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Investment in knowledge ~明日への投資~と訳しちゃえ!
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Research and Development”の略である「R&D」、日本語にすれば「研究開発」。基礎研究(basic research)、応用研究(applied research)および実験的開発(experimental development)といった科学技術の活動をひとくくりにした言葉です。
「R&D」にかけたコストで考えることで日本における科学に対する意気込みを考えてみたい。指標として国内総生産(GDP)を用いるのが便利。GDPは「国内で生産されたモノの合計」を表し、サービスなども含む。従って、ある時期その国の生産活動の規模を推し量るのに有効な値である。このGDPに対するR&D支出(expenditure on R&D)の割合を、経済協力開発機構(OECD)加盟国を中心に比較された統計が取られている。
R&Dへの支出は科学技術における競争優位性獲得を目指す政府と民間の努力を示す値と考えられます。年が異なる国もありますが、どの国がどのくらいR&Dに対して、お金を掛けているのか比べた、最新の比較グラフもありますので、見てみましょう。
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Source OECDの“Gross domestic expenditure on R&D”です。
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これを見ると、日本はスウェーデンやフィンランドと同じくGDPに対するR&D支出の割合が3%を超える国で、官民を問わず、R&Dに対して前向きにお金を出す姿勢がうかがえます。資源が少ない日本で科学技術力の水準を押し上げたいというオモイの現われとみることもできます。
また、専門学校・高等専門学校・短大・大学・大学院レベルに相当する高等教育(total higher education)や、ソフトウェアに対するR&Dへの支出を、“知識に対する投資(Investment in knowledge)”つまり、未来のリターンへの期待として捉える考えがあります。
この、Investment in knowledgeについても、国ごとに比較したデータがあります。
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同じく、Source OECDの“Investment in knowledge”です。
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日本はR&Dへ積極的に投資できる割にはInvestment in knowledgeが低い印象を受けます。
映画の製作費が必ずしも映画の面白さを表さないように、「お金を掛けることが全てではない」ということは皆様もご承知の通り。科学技術への“投資”は日本がこれからも発展して行く“闘志”の顕れです。研究開発に携わる人々の頑張りに加え、大切な投資を無駄にしないため、私達一人ひとりも科学へのアンテナを研ぎ澄ましたいものです。
☆今回のお薦め は
そばかすのフィギュア
菅 浩江著, 早川書房 から 2編を紹介します。
カーマイン・レッド
ピイが描いた"それ"に衝撃を感じた。ストーリイが訴えたいこと、問いかけるもの、また、多くの読み手が強く感じることと一致するかはわからないが、私自身が”描く”という行為について、ピイに教えられた気がする。描きたいことを描く、表現したいことを表す、これ以上もこれ以下もない。評価はありがたい副産物的なものでどれほどありがたくてもそのために描くわけではなく、やはり、表現したいことを表すのが表現する最大級の推進力であること再認識させられ、この作品に心動かされた。そう、文章を読んでいるに過ぎない私はピイが描いた絵を見ることはできない。にもかかわらず、ピイが一生懸命描いた”それ”に感銘を受けている。
結果ではなく、動機やプロセスに感動する、ことも悪くない。
セピアの迷彩
自分というヒトと付き合うことについて、勇気を与えてくれるストーリイ。自分に自分勝手であることの大切さや己にどれだけ真摯でいられるかを問われる気がします。
自分に責任を負うということは、単に理屈だけではなく、ましてや合理性を優先するのではなく、トコトン付き合う、そうすれば、自分がするべきことは見えてくる。
逆を考えれば、分かる。他人というか自分以外の人間は、トコトン付き合う姿勢は勿論大切で有効な方法であるが説得するだけのモノが必要であろう。
自分自身を誤魔化すことは簡単そうで、じつはできないことを見事に表現した一遍である。
↓こちらもよろしく!
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texto_28も読んでくださいね。では。 たにぬねの
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Research and Development”の略である「R&D」、日本語にすれば「研究開発」。基礎研究(basic research)、応用研究(applied research)および実験的開発(experimental development)といった科学技術の活動をひとくくりにした言葉です。
「R&D」にかけたコストで考えることで日本における科学に対する意気込みを考えてみたい。指標として国内総生産(GDP)を用いるのが便利。GDPは「国内で生産されたモノの合計」を表し、サービスなども含む。従って、ある時期その国の生産活動の規模を推し量るのに有効な値である。このGDPに対するR&D支出(expenditure on R&D)の割合を、経済協力開発機構(OECD)加盟国を中心に比較された統計が取られている。
R&Dへの支出は科学技術における競争優位性獲得を目指す政府と民間の努力を示す値と考えられます。年が異なる国もありますが、どの国がどのくらいR&Dに対して、お金を掛けているのか比べた、最新の比較グラフもありますので、見てみましょう。
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Source OECDの“Gross domestic expenditure on R&D”です。
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これを見ると、日本はスウェーデンやフィンランドと同じくGDPに対するR&D支出の割合が3%を超える国で、官民を問わず、R&Dに対して前向きにお金を出す姿勢がうかがえます。資源が少ない日本で科学技術力の水準を押し上げたいというオモイの現われとみることもできます。
また、専門学校・高等専門学校・短大・大学・大学院レベルに相当する高等教育(total higher education)や、ソフトウェアに対するR&Dへの支出を、“知識に対する投資(Investment in knowledge)”つまり、未来のリターンへの期待として捉える考えがあります。
この、Investment in knowledgeについても、国ごとに比較したデータがあります。
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同じく、Source OECDの“Investment in knowledge”です。
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日本はR&Dへ積極的に投資できる割にはInvestment in knowledgeが低い印象を受けます。
映画の製作費が必ずしも映画の面白さを表さないように、「お金を掛けることが全てではない」ということは皆様もご承知の通り。科学技術への“投資”は日本がこれからも発展して行く“闘志”の顕れです。研究開発に携わる人々の頑張りに加え、大切な投資を無駄にしないため、私達一人ひとりも科学へのアンテナを研ぎ澄ましたいものです。
☆今回のお薦め は
そばかすのフィギュア
菅 浩江著, 早川書房 から 2編を紹介します。
カーマイン・レッド
ピイが描いた"それ"に衝撃を感じた。ストーリイが訴えたいこと、問いかけるもの、また、多くの読み手が強く感じることと一致するかはわからないが、私自身が”描く”という行為について、ピイに教えられた気がする。描きたいことを描く、表現したいことを表す、これ以上もこれ以下もない。評価はありがたい副産物的なものでどれほどありがたくてもそのために描くわけではなく、やはり、表現したいことを表すのが表現する最大級の推進力であること再認識させられ、この作品に心動かされた。そう、文章を読んでいるに過ぎない私はピイが描いた絵を見ることはできない。にもかかわらず、ピイが一生懸命描いた”それ”に感銘を受けている。
結果ではなく、動機やプロセスに感動する、ことも悪くない。
セピアの迷彩
自分というヒトと付き合うことについて、勇気を与えてくれるストーリイ。自分に自分勝手であることの大切さや己にどれだけ真摯でいられるかを問われる気がします。
自分に責任を負うということは、単に理屈だけではなく、ましてや合理性を優先するのではなく、トコトン付き合う、そうすれば、自分がするべきことは見えてくる。
逆を考えれば、分かる。他人というか自分以外の人間は、トコトン付き合う姿勢は勿論大切で有効な方法であるが説得するだけのモノが必要であろう。
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