多摩川 健・・リタイアシニアのつれずれ・・時代小説

最近は元禄時代「寺子屋師匠 菊池三之丞 事件控え」全30話書いてます。週2-3回更新で順次 公開予定。

東京財団 中東の権威 佐々木先生の イラク小論文紹介

2005年10月26日 23時28分42秒 | 競馬予想
「自衛隊のイラク派遣に新たな目的を設定しろ」

:不明確な自衛隊のイラク派遣
 2004年1月16日、この日の成田空港には、戦後初めて戦闘地域に
向かう自衛隊員と彼らの家族のために、見送りの部屋が設けられて
いた。彼らと同行することになった私もその部屋に入った。涙する
者こそその場にはいなかったが、任地に向かう隊員も見送る家族も
複雑な心境であったろう。
 戦後、自衛隊が警察予備隊の名で創設され、自衛隊に変名し、準
軍隊という不名誉な形ではあれ、持てる機能を発揮し、自国領土の
安全を守り続けて50年余になる。国内ばかりではなく、これまで何
度と無く自衛隊が海外に派遣されたが、そのほとんどは安全な場所
であり、偶発を含む戦闘を前提とした場所ではなかった。
 イスラエルとシリアが戦時体制にあるゴラン高原への派遣も、イ
スラエル・シリア双方が停戦状態にあり、もし、一方が戦争を始め
るとすれば、事前に自衛隊にも知らされ、何も知らずに戦争に巻き
込まれるという情況にはなかった。つまり、戦時体制にある地域と
は言え、その意味では安全な地域への派遣だった。あえて危険を挙
げるとすれば、不発弾や地雷などによる事故であろう。
 しかし、今回のイラクへの派遣には、幾つもの危険性が潜んでい
た。現地人の外国軍に対するテロ、アメリカ軍の攻撃時に撃った劣
化ウラン弾の危険性、サマーワが比較的湿地帯であることから来る
風土病、イスラム原理主義者のテロ、周辺諸国の関与と枚挙に暇が
無かった。
 それだけに、第一次業務支援隊の隊員たちは、それぞれに大きな
不安を抱いてサマーワに向かったのだ。彼らが帰国した後、何度か
戦友の一人として懇親会に招かれたが、そのなかで彼らが口にした
言葉のなかから、彼らがサマーワに向かうにあたって、不安を抱い
ていたことが私には十分伝わってきた。

 『佐々木さんは毎晩猥談や冗談を話していたよね、俺にはそれが
すごい力になったんだ。だって明日死ぬかもしれないところに来て、
平気な顔してそんな話をしている人がいるんだもの。俺も自衛官と
して強くならなきゃ、と何度も自分に言い聞かせたんだ、、。』。
 また、サマーワや日本でヒゲの隊長として有名になった佐藤正久
第一次業務支援隊長は「正直なところ命令を受けたときに不安があ
ったよ。でも佐々木さんに成田で会ったとき、この人と行ったら大
丈夫だという変な自信が湧いたんだ。きっと任務をしっかり果たし、
隊員全員と無事に帰国できるという確信のようなものを直感したん
だ、、。」と語ってくれた。
 自衛隊がサマーワの基地を完成させ、実際の支援活動が始まった
ころから、現地サマーワでは、2,3日に1回の割り合で、外部からの
攻撃警戒情報が飛び込んでいた。つまりその度に、自衛隊員たちの
脳裏を「今日死ぬかもしれない」という不安がよぎっていたのだ。
 それに加え、次第に気温が上がっていくサマーワでの作業は、決
して楽なものではなかった。一時期は60度に近い気温が日陰で記録
されていたのだ。その日の直射日光の下はものすごい暑さであった
ろう。その暑さの中で、ヘルメットをかむり、18キロもある防弾チ
ョッキを着て、自衛隊員は黙々と支援の作業を行っていたのだ。
 彼らが派遣されるに当たって、明確な派遣の目的は示されていな
かった。あえて言えば『イラクのサマーワ市を中心とするムサンナ
県の戦後復興支援』というものだった。それは具体的にどのような
任務なのかは示されず、ほとんど現地に派遣された自衛隊員たちに
よって見つけ出され進められたものだった。
 しかも、その作業を進めるなかで、日本政府は現地隊員が必要と
思う支援物資や資金を、潤沢に提供してくれていたわけではなかっ
た。まさに暗中模索、悪戦苦闘といった状態の中で彼らの支援活動
は進められていたのだ。

