安倍内閣の進めるTPPなのだが、これは秘密交渉であるが故に、その内実について様々な憶測が生じているし、同様である協定として先行しているFTA締結国の様々な「実態」が報じられるにつけ、その「不安」について盛り上がることとなる。
他方、日本は中国包囲網などを作ろうとしていて、フィリピンに警備艇の供与を決めたりしているのだが、頼みの米国は親中政策に切り代わっていて、対中国包囲網などが完成する見通しすら無い。日本以外にはインドが対立軸となりうるが、インドもまた中国と正面切って事を構える立場にはない。
中国と関係が不透明であったベトナムは、現在も南シナ海の海洋権益で争っているようには見えるが、懸案だった中越国境の画定なども行われ、以前のような中越紛争の火種となるまでには至っていない。
これら日本外交の方向音痴は、福島第一原発事故による今後広がるであろう海洋汚染を端緒として、益々日本の外交的地位の地盤沈下を推し進める。
日本がこうした外交的蹉跌を蹉跌と認識しないまま、その蟷螂の斧だけを振り回すアンポンタン外交を行っている時期に、米中の指導者は長時間にわたり直に会談を行って、その「戦略的互恵関係」を密にすることとなる。
日米の関係が「修復」されたとは到底思えない。安倍晋三がオバマと会った際の待遇などを見ると、日本がもはや米国にとっては真剣に相手にする立場には無いことが分かる。
アフガニスタン問題時には、憲法の縛りがあって派兵できぬとしていた日本が、今や憲法改正による派兵可能な仕組みを、十年遅れで行おうとするのも、米国が不信を持つ要因であるだろう。
こうした閉塞感は、実は庶民こそが感じている。中国だって経済成長の鈍化が、すなわち将来への閉塞感を生み出していて、こうした相互の閉塞感が、ナショナリズムという形で噴出する。
この閉塞を生み出している元に対してではなく、尖閣諸島という地位紛争の火種を契機に、日本と中国のナショナリズムを刺激しているわけだが、実は敵は別にいるのである。そうした緊張感を生み出すことで利を得るのは誰か、を考えると簡単に分かる。
相互に相手を「嫌う」事で、例えば米国議会の議員すら分からぬTPPの内容に深く関与していると思われる米国のグローバル産業。世界の多様性を認めずに、あるひとつの産業に有意にルールそのものが作られ、排除するというのが、実はグローバルスタンダードの姿である。その寡占性、独占性は、多様な地域の多様な文化と相反するものとも言える。
米国は日本で米国の品物が売れないのは、日本の商品に対する厳しい規格にあり、それが非関税障壁となっているという。だいたい米国人のような生活と、日本の生活は違う。違う生活習慣であるから、その習慣に見合った規制は当然である。米国の「まったく日本の生活習慣と適合しないルールを押し付ける。そんなもん、売れるわけは無い。アホじゃないか。
日本でも売れているものがある。例えばそれはApple社の製品である。あるいはMicrosoft社の製品である。それらは日本向けにしっかりローカライズしている。つまり、日本人が使い易いための種々の方策を採っているのであり、日本人のエンジニアなどが、自分達の考えを取り入れるようにしていて、そうした人々を米国産業が使っているからでもある。日本人の生活習慣の中で納得できる形にしたものは、売れるのである。
非関税障壁を突破するためには、そもそも「米国の方式が一番」という考え方を廃さない限り駄目である。グローバル・スタンダードと呼ばれるものが、時として世界各地で排斥運動の対象となるのは、単なるその国のナショナリズム故ではない。そうした国の文化や生活環境などを顧慮しない、何でも米国方式、というのが嫌われているし、必要とされていないだけ、なのである。
こうした「グローバル・スタンダード」の押し売りは、時として相手にとっては単なる米国方式の押し売りとなるわけだ。日本人がTPPに対して疑義を持つのは、こうした「米国の押し売り」に対する心理的反発もあるわけである。この心理的反発の部分を顧慮せずに、思い通りにゴリ押しをすると、そこに生まれるのは「反グローバリズム」を起点にした「反米感情」に容易に転化する。
アル・カイーダに対する戦いに、不用意に「十字軍」と言ってしまい、米国内のイスラム信者から多大の批判を受けたブッシュJR前大統領のような、ああした「自分だけが正義」と思い込んで、他者を省みない姿が、グローバル・スタンダードというものの本質なのではないか。であれば、自国の文化を守るためのナショナリズムが各地で勃興するのは当然である。
もはや、グローバル・スタンダードという侵略軍と、ナショナリズムという防衛軍の争い、と図式化できる。その図式化の中で、過激なナショナリズムが、グローバル・スタンダード以外は認めないというような尊大な差別的態度の反作用として、文化差別や人種差別などの辺境なナショナリズムと結びつく。この対立は根深い。相互理解などは「したくない」同士の争いであるからである。
かくして、グローバル・スタンダードの主導する世界は、地域紛争の時代、非対称戦争としてのテロの時代の到来とも言える。