多摩爺の「時のつれづれ(師走の54)」
一人で暮らす母とのバトル
私の故郷でもある山口県下関市は、源平の戦い、巌流島の戦い、馬関戦争といった、
三度に渡って大きな戦いの舞台となっているが、
先月の半ば、実家において、94歳になった高齢の母と、古希を迎えた私との間で、
口喧嘩に発展しかねない不安のなか・・・ 頑固な母を説得する戦いが繰り広げられた。
3年前に父が亡くなった機会をとらえ、すでに卒寿を超えていた母に対して、
私の住む東京に来るか、妹の住む北九州に行くか、それとも住み慣れた下関で施設を探すか、
その三択を求めたのだが・・・ 返答はいずれもノーで、私はここで一人で生活するから、
あなたたちは、あなたたちの生活があるので、心配はいらないと言われ・・・ 説得に失敗していた。
以後、毎年帰郷する度にその話をすると・・・ 機嫌を悪くして席を立ち、
私の話も、妹の話も聞こうとしない状態が続いていた。
なんていうか・・・ 子どもがこんなこと言っちゃ叱られるが、
90歳まで車を運転していた自信過剰の婆さんは、もはや妖怪と言っても強ち間違ってないだろう。
とはいえ・・・ ホントに元気が良いというか、元気が良すぎる婆さんである。
リュックを背負って、近所の方に買い物に連れて行ってもらったり、
1キロ先のバス停まで歩いて、バスに乗って大型スーパーに行ったりしていて、
出来合いの惣菜に頼ることなく、自分で料理をする、気持ちも足腰も達者な婆さんである。
婆さんの我が儘を、可能な限りきいてやりたいと思い、台所はガスから電気に切り替え、
ストーブを処分して、冷暖房はエアコンしかないように、火の元には最善を尽くしたが、
年寄りの体感からか、寒さには敏感で暖房は付けるが、冷房は我慢が効くらしく付けないことが多く、
今夏は暑さで体調を崩すと、二度も近所の方の手を煩わして、病院に行く騒ぎを起こしてしまった。
さらに、自分で料理した食べ物にラップをかけて、冷蔵庫に保存していて、
思いだしたように食べているらしく、ときどき腹痛を起こし診察と薬をもらいに、
掛かり付けの病院に行っていて・・・ 病院の先生から、そんな情報もいただいている。
どうやら・・・ その時がやって来たらしい。
今度こそ、一人暮らしは止めてもらわないと、取り返しのつかないことになりそうである。
なお、妹の家の前は急な坂があり、坂から玄関に向けてちょっと高い階段があるので、
妹や女房と話し合って、妹宅へ行く選択は止めておき、
東京に行くか、施設に入るかの・・・ 二択で説得に当たることにした。
帰省後、いつその話しをしようかと、タイミングを図っていたんだが、
二日目の夕刻・・・ ついに、その戦いは始まった。
「帰る前に和歌山によって、◯◯(従姉)と伯母さん(母の姉)に会ってきたんだけど、
伯母さんとっても元気で、あなたほど物忘れがひどくなかったよ。」と切り出すと、
「年相応に物忘れしてるんだから、ボケてるんじゃないよ。」と、母が即座に切り返してきた。
さすが婆さん、なかなかやるじゃないかと思ったが・・・ ここは冷静に、
「だれもあなたが、ボケてるなんて言ってないよ。
朝起きてオハヨーという人が居て、一緒にご飯食べながら雑談できる人が傍に居るから、
あなたより二つ上の伯母さんは、とっても元気で、物忘れが進んでないんだよ。
一人暮らしは気楽だと思うが、あなたに寂しい思いをさせたくないんで頼むよ。」と続けた。
「本当は私たちか、妹たちが帰ってくれば良いんだけど、孫の世話があるのでそうも行かないし、
今年の夏に熱中症になりかけたり、最近はぶっそうな事件が彼方此方であるし、
もうこれ以上、あなたを一人にしておけないので、二択のいずれかを選択してほしい。」と話し、
「もちろん私は東京に来てほしいし、直ぐに決めろとは言わないので、
来年3月には95歳になるので、一つの区切りにしてもらえないだろうか?」と続けた。
すると、しばらく黙っていた母に
「お母さん、一緒に暮らそうよ。孫たちは煩くて騒々しいけど楽しいよ。」と女房が優しく話しかけ、
「でも・・・ 生活費はちゃんといただきますからね。」と笑いを誘った。
どうやら、女房がなに気なく放った軽いジョークが・・・ 決め手になったようだ。
「私はそんなに食べないけど、食費はいくら払えば良いの?」と、
母も笑いながら・・・ 絶妙の切り返しで応じるではないか。
自分が嫁姑の関係で、かなり苦労していたのを、私は知ってるので、
嫁のひと言が、余程嬉しかったんだろう・・・ 目元が潤んでいたのが分かった。