:サマーワ住民の本音・ゴールド・ラッシュ
 イラクは広大な領土を有するアラブの中の大国であり、自衛隊員
が派遣されたサマーワは、そのイラクの南部に位置する片田舎の街
なのだ。シーア派住民がほとんどのこの街は、サダム体制の時代に
はスンニー派住民の多い地域に比べ、放置された後発の地域であっ
た。従って、イラク戦争後の復旧も、自衛隊員が派遣されなかった
ら、相当後回しになっていたことであろう。
 しかし、アッラーはサマーワの住民を祝福され、日本から自衛隊
という慈善の組織を派遣してくださった。日本は金持ちの国であり、
科学技術の進んだ国だ。その国がサマーワに来てくれるということ
は、サマーワがゴールド・ラッシュを迎えたようなものだった。
 最初に起こったゴールド・ラッシュの波は、自衛隊基地設立のた
めの土地の賃貸契約だった。延べるまでも無く、言を左右してなか
なか支払い金額を明示しないオランダ軍とは異なり、日本は最初か
ら明確な支払い金額をめぐる交渉をしてくれた。
 続いて基地建設の資材の購入、工事の発注とそれに伴う雇用が起
こり、基地が出来上がるとインフラの復興の仕事が続いた。水の配
給も同時進行していた。英語が出来る者たちには通訳の仕事が生ま
れた。サマーワの住民が過去に経験したことの無い、幸運の時が訪
れたのだ。これが自衛隊員を迎え入れたサマーワ住民の本音なのだ。
 後日、日本では「自衛隊の現地に対する支援に不満が出ている。」
「自衛隊は歓迎されていない。」といった報道が何度となく繰り替
えされたが、実際の情況は全く違う。もし自衛隊がサマーワから撤
退したら、ゴールド・ラッシュは一瞬にして終わりを告げることを
サマーワ住民は一番良く知っているのだ。
 これまでサマーワの自衛隊基地に対して起こった攻撃は、ほとん
どがもっと仕事を受注したい現地の業者や、仕事にありつけない現
地人の仕事よこせのデモンストレーションだったのだ。それ以外の
他所から来るテロリストの攻撃は、ほとんどサマーワの警察や住民
によって未然に防がれているのだ。
 これまで何度か、サマーワで自衛隊の撤退情報が流れたことがあ
る。その度に現地のイラク人から私のもとにはその事実確認の問い
合わせがあった。彼らは一様に、出来るだけ長期間に渡って自衛隊
がサマーワに留まってくれることを望んでいる、というものだった。
 サマーワを含むムサンナ県の県知事は、日本を訪問しているが、
彼が何度と無く日本政府や外務省に対し、不満を述べたということ
も報道された。しかし、それは彼が政治家として自分の立場を強化
するために、「少しでも早く、少しでも多くの支援。」を日本から
取り付けるために行った、政治的駆け引きに過ぎなかったのだ。
 その彼の政治的な言動を真に受けて、あたかも彼が自衛隊派遣に
反対しているかのように報じた日本のマスコミは、あまりにもアラ
ブを知らな過ぎるということであろう。あるいは、彼らは全く意味
合いの違う出来事をもって、自分の主張の正しさを証明しようとし
たのであろうか。私のところには、ムサンナ県知事からも何度か、
直接間接に支援に関する依頼がメールで送られてきていたのだ。

