2019年10月26日(土)
今日は、JR九州長崎本線吉野ヶ里公園駅(佐賀県)。

(今日のマップ)

(今日のマップ)

(吉野ヶ里公園駅南口)
長崎街道田手宿にある田手神社へ。

(田手神社)
田手神社から吉野ヶ里歴史公園の東口へ。

(吉野ヶ里歴史公園東口)
吉野ヶ里は、昭和61(1986)年から本格的な発掘調査が行われ、弥生時代前期には2ヘクタール、中期には推定20ヘクタール超、後期には40ヘクタールを超す大規模な弥生時代最大規模の環壕集落へと発展したことが判明している。
現在、国営の歴史公園として整備され、平成13(2001)年に開園。国営公園と県立公園の部分を合わせて面積約104ヘクタールの広さの公園として国内外の観光客で賑わっている。

(吉野ヶ里歴史公園東口入口)

(ひみかちゃんのお出迎え)

(ムラの入口)
弥生くらし館では、特別企画「邪馬台国と豊の国『豊前』」展が開催されている。
吉野ヶ里は、魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子と似たような建物跡が発見されて一躍全国の注目を集めた。
邪馬台国については九州説、近畿説で論争がある。
展示では、近畿説、九州説の説明と九州説に立って近畿説への反論が展開されている。
また、福岡の太平洋側、豊前地域の弥生時代の遺跡が紹介され、近畿とも交流があったことなどが紹介されている。
これまで、豊前地域の弥生時代の遺跡のことをまとまって学ぶ機会がなかったのでとても興味深い内容になっている。

(特別企画展の案内)
特別企画展を観終わって、公園内を散策。

(公園で)
お花たちも地球環境の変化にはついていけない。

(公園で)

(公園で)
「南のムラ」には白いそばの花が咲いている。

(白いそばの花)

(白いそばの花)
「南内郭」は王やリーダー層の人々が住んでいた場所と考えられ、物見櫓4棟、建物20棟が復元されている。
門に飾りとして設置してある鳥は、当時の習俗的シンボルであったと考えられていて、佐賀県神埼市の「託田西分貝塚遺跡」の出土例に基づいて復元した鳥形を設置してある。

(南内郭の物見やぐら)

(南内郭)
ひみかのみちを歩いて、まつりごとの場所「北内郭」へ。

(ひみかのみち)

(北内郭の主祭殿と物見櫓)
入口は、鍵形に折れ曲がって、真っ直ぐ入れないようなに構造になっている。

(北内郭の入口)
「主祭殿」は、吉野ヶ里のクニ全体の重要な事を決める会議を行ったり、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、中心的な建物と考えられている。

(主祭殿2階)

(主祭殿3階)

(北内郭の竪穴住居と物見櫓)

(物見櫓からの眺め)
北内郭を後に、祭祀権者の祭祀儀礼の補助等を行う祭司者達の生活の場であったと考えられている「中のムラ」を横に進む。

(中のムラ)
祭りの広場へと向かう。

(ご案内)

(背高泡立草と蝶)
祭りの広場の一角には赤いそばの花が咲いている。

(赤いそばの花)

(赤いそばの花)
お祭り広場では、「吉野ヶ里ふるさと炎祭り」が開催中。

(吉野ヶ里ふるさと炎祭り)
弥生時代も食べていただろうイノシシ、その角煮汁。こんな風にして食べていたのだろうか。300円。

(イノシシの角煮汁)
ウォーキングのおふるまいで「栄西茶」を利用したお菓子をいただいた。

(栄西茶のお菓子)
そして、そば茶も。

(そば茶のおふるまい)

(温暖化・・・)
「甕棺墓列」へ。甕棺は北部九州に特色的なお墓。大型の素焼きの土器に亡くなった人の手足を折り曲げて入れ、土の中に埋める埋葬方法で、全体で3000基を超す甕棺が確認されている。

(甕棺の復元)

(甕棺墓列のお花たち)

(甕棺墓列のお花たち)

(甕棺墓列のお花たち)
公園の全部を観て廻ってはいないが、北口から出る。

(公園のマップ)
公園を出て、田手川。最初に訪れた田手神社は下流の川沿い。

(田手川)
吉野麦米(よしのばくべい)は吉野ヶ里の産直市場・石釜パン工房。お蕎麦のお店「生蕎麦処お福食堂」もある。今日は、そばの花を観てきたので、やはりそばを食べなくては。
お客様が多い。人気のお店のようだ。
並んで待って食べ終わるまで1時間程かかったが、紅白のそばの花を思い出しながらいただく。美味しかったぁ。

(吉野麦米)

(野菜かき揚げのセット)
食後はゴールへと向かう。

(また、蝶に会う)

(稲刈りも)
吉野ヶ里公園駅北口に着く。

(吉野ヶ里公園駅北口)
ゴール受付を済まし、帰りの列車をしばし待ち、今日のウォーキングを終える。
ビールは晩酌までお預け。
今日は、JR九州長崎本線吉野ヶ里公園駅(佐賀県)。

