発見!森のぶ~たん号!

毎日更新を目指しているぶ~たんです。
某社の公式ブロガーに当選を機に、地元密着型のブログをはじめました。

お月さまの不思議・・・月の暈、現わる

2011-11-11 10:11:24 | 今日のハッピー
スペースシャトルが引退するくらい宇宙空間を飛び回ったり、

宇宙ステーションに人が滞在するようになっても

ぶ~たんにはお月さまは不思議な存在です。

一昨日、遅くに帰宅途中、月の嵩に出会いました。

先月13日の福井新聞にも載っていましたね。

あの時は手元になくてとれませんでしたが、今回の月の暈は



初心者向けのデジタルコンパクトカメラで、

田んぼのあぜ道で悪戦苦闘

おニューの白いコートで仰向けに寝て

ウィキペディアによると・・・

暈(かさ)とは、太陽や月に薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる大気光学現象のことである。

ハローまたはハロ(halo 英:ヘイロウ)ともいう。

特に太陽の周りに現れたものは日暈(ひがさ、にちうん)、月の周りに現れたものは月暈(つきがさ、げつうん)という。

虹のようにも見えることから白虹(はっこう、しろにじ)ともいう。

・・・暈は雲を形成する氷晶がプリズムとしてはたらき、太陽や月からの光が氷晶の中を通り抜ける際に屈折されることで発生する。


ぶ~たんにとってはなんのこっちゃです

子供の頃、『女性は月を凝視してはいけない、心を持って行かれる』・・・そんな言い伝えを聞きました。



何に持って行かれるのかもわかりません。

「源氏物語」の「夕顔」を読んでいている時、何故かその言い伝えを思い出しました。

月を見ていると時間を忘れます。

何か魔法があるのかも

「源氏物語」の人々も、ぶ~たんも同じ月を見ている

月の暈の光をあぜ道で全身に浴びながら、そんな不思議を感じていました。

歩くざふくい まちなかの橘曙覧(たちばなのあけみ) Vol.4 斉殿清水(ゆやのしょうず)

2011-11-09 14:31:54 | 福井のおススメ
朝9時間からのツアー、ゆっくり見聞きしながら歩くのも疲れます。

橘曙覧記念文学館のお向かい愛宕坂茶道美術館で一休み。



お茶の作法のレクチャーを受けて



一服・・・秋のお庭を見て憩うひととき



お菓子は梅月堂さん(加茂河原)の南瓜饅頭。甘すぎずおいしいです

この美術館のロビーではお抹茶のサービスをしていて

春季、秋季以外は土・日・祝祭日のみですが

足羽山散策の一休みにもおススメです。

その後、貸出可のお茶室を見学




そして最終目的地斉殿清水(ゆやのしょうず)跡へ



ここは歩くざふくい まちなかの橘曙覧(たちばなのあけみ) Vol.1 藁屋で書いた

「袖干の井」を掘るきっかけか、糟糠の妻なをさんが水汲みに来た湧き水跡です。

先の歩くざふくい まちなかの橘曙覧(たちばなのあけみ) Vol.3に書いた黄金舎は足羽山の中腹で共同井戸もありましたが、

よく枯れたそう。

すると水を求めてなをさんは「百段坂」下のこの斉殿清水(ゆやのしょうず)まで

天秤棒を肩にかづいて何往復もしたのです。

地元の人ならわかりますがこの「百段坂」、急で高い・・・

昔の女性は立派です・・・ぶ~たんならお暇を頂きます。

商家に嫁いだつもりが、夫は隠棲し、国学や和歌に勤しむ。

多くの門人や知り合いが訪れる家を切り盛りしたなおさん。

ぶ~たんならお暇を頂きます。

長男が曙覧の死後歌集「志濃夫廼舎(しおぶのや)歌集」をまとめなければ

歴史の彼方に埋もれていたかもしれない夫に尽くしたなおさん。

夫の才を信じていたのでしょうか。

九十過ぎまでの長生きは神様のご褒美かもしれません。

柴田勝家の菩提寺西光寺さん、お市の方の菩提寺自性院さんからも近いので

橘曙覧所縁の足羽山にも足を向けてみて下さい



愛宕坂茶道美術館

場  所:福井県福井市足羽1-6-5
     TEL/FAX 0776-33-3933
   
開館時間:9:00分~17:15 (入館は16:45分まで)