:自衛隊の成果と限界
 つまり、これまで自衛隊はサマーワへの支援で、十分に現地に貢
献できているということであり、住民に感謝されているということ
だ。しかし、そろそろその現地に対する貢献も、ある種の限界の時
期に近づいているのではないか。
 現地で自衛隊から通訳や、基地のガードといった仕事をもらえて
いる人たちは、今後も自衛隊が継続して現地に留まってくれれば、
仕事にあぶれることは無いと思っているだろう。従って、彼らは自
衛隊が何時までも居てくれることを強く望んでいる。
 しかし、それ以外の人たちに対する仕事は、現在の自衛隊には、
そろそろ限界が来ており、割り振れる状態には無くなってきている。
学校の修復や病院の修理、道路の舗装や架橋工事といった仕事も、
そろそろほぼ完了に近づいているのだ。
 これ以上現地人に日本が仕事を提供できるのは、日本企業が現地
入りし、本格的な復興事業が進められるときを待たなければならな
いだろう。その本格的な日本企業のサマーワを含むイラクへの進出
は、現段階では何時になるのか判断出来ない、というのが外務省の
見解のようだ。
 人間は人の厚意を受けた当初は感謝するが、次第に厚意に対する
感謝の気持ちをなくしていくものだ。イラク人も例外ではあるまい。
自衛隊が派遣された当初、あれだけ歓迎し感謝したサマーワの住民
も、次第に欲が強くなり、「もっと日本は支援してくれるべきだ。」
と主張するようになってきている。

 私はこれまで、その類の問い合わせと要望に対し『日本政府は貴
方たちの政府ではない、日本政府には貴方たちを支援しなければな
らない何の義務も無い。あるのは人道的義務だけだ。』と答えてき
た。彼らはその私の返答に納得していた。
 言われてみればその通りだ。日本の自衛隊がサマーワを攻撃し、
破壊したわけではないのだから、日本には復旧してやらなければな
らない何の義務も無いのだ。イラク人にはその当たり前のことが、
日本人とは違って簡単に理解できるのだ。
 この段階に到って日本が採るべき道は、サマーワの住民とムサン
ナ県知事に対し、自衛隊による復興支援は限界点に達した。これ以
上の貢献はイラクが平和になり、日本のビジネスマンが安全ななか
で、イラクでの仕事に就けるようになってからだ、と伝えることで
あろう。そしてイラクの安全はイラク国民一人一人が創り出さなけ
ればならないことなのだ、ということを明確に伝えるべきであろう。
 自衛隊がこれといった仕事もない状態のなかでサマーワに留まり、
あたかもサマーワに貢献しているように振舞うことは、現地住民の
不満を募らせるだけであり、今後、危険を増大していくことに繋が
る。
 サマーワの住民から見れば、自衛隊が何を貢献してくれているの
か一目瞭然なのだ。これといった貢献の形も見えない状態で、今後
も自衛隊員が現地に留まれば、イラク人は「自衛隊が復興支援隊か
ら占領軍に変わった。多分、我々の石油を奪うために留まっている
のだ。」と考えるようになっていこう。彼らはいま、アメリカ軍や
イギリス軍がイラクに留まっているのは、イラクの石油を支配する
ためだ、と受け止めているからだ。自衛隊がこれまで安全でいられ
たのは、アメリカ・イギリス軍とは異なり、自衛隊のサマーワ駐留
目的が、あくまでも目に見える、復興支援に限られていたからなの
だ。

