実山村(さねやまむら) 現香美町小代区実山
矢田川を挟んで忠宮村の対岸南東にあり、集落は同川の右岸に入る支谷の北側に達する。真山とも書き(寛永16年知高帳)、北東は野間谷村。弘治3年(1557)の「但馬にしかた日記」には「さ弥やま村」とみえる。また同日記には「いわ月村」とあるのは地内の岩月と思われ、同所に岩月籐左衛門殿・中村源兵衛殿などが住していた。慶長6年(1601)の山名豊国知行帳(池田家文書)に村名がみえ、高130石。寛永16年(1639)の知高帳、正(1644-48)頃成立の国絵図でも同高。天保郷帳では170石余。「七美叢誌」などによると元歴元年(1184)、源平の争乱で養父郡朝倉(現養父市)の居館を捨てた朝倉高清主従が当地に流れ来り、内倉(うちくら)と称する岩窟の洞中に潜居したと伝える。また集落の北に城山城の砦の一と考えられる中世の実山城跡がある。地内の荒(あら)御霊(みたま)神社は出雲国から勧請したと伝え、貞享4年(1687)に本殿を建立、寛政4年(1792)に再建している(「兵庫県神社誌」「美方町史」)。
矢田川を挟んで忠宮村の対岸南東にあり、集落は同川の右岸に入る支谷の北側に達する。真山とも書き(寛永16年知高帳)、北東は野間谷村。弘治3年(1557)の「但馬にしかた日記」には「さ弥やま村」とみえる。また同日記には「いわ月村」とあるのは地内の岩月と思われ、同所に岩月籐左衛門殿・中村源兵衛殿などが住していた。慶長6年(1601)の山名豊国知行帳(池田家文書)に村名がみえ、高130石。寛永16年(1639)の知高帳、正(1644-48)頃成立の国絵図でも同高。天保郷帳では170石余。「七美叢誌」などによると元歴元年(1184)、源平の争乱で養父郡朝倉(現養父市)の居館を捨てた朝倉高清主従が当地に流れ来り、内倉(うちくら)と称する岩窟の洞中に潜居したと伝える。また集落の北に城山城の砦の一と考えられる中世の実山城跡がある。地内の荒(あら)御霊(みたま)神社は出雲国から勧請したと伝え、貞享4年(1687)に本殿を建立、寛政4年(1792)に再建している(「兵庫県神社誌」「美方町史」)。
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