休 館 日:平成23年9月26日(月)、27日(火)、12月12日(月)、13日(火)
     12月28日(水)~平成24年1月4日(水)、3月7日(水)~9日(金)


入 館 料:100円

お抹茶のサービス:200円




歩くざふくい まちなかの橘曙覧(たちばなのあけみ) Vol.3黄金舎(こがねのや)

2011-11-09 12:14:12 | 福井のおススメ
今回の案内人、河合氏は橘曙覧記念文学館の初代館長さん

橘曙覧の三女の菩提寺(妙観寺)脇の愛宕坂の中ほどが



橘曙覧記念文学館であり、曙覧が隠居した28歳から37歳まで暮らした黄金舎(こがねのや)



      黄金舎(こがねのや)跡の石碑

ここからは職員さんに案内されました。

館内なのであしからず。

ここには松平春嶽公がスカウトに来た藁屋を復元したものや、

会見現場の模型、独楽吟52首を読みながら歩ける部屋

曙覧と妻と三人の子供達との夕餉の風景や

「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」等の場面を

人形作家石井美千子さんがが再現した作品もあります。



      テラスのお庭の父子像

曙覧の事なら何でもわかる展示を観ていたら、

曙覧の死後、90過ぎまで生きた妻なをさんの気丈な晩年の写真に驚きました。

貧しい生活の中子供を6人も産んで、育てたお話を、

長男は明治政府で文部大臣になれるくらいの逸材だったとか

職員さんのお話をもっと聞きたかったのですが、

案内人の河合氏初めツアーメンバーが含蓄があり話があちこちと楽しいツアーで

時間が押して時間切れ。

お向かいの愛宕坂茶道美術館へ案内されたのでした。

興味の湧いてきたぶ~たんまたゆっくり来たいと思います。



11月27日まで、秋季特別展「山本容子の姫君たち」も開催。

この秋、来福された方はまたどうぞ。


橘曙覧記念文学館

場  所:福井県福井市足羽1-6-34
     TEL 0776-35-1110
     FAX 0776-33-3933

開館時間:9:00分~17:15 (入館は16:45分まで)

休 館 日:年末年始(12月28日~1月4日)
     展示替え等による臨時休館日
     平成23年11月28日(月)~30日(水)
     平成24年3月21日(水)~23日(金)

入 館 料:100円




 