(今日のマップ)

(今日のマップ)

(吉野ヶ里公園駅南口)
長崎街道田手宿にある田手神社へ。

(田手神社)
田手神社から吉野ヶ里歴史公園の東口へ。

(吉野ヶ里歴史公園東口)
吉野ヶ里は、昭和61(1986)年から本格的な発掘調査が行われ、弥生時代前期には2ヘクタール、中期には推定20ヘクタール超、後期には40ヘクタールを超す大規模な弥生時代最大規模の環壕集落へと発展したことが判明している。
現在、国営の歴史公園として整備され、平成13(2001)年に開園。国営公園と県立公園の部分を合わせて面積約104ヘクタールの広さの公園として国内外の観光客で賑わっている。

(吉野ヶ里歴史公園東口入口)

(ひみかちゃんのお出迎え)

(ムラの入口)
弥生くらし館では、特別企画「邪馬台国と豊の国『豊前』」展が開催されている。
吉野ヶ里は、魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子と似たような建物跡が発見されて一躍全国の注目を集めた。
邪馬台国については九州説、近畿説で論争がある。
展示では、近畿説、九州説の説明と九州説に立って近畿説への反論が展開されている。
また、福岡の太平洋側、豊前地域の弥生時代の遺跡が紹介され、近畿とも交流があったことなどが紹介されている。
これまで、豊前地域の弥生時代の遺跡のことをまとまって学ぶ機会がなかったのでとても興味深い内容になっている。

(特別企画展の案内)
特別企画展を観終わって、公園内を散策。

(公園で)
お花たちも地球環境の変化にはついていけない。

(公園で)

(公園で)
「南のムラ」には白いそばの花が咲いている。

(白いそばの花)

(白いそばの花)
「南内郭」は王やリーダー層の人々が住んでいた場所と考えられ、物見櫓4棟、建物20棟が復元されている。
門に飾りとして設置してある鳥は、当時の習俗的シンボルであったと考えられていて、佐賀県神埼市の「託田西分貝塚遺跡」の出土例に基づいて復元した鳥形を設置してある。

(南内郭の物見やぐら)

(南内郭)
ひみかのみちを歩いて、まつりごとの場所「北内郭」へ。

(ひみかのみち)

(北内郭の主祭殿と物見櫓)
入口は、鍵形に折れ曲がって、真っ直ぐ入れないようなに構造になっている。

(北内郭の入口)
「主祭殿」は、吉野ヶ里のクニ全体の重要な事を決める会議を行ったり、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、中心的な建物と考えられている。

(主祭殿2階)

(主祭殿3階)

(北内郭の竪穴住居と物見櫓)

(物見櫓からの眺め)
北内郭を後に、祭祀権者の祭祀儀礼の補助等を行う祭司者達の生活の場であったと考えられている「中のムラ」を横に進む。

(中のムラ)
祭りの広場へと向かう。

(ご案内)

(背高泡立草と蝶)
祭りの広場の一角には赤いそばの花が咲いている。

(赤いそばの花)

(赤いそばの花)
お祭り広場では、「吉野ヶ里ふるさと炎祭り」が開催中。

(吉野ヶ里ふるさと炎祭り)
弥生時代も食べていただろうイノシシ、その角煮汁。こんな風にして食べていたのだろうか。300円。

(イノシシの角煮汁)
ウォーキングのおふるまいで「栄西茶」を利用したお菓子をいただいた。

(栄西茶のお菓子)
そして、そば茶も。

(そば茶のおふるまい)

(温暖化・・・)
「甕棺墓列」へ。甕棺は北部九州に特色的なお墓。大型の素焼きの土器に亡くなった人の手足を折り曲げて入れ、土の中に埋める埋葬方法で、全体で3000基を超す甕棺が確認されている。

(甕棺の復元)

(甕棺墓列のお花たち)

(甕棺墓列のお花たち)

(甕棺墓列のお花たち)
公園の全部を観て廻ってはいないが、北口から出る。

(公園のマップ)
公園を出て、田手川。最初に訪れた田手神社は下流の川沿い。

(田手川)
吉野麦米(よしのばくべい)は吉野ヶ里の産直市場・石釜パン工房。お蕎麦のお店「生蕎麦処お福食堂」もある。今日は、そばの花を観てきたので、やはりそばを食べなくては。
お客様が多い。人気のお店のようだ。
並んで待って食べ終わるまで1時間程かかったが、紅白のそばの花を思い出しながらいただく。美味しかったぁ。

(吉野麦米)

(野菜かき揚げのセット)
食後はゴールへと向かう。

(また、蝶に会う)

(稲刈りも)
吉野ヶ里公園駅北口に着く。

(吉野ヶ里公園駅北口)
ゴール受付を済まし、帰りの列車をしばし待ち、今日のウォーキングを終える。
ビールは晩酌までお預け。
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