ぴょんぴょん :ドーベルマンそらとミニピンちょこワールド

企業顧問、相談役、コンサル(M&A、新規事業、新技術、投資)。ドーベルマンそらとミニピンちょこは虹の橋に。

男の背中part3

2007年02月20日 00時57分45秒 | 転職、男の背中論
男の背中には歴史がある。
最近、人の背中を見ると、オーラの形や色が見えることがある。
強い光、弱い光、鮮やかな色、くすんだ色、大きく丸い形や歪んだ形など
・・・そして、それは日々変わっているようである。
さて、今の自分のオーラはどんな形をしているのであろうか?
前にも述べたが(part1?)自分の背中こそ見えないものである。
自己分析をしてみよう。
<環境の変化~男の背中論>
昨年の8月に退職し、11月に転職。慣れない単身赴任も少し慣れてきた。
行きつけの居酒屋(客のほとんどが地元の人)もできて、地元の方々と
の交流もできている。行くと必ず声を掛けてくれて、一緒に笑いながら話す仲間が10人ぐらいできた。私にとっては、心のオアシス。しかし、呑みすぎて、ちょっと肝臓が・・・。
仕事も毎日1オングストロームぐらいずつ前に歩いている。急げば間違いなく、足元をすくわれることは簡単に予測でき、それは会社の利益をマイナスにする。だからこそ、急がず純粋な心をもって「正義」と「仁義」と「愛」をもって、一歩いっぽを踏みしめている。
少しずつだが、頼ってくれる人も何人かできた。実にうれしいものだ。
まだ、私の方程式は、残念ながら、{人に頼る}>{人に頼られる}であるが、
徐々に{人に頼られる}の割合も多くなってきた。実にうれしい。
仕事力=人に頼られる>人にお願いする。
強い信頼感と頼られる世界ができたならば、「男の背中がうれし泣き」をする瞬間であろう。だからこそ、今は、皆ができない、やりたくない仕事を率先して、取りに行く。
成功とか失敗とかよくいうが、いったい何が成功で失敗なのか、言っている人がわかっていない。人によって価値観はまったく違うから、失敗とした内容が、その人にとっては、大成功だったりすることもあるし、まったく無意味なことだったりもする。つまり、私の価値観からいえば「愛」「仁義」「情緒」「正義」が全うできることである。これがなくて、お金が入っても、「自己嫌悪」でしかない。
つくづく思う、やはり、人生はお金ではないことを・・・。頼られる「愛」をもった「感動」は、絶対にお金ではない。情緒豊かな人生を送ることが幸せなのであろう。悲しくも「お金」に執着して、つまらないエネルギーを使うのは地球を破壊する。きっと、今の地球は、このマイナスのエネルギーで崩壊に向かっている気がする。近いうちに、紙幣は紙切れになる瞬間を多く経験し、もう一度「愛」「情緒」「ワビサビ」を重要視される時代が来ると予感する。見えない「ありがとう!」という言霊が価値観を有す世界が、きっとくると予感する。その世界がくるように、私も自己犠牲をはらうつもりでいる。背中に多くの傷を負うであろう。しかし、その傷は男の勲章で天界にいける。
そして、天界にも、かっこいい男たる背中は持っていけるのであろう。絶対に紙幣は持っていけないのである。
そして、地球に共に住む、花や木々や動物たちから多くのエネルギーをもらっている。鮮やかな色、発せられる空気、可愛らしい仕草、香しき匂い等など、5感で感じる。これらも、男のロマンという背中になる。
<私の背中>
今の私の背中は、この男の背中論に対し、いったいどうなのであろうか?
やっぱり、わからない。というか、霧のかかった、日々迷い路の中から抜けられていない。表には現していないものの、心の中で、喜怒哀楽が目まぐるしく回っている。一日にすべてを経験している毎日のようだ。これが迷いであると思う。
まだまだ、この男の背中論に対し、邪念がある。人間はそのDNAに私利私欲というプログラムが組み込まれている。このプログラムを抑制するのは、なかなか難しいものである。しかし、このプログラムが中心に出ると、絶対に不幸せになるというプログラムも組み込まれている。どのプログラムを選択するか、幸せへの成功のプログラムを活動させるためには、やはり、美しい自然(花、木々、動物たち)を愛し、大事にするところからはじめなければいけない気がしている。
・・・男の背中part4に続く。