多摩爺の「時のつれづれ(長月の29)」
国葬への案内状
今月27日に日本武道館で行われる予定の・・・ 元総理の国葬について、
三権の長(現職・元職)、国会議員(現職・元職)、海外の要人、立法、行政、司法の関係者、
地方公共団体の代表、各界の代表に向けて、出席を求める案内状が送られているようだ。
さらに・・・ 出欠の意思表示については、
13日までに同封の葉書を投函するよう求められているとの報道もあった。
本来、葬儀へは参列は、求められて行くものではなく、
故人との関係性などを鑑み、個人の意思によって、参列するか否かを判断すべきものだと思うが、
今回の国葬のように、6,000名規模で行われるとなれば、そうはいかないようである。
そりゃ、そうだろう。
入場者を案内する際に「あなたから後ろの方々は、もう座る席がありませんから、
立っていただくことになります。」と言われたら・・・ 「なにやってんだ。」になってしまうし、
そんな不細工なことをやってしまったら、故人に対しても失礼極まりない。
それをいまSNSを使い、わさわざ案内状まで添付して「欠席する。」と、
当て擦り気味に、意思表示する野党の現職議員(元幹部)が出てきたもんだから、
識者や、コメンテーターのみならず、SNSやネット掲示板で、賛否の声が数多く寄せられている。
そもそも葬儀なんてものは、強制されて行くものではないのは当然だが、
欠席を表明した知事のなかには・・・ 「半強制的な国葬には行かない。」と、
トンチンカンなコメントを発する知事もいるんだから、驚きを通り越えて呆れてしまった。
そもそも半強制なら、通知一つで済むはずで、案内状など回りくどいことは必要ないし、
同封された葉書によって、出欠の意思表示が求められているんだから、
いったいどこが、半強制なのか・・・ 仰ってることが、全くもって意味不明である。
投函の締め切りが13日だから、
先週末の選挙で再選を果たした知事は、興奮を隠せず慌てて表明したんだと思うが、
47都道府県知事の中で、欠席される知事は・・・ おそらく数名程度だと思われるので、
わざわざ、火のないところに煙を立ててまで、自ら政府と対決しようとする姿勢に、
老婆心ながら・・・ 「おいおい、頭の中は大丈夫か?」と心配になる。
誤解しないで欲しい。
けっして・・・ 欠席することに、イチャモンを付けているのではない。
政治信条の違いがあることは、十分に理解し承知しているが、
要らぬ一言を付け加えてまで、喧嘩を売る必要はないと言ってるだけである。
それにつけても・・・ 興味深いのは、野党第一党幹部の出方(出欠)だろう。
同じ野党でも、出欠は分かれており、
維新と国民民主は、党として参列の意思を表明しているが、
共産、社民、れいわは、党として欠席することを表明している。
ところが、野党第一党の立憲は、議員一人一人の判断に任せるとしたもんだから、
SNSを使って、嫌みっぽい意思表示をする議員が出てきている。
閉会中審査において、代表自ら質問に立ち「国葬決定は誤り。」と発した言葉に責任を持つなら、
13日の投函締め切り直後に、立憲幹部の意思表示をすべきだと思うが、
残念ながら・・・ その意思表示は、まだ出ていない。
国民民主や、支持母体の連合との関係を気遣ったり、立憲共産党と揶揄されることを嫌って、
レフトウイングの政党と、足並みを揃えたくないのだろうが、
閉会中審査で、厳しめの追求をしたにも拘わらず、
個人の判断で「出席します。」では示しが付かないと思うが・・・ 如何なものだろうか?
この議題については、13日に投稿するつもりで、既に大半を綴り終えていたが、
投稿直後に野党第一党の幹部の表明があったら、間抜けになるので、1日遅らすことにしている。
ひょっとして、今日(14日)表明があったら、やっぱり間抜けになってしまうが、
そのまま放っておいたら、投稿の機会を失うので、その時はご容赦いただければありがたい。
個人的には、同い年であり、同郷でもある元総理の国葬は、
心情的なものも少なからずあって・・・ 実施すべきとの考えだが、
民主主義の国に暮らす者の一人として、国葬に反対する人々の声を否定するものではない。
ただ一つ残念だと思うのは・・・ 閉会中審査で、総理が説明したのは良いとしても、
8月3日に招集された臨時国会で、国葬に至った意義を説明し、
衆参で1日程度の質疑応答を経たのち、早々に決を採っていれば、
ここまで揉めることはなかったと思っている。
たった1日程度の質疑応答に、費やす時間を惜しんだばっかりに、
国葬の実施に味噌をつけてしまったことが・・・ 残念で堪らない。
それにつけても、本来なら名誉であるはずの、案内予定者の約6,000名に選ばれて、
総理から案内状をいただいたにも拘わらず、報道のカメラを招き入れて、
「なんで私のところに、案内状が来るのか意味が分らない。」などと、無駄口をたたきながら、
「私は行かないけど・・・。」と発する、元職の野党議員さんがいることに驚きを隠せない。
国会議員であり、国会議員であった者に礼儀を持って出された案内状だから、
礼儀を持って返答すれば良いだけであって、
わさわざ貶めるようなコメントを付け加える必要はないんじゃなかろうか?
国葬に行く行かないは自由だし、なにを言っても自由の範疇なのだろうが、
この国の政治に関わる者(関わった者)としては、
あまりにも、軽率すぎると思うが・・・ 如何なものだろうか?
あるコメンテーターは「人の葬式に行かない人は、黙って行かなければいいだけです。」と述べ、
「行きません。」とわざわざ言う必要はないし、
国葬反対の意思表示は自由だが、集まって騒ぐのは・・・ 不道徳とまで言っている。
個人的には、不道徳とまで言うつもりはないが、
当日は海外の報道関係者が、多数入ることを踏まえれば、
集まって騒ぐのは・・・ 前日までにしてほしいと願ってやまない。
国葬まで・・・ あと2週間、
警備については、そろそろリハーサルや、シミュレーションを行うタイミングに来ている。
反対は構わないが、邪魔だけはしないでほしい。
この国には、かつて「村八分」という、想像を絶する厳しい掟があった。
それは、村の掟に従わない者に対し、
葬儀と火事を除いて、その家の者と絶交することを強制している。
税金を全額投入して行う、大がかりな葬儀(行政の行事)と、
村社会の相互扶助によって行われる、簡素な葬儀は、全くもって別物ではあるものの、
死者を弔う気持ちに、変わりはないと思うが・・・ 如何なものだろうか?
また、先日亡くなられたイギリス女王の国葬と、元総理の国葬をどうしても比較したい人々もいる。
なにを言っても自由だから・・・ それはそれで構わないが、
「野暮なことは、言うもんじゃないよ。」とだけ、記しておきたい。
閑話休題
前もって触れることを怠ってしまったが、本件はあくまでも個人的な思いであって、
コメントをいただいても、勝手ながら議論するつもりはないので、
申し訳ないが、ご理解をいただきたい。
有難うございます。
拙い文ですが、共感いただきありがとうございました。