歩くざふくい まちなかの橘曙覧(たちばなのあけみ) Vol.2 子煩悩

2011-11-08 09:10:32 | 福井のおススメ
今回の歩くざふくいのメンバーは歌人橘曙覧のファンが多いせいか年齢層が高い

その上案内人に負けない曙覧うんちくがある様子。

九十九橋で雨宿りをしながらそんな質問が飛び交います。

九十九橋南詰の三差路久保町と標識のある、向かって左カーブのあるところが橘曙覧の生家跡



            正玄(しょうげん)家跡碑



父の五郎右衛門は文房具商と、家伝来の生薬「巨朱子園(こしゅうえん)」を扱っていたとか。

越前市の酢屋の娘であった母は曙覧を生んだ翌年死去、

父は後添えをその後2人もらったとか・・・当時は女性の死亡率が高くてままあることだったと思います。

でも、父が後添えをもらった頃に母の実家へ預けられた事を思うと、

父の死後、跡取りとして生業に身が入らなかったり、遊郭通いもわかる気がします。

また、ここの生家の近くの九十九橋は交易の要で、船頭さんが遊んだ廓街もありました。


そんな曙覧が家長となり、恵まれた長女、次女を生まれてはすぐ亡くす不幸に見舞われます。

三女の名前が子(たけこ)、父としての切なる願いを感じます。

冒頭の写真のような光景もあったのでしょうが、それも健子が4歳の時に天然痘にかかり亡くなります。

天然痘は曙覧の友人笠原白翁が種痘を広めるまで恐ろしい死病でした。

子供の時から、親子の縁の薄い曙覧はどれだけ愛娘の死を嘆いたのか・・・



足羽1丁目の菩提寺(妙観寺)に健子のお墓を立てています。



お墓の側面には曙覧の自筆が彫られています。

その頃は、藁屋でなく黄金屋(現在の橘曙覧記念文学館)に住んでいたので、

目と鼻の先のお墓に毎日通って偲んでいたかも

その後、曙覧は男の子3人に恵まれています。

子供の頃恵まれなかった親の情を、自分が親になりそれを学びとっていったのかもしれませんね。

さて、次はこのツアーの終点、清貧の暮らしをしていた黄金舎跡へGO



追記:ここの近くの蕎麦屋さんはぶ~たんのお気に入りの1つ

同行者におススメしたらさっそく行ったとか、「おいしかった」と喜ばれました。

橘曙覧ツアーのお食事処にもなるので また、今度ご紹介しますね



歩くざふくい まちなかの橘曙覧(たちばなのあけみ) Vol.1 藁屋

2011-11-07 14:07:53 | 福井のおススメ
このブログの7月7日に(歩くざふくい 大安禅寺とその周辺Vol.4 橘曙覧

大安禅寺にある橘曙覧の墓所について書きました。

それまでは、元クリントン大統領が在任中の訪日の歓迎パーティのスピーチで

彼の「独楽吟」の一部をスピーチに引用したため有名になった歌人そう認識していました。

ブログに書いたおかげで、もう少し詳しくなり興味が湧きました。

そんな折の 橘曙覧ツアー喜んで参加しました。

前回の案内人は、「語り部の会」の会員さんで郷土歴史のエキスパート

今回の案内人は元書道教師で「橘曙覧記念文学観」の初代会長だった河合清士氏(冒頭の写真の御仁)

歴史家でなく、国語の先生の視点での案内また違った面白いツアーになりました。



スマイルバスを照手町で下りて桜通りの方向へ2、3分歩くと(八木熊さんの後ろ辺り)照手2丁目5-13

幕末の名君松平春嶽公が、橘曙覧と会いに訪れたボロ屋、失礼

もとい藁屋(わらや)跡があります。



狭い敷地に8畳間に4畳半台所位かしら?

ここに夫婦と男の子3人・・・当時の標準家庭の大きさはわかりませんが、

松平春嶽公一行があまりの粗末な暮らしに引いたらしいので、名前にも劣らぬ貧しさだったのでしょう。

(御城主が家臣に取り立てるために行幸するのです、精いっぱい掃除やしつらえをしたはずなのに


ぶ~たんの感激ポイントはここ

当時は水道がないので、毎日妻が水汲みに難儀する姿に掘った井戸「袖干の井」



彼の奥様なを(直子)さんは三国湊海津屋(酒井)清兵衛の次女。

きっとそれなりの暮らしをしていたのに、シラミを友とする生活をするようになるとは思わなかったでしょう。

晩年こそ地元での知識人になりますが若い時は商売に身を入れず遊郭通いに明け暮れ、家族がそれを封じるために嫁を取り

商売に失敗すると隠居生活をするは、国学に走るはモラトリアムを尽くした人

ぶ~たん、そんなを夫人に同情していましたが(「自分の夫ならたまらんぜよ~」と、何故か土佐弁に)

この井戸の存在で、見直しました。



今は枯れて埋められた小さな井戸ですが、どれだけ夫人の労力は軽減されたことか

ん、んんむ

根は優しくて繊細な人だったのでしょうね。(再び「自分の夫ならまっことたまらんぜよ~」と、何故か土佐弁に)

ぶ~たんの中で株価を上げた橘曙覧(たちばなのあけみ)さんの人柄を訪ねて

次は生家跡と子煩悩の証拠の場所へ向かうのです。