどの銘柄を飲み比べできる。うっ強い、と感じるものから優しいものまで。
今、売出し中は「川辺」と説明があった。ダムの建設反対で全国的にも話題になった川辺川の伏流水を使っているとのこと。その川辺川は国土交通省の水質調査でランクが一位の「最も良好」に10年連続選出されている。そのような川に建設省はダムを作ろうとしている。
写真に写し損ねているが、私にとっては「峰の露」の名前が懐かしい。小さい頃、親に頼まれ酒屋に使いに行って買っていたのが「峰の露」で、当時は酒屋に瓶を持参して1合とか2合とかの量り売りだった。
「繊月」を発売始めたのは昭和57年で、それまでは「峰の露」が主力商品だったと思う。会社名が「繊月」になったのは平成16年のようだ。
試飲をして、こころよい気持ちになったので、甕繊月、肴用に燻製豆腐やとうふのみそ漬などを買ってしまった。蔵元にとっては試飲大成功。

(繊月酒造)

(繊月酒造冑窯式蒸留器:江戸から明治にかけて使われた)

(繊月酒造試飲)
焼酎の産地名を使用できる基準は国税庁によって決められている。球磨焼酎は『米こうじ及び球磨川の伏流水である熊本県球磨郡又は同県人吉市の地下水(「球磨の地下水」)を原料として発酵させた一次もろみに米及び球磨の地下水を加えて、更に発酵させた二次もろみを熊本県球磨郡又は同県人吉市において単式蒸留機をもって蒸留し、かつ、容器詰めしたものでなければ「球磨」の産地を表示する地理的表示を使用してはならない。』と定められている。球磨焼酎の他、壱岐、琉球、薩摩も使用基準が定められている。
繊月を出て、直ぐに永国寺があったが、先に進む。永国寺はゆうれい寺として知られ、ゆうれいの掛軸がある。また、西南戦争では 西郷隆盛が本陣として滞在している。

(永国寺)
永国寺から少しまわり道をするコースになっていて、「相良路の湯おおが」の前では、女将さんと思われる方から、湧き出てくる温泉水を飲ませていただいた。あまり癖のないやさしい味だった。「美味しいですね。」といったら、ゆずを2個プレゼントしてくれた。

(「相良路の湯おおが」で温泉水)
大きい通りに戻って、人吉橋を渡る。朝から霧で見通しが良くなかったが、この頃には晴れ渡って、暑くなってきた。

(人吉橋から)
着いたのは、本殿や楼門などが国宝に指定されている「青井阿蘇神社」。楼門の写真を撮っていると年配の方から声をかけられた。うれしそうに「孫の七五三です。」私「七五三は自分の子どもの時よりも孫の時が嬉しかですもんね。」年配の方「お金はどんどん出て行きます。」と嬉しそうに話していただいた。そしてポケットから人吉産業祭のパンフレットを出して、「美味しいものがいろいろ出てますよ。」と宣伝された。お話では人吉市の東にある錦町からこられていた。農業をされていて人吉産業祭にも関わりを持っておられたかもしれない。

(青井阿蘇神社)

(青井阿蘇神社)

(青井阿蘇神社:七五三でいっぱい)
青井阿蘇神社から先に進む矢印がハッキリせずに道を迷われていた方が多くいた。JRの係員も配置されていなかった。人出が多いところでは係員を配置していたが良いと思う。
駅前の人吉鉄道ミュジアム「MOZOCAステーション868」へ向かう。少し回り道をしていくコースになっていたが、青井阿蘇神社から駅前に出て行くコースであれば。道もはっきりしていて迷う人もいなかったのではなかろうか。
MOZOCAに着く少し前に、SL人吉号が人吉駅に入った。MOZOCAの展望台から見ている人も多かった。
MOZOCAはどちらかといえば子供向けの施設。ミニトレインなどで遊べる。

(MOZOCA)

(MOZOCAミニトレイン)

(MOZOCAミニトレイン)

(MOZOCAの展望台から人吉駅)

(MOZOCAのレイルバイク:後方は旧人吉機関区石造庫)
人吉駅にゴールして、マップを失くしたので下さい、とお願いしたら、マップはコピーに変わっていた。予想よりも多くの参加者があったようだ。失くしたと思ったマップは家に帰ったらリュックの中から出てきた。
駅前の広場でもいろんな催しがあっていた。ここでも焼酎の試飲があったので、またまたいただいた。紅茶やクッキーなどの無料サービスもいただいた。お饅頭、弁当、煮しめなどの販売もされていた。

(駅前広場からくり時計の下で催し物)

(駅前でも球磨焼酎の試飲)
催しを楽しんだ後、駅の裏へ。ホームから見えるところに大村横穴群がある。高さ30m程の垂直な崖に、今から約1400年前、7世紀初めに造られた古代人の墓群。現在は27基程遺っている。

(大村横穴群)
少し歩いて、JRの人吉鉄道事業部へ。旧人吉機関区の石造庫、今もSLの反転に使われている転車台、SL館がある。石造庫はMOZOCAやホームからも見れる。SL館には当時使われていたさまざまなものが展示してある。石造庫に入庫しているSLの見学は事前に予約がいるようだ。マップに場所が書いてあればゴール後に多くの人が訪れたと思う。数年前の人吉駅ウォーキングに参加した時は、ここもコースに入っていた。

(SL人吉号とMOZOCA)

(SL館)

(SL館)
駅に戻って、人吉駅13時30分発熊本駅行の快速列車に乗るためにすでに多くの人が乗車口に並んでいる。列車がホームに入ってきて、朝来た時とは反対側の窓側に座ったが、列車が進む方向とは逆向きの席にしか座れなかった。前の席に座ったのは、朝来た時にやはり前に坐っていた2人連れの女性の方々だった。その時は私が進行方向に向かっての席だった。見渡すと、朝同じ列車だった人も多いようだ。マップには、今日のコースは距離6km、所要時間約2時間とあるけど、朝は9時前に着いたので、4時間半程人吉にいたことになる。今日の参加者は皆さん人吉をいっぱい楽しまれたようだ。このレポートも長文になったが、まだまだ書き足りない思いがある。

(吉松駅へ出発するいさぶろう・しんぺい号)

(人吉とお別れ)
快速列車は人吉駅から2つ目の渡駅に止まる。そこで子ども2人連れの人が乗ってきた。列車はほぼ満員だったけど私の横の席は空いている。席を譲って、空いている通路側の席に座った。球磨焼酎の試飲を重ねてきたせいか、うつらうつらなって今日のウォーキングを終える。
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