:行きはよいよい帰りは怖い
 戦争を始めるのは誰にでも出来るが、終わらせるのは容易では無
いと言われる。大東亜戦争も結局のところ、当時の政府には戦争を
終わらせる覚悟が出来ず、天皇陛下に終戦決断のお鉢を回すという
極めて不敬な形をとっている。
 大東亜戦争は開戦の理由が明確だったのだから、終戦の理由も明
確にすることが出来たはずなのだ。
日本の生命線を断たれそうになったので開戦したが、その戦争目的
が達成できなくなったから止める、ということに出来たはずだ。
 今回の場合はどうであろうか。今回の自衛隊派遣は、イラク戦争
後のサマーワを中心とする、ムサンナ県の復興を支援する、という
極めて不明確な目的によるものだった。その復興支援がどのレベル
まで、どの程度の資金援助を覚悟し、どの程度の期間に渡って日本
が行うのか、何も明確になっていなかった。
 また、復興支援が何時までになるのかも必ずしも明確ではなかっ
た。一応は2005年12月14日としたものの、それはあいまいなものだ
った。
 既に述べたように、自衛隊がサマーワで行える復興支援は、既に
限界点に達している。これ以上駐留することは、自衛隊員の危険負
担が増し、現地住民たちからは、次第に感謝されるのではなく、不
評と不信と反発を買うことになろう。従って、そろそろ日本政府は、
自衛隊のサマーワ派遣を終わらせるべきだということになる。 

:復興支援から教育支援へ
 自衛隊のサマーワ派遣が限界に近づいている、という私見を述べ
たが、実は私の気持ちはただ自衛隊員を帰国させればいいというの
ではない。もし、この段階で日本は自衛隊の派遣を終わらせれば、
イギリス軍やオーストラリア軍がサマーワから撤退するので怖くな
って引き上げた、という不名誉な形になり、サマーワの住民もそう
受け止めることになろう。
 これでは、いままでの自衛隊員の大変な苦労と、日本国民の血税
によるサマーワへの貢献が台無しになってしまうではないか。自衛
隊員が安全のうちに、今日までサマーワで貢献して来られたのは、
日本人に対する信仰にも近い、イラク人の信頼があったればのこと
だ。
『日本人はきちんと仕事をしてくれる。日本の製品に間違いは無い。
日本人が造ったものは壊れ難い、、。』といった、現地人の間での
これまで日本が積み上げてきた成果に対する、評価の蓄積がものを
言っていたのだ。
 もし、ここで不明確な形で、自衛隊がサマーワから撤退すること
になれば『日本政府はアメリカの命令で自衛隊を派遣したのではな
いか?』というイラク国民、なかでもサマーワ住民の不信感を裏付
けてしまうことになろう。
 だからこそいま、日本政府はサマーワ住民とムサンナ県知事、イ
ラク政府に対し、これまで行ってきた自衛隊による復興支援が限界
点、最終段階に至ったことを明確に説明し、伝えるべきなのだ。そ
して、一旦は基地を守るための一部隊員を残し、サマーワから撤退
し、イラク国外に出るべきであろう。
 その後で、日本政府は派遣自衛隊員の規模を縮小し、イラクに対
し、新たに教育支援をサマーワで始めることを伝えるべきであろう。
これから日本が行うサマーワの若者たちに対する教育の成果は、例
え、今後イラク国内が一時期、内戦という不幸な状態になったとし
ても、内戦はイラクの若者たち個々が習得した成果を破壊し、ある
いは奪うことは出来ないのだ。
 場当たりの、お仕着せの支援ではなく、今後5年10年という長い
期間でイラクを考え、支援しようとするのであれば、教育支援が最
もふさわしいと言えるだろう。自衛隊員の中には、あらゆる技術を
習得している多くの人材がいる。それは自衛隊そのものが自己完結
型の組織だから当然のことなのだ。
 サマーワに建設した自衛隊の基地は、新たな教育支援の段階から
基地ではなく、教育施設に様変わりしていくのだ。そして政府は、
即応予備自衛官がこの教育支援に参加することが出来るよう法律を
整備し、教育支援がスムーズに進められるようにすべきであろう。
ここ1,2年で定年を迎える団塊の世代の人たちは多数いる。彼らの
なかには、新たな人生の価値を見出そうとする者も少なくなかろう。


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