下手すりゃ修羅場になるかな・・・ なんて思っていたが、どうやら纏まったようである。
話しが纏まれば、これ以上話すと気が変わりかねないので、
「じゃ、風呂に入るわ。」と私は席を立ち、女房は台所の洗い物に向かった。
すれ違いざまに、アイコンタクトのあと、お互い後ろ向きで小さなガッツポーズをしていた。
風呂上がりにコーヒーを飲みながら・・・ 母に向けて、
「私は東京に来てくれると嬉しいけど、妹のところか、施設に気が変わったら、
来年3月まで半年あるから、その時はその時で準備があるのでお願いしますよ。」と話すと、
あれほど物わかりが悪かった頑固婆さんは・・・ 「分かった。」と、短く返してきた。
取りあえず、その場の決着は付いたが、物忘れが進んでることから、
「明日になったら、どうなってるか心配だね。」と女房に話し、その夜は床に就いたが、
翌朝、確認のため母に聞くと、東京に行くことだけは覚えていたが、
なんとなく1~2週間、遊びに行くような物言いである。
やれやれ、やられたかと思ったが・・・ ここで問い詰めると、へそを曲げかねないので、
東京に行くことだけがインプットされていれば、それで良しとし、
あとはタイミングを見て、その気にさせるだけなんで、
電話で孫の話をしながら、それとなく話題を東京に向けるよう努力するしかないだろう。
また、東京に来て、どうしても施設に方が良いということもあるし、
施設に入りたいと行っても、直ぐに入所できるわけじゃないので、
来年、東京に連れて帰るタイミングで、取りあえず妹が施設に申し込むことにして、
東京の方が居心地が良かったら・・・ 申し込みをキャンセルすることにした。
とっても世話がかかる、とっても我が儘な婆さんだけど、
大事な大事な母だし、親孝行できる時間が、そんなに残されているわけでもないし、
北九州に住む妹には、毎週実家に寄ってもらい世話になったので、最後は私の出番だろう。
それにつけても、女房のナイスアシストには大感謝である。
なんとかこの冬を無事に過ごしてくれるよう・・・ 健康と長寿を祈念したいと思う。
ガンバレ! 婆さん
そして、私と女房にも・・・ もう一踏ん張りガンバレかな?
感動いたしました。
何が大事か、改めて考えさせられました。
「時のつれづれ」何時も楽しみに拝見させていただいています。
私にとっては何よりの勉強になります。
元気に続けてください。
いいお話ですね。ホロリとしました。
私ども夫婦は、親たちは施設や自宅看取りでしたー。
その判断は 今も後悔はありませんが、本当に最前だった?
いや、思いたいのです。
いつも ありがとうございます。
奥様の鶴の一声がお母様の頑として動かなかった気持ちを振り向かせましたね。
奥様 Good Job!!
お母様が同居か施設の道を選んで下されば、多摩爺さまと妹さんも安心できますからね。
東京と山口では距離があり過ぎて、毎日心配ですね。
亡き母の事を思い出しながら読ませて頂きました。
良い方向に進むことを祈ってます。
拙い内輪話を読んでいただき感謝します。
いろんなことが毎日ありますが、
都度都度、自分の思いを言葉に出来ればと思っています。
これからも宜しくお願いします。
今回の帰省は、母の説得と、女房の実家の後片付けだったので、
なんとなくですが、それが達成できてホッとしています。
なにが最善なのか、けっこう真面目に悩みましたが、
子どもたちの気持ちは通じているので、それだけで良しとするしかないと思っています。
あとは来年ですね。
ゴールデンウィーク明けに戻ろうと思っています。
女房のアシストにはホントに感謝です。
帰京後も、ちょくちょく母と連絡を取ってるみたいで、その都度妹とも話し合ってるようです。
まさか、あのタイミングで、それを言うかと思いましたが、結果オーライでなによりでした。
長い介護生活が終わりましたが、このお話は本当に身につまされました。
お母様の立場、子供の立場、両方ともよく分かります。
様々なご配慮に、お母様はお幸せだなと思いました。
これから先も皆様がお幸せでいらっしゃいますように祈っております。
ピエリナさんの介護のお話、いつも感心しながら拝読させていただいてました。
私だったらどこまでできるのか、またなにをしなきゃならないのか、
だれもが経験することとはいえ、私たちの行動を子どもたちが見てると思えば、
迷惑かけないようにしなきゃとの気持ちと、面倒見てくれるのかなとの思いが錯綜しています。
無理して世間体を気にすることなく、自分に出来ることを精一杯頑張ろうと思います。