発見!森のぶ~たん号!

毎日更新を目指しているぶ~たんです。
某社の公式ブロガーに当選を機に、地元密着型のブログをはじめました。

警告書

2011-11-04 14:45:27 | 今日のオーマイゴッド
勤務先の会社近くの標識の写真、今年1月のブログに乗せました。

先日、この標識に不思議なシールが巻かれていました。



なんでや~

なんでこんなところに~



たぶんこの警告書をだした会社の管理する敷地に

置いてあったに貼ったのかしら。

こんな警告書初めて見ました。



なんでわざわざ標識に貼るのかしら。

秋の夕暮れ、標識の前で明智小五郎に変身中




美輪明宏音楽会〈愛〉 に行ってきました Vol.2 ぶ~たんおっかけす

2011-11-02 11:13:19 | 今日のチャレンジ
音楽会〈愛〉の第2部はフランスパリの恋模様が歌われていきます。

フランス社交界のの様なお姿で、歌詞の世界を演じきる迫力。

「初日の夜」の尽くし抜いた男の成功と共に捨てらえる切なさ

「老女優は去りゆく」での艱難辛苦を乗り越えた女の引き際

美輪さんはこの音楽会で

東日本大震災という言葉を出しませんでした。



 愛の格言集 花言葉 (1,470円)のサインと朱印


このご時世、この大変な時期という言い回ししかされませんでした。

そこに、美輪さん流の矜持(きょうじ)を感じました。

戦争や被爆体験を越えてきた強さでしょうか?

「愛の賛歌」の強いメッセージと圧倒的な演出



美輪さんの音楽会には、歌手、俳優のファンだけでなく、

美輪明宏流の人生観、美意識に共感するファンが多いです。

美輪さんの著作から抜け出したよう立ち居振る舞いのファンの方が、

ぶ~たん達の席の近くに居て圧倒されました。

終演後、ロビーに出ると行列が・・・



熱心なファンがこのお姿を、携帯のカメラで撮影する為に並んでいます。

ぶ~たんも


もちろん出待ちもしました。すでに15人位のファン。

美輪さんのファンですから、礼儀正しい事このうえなし

しばらくすると、オレンジ色のドレスとお帽子で艶然とした頬笑みに美輪さん登場

ブログでは美輪さんと書いていますが、

間近では「美輪さま~と拝んでしまいそう。

いえ、実際ファンの皆さんは乗車した美輪さんに手を合わせて拝んでいました。

一同でお見送り後、解散・・・

地元のぶ~たん、車が曲がった方向でどこに出るかピーン

ぶ~たん、生まれて初めておっかけす

信号待ちの車と遭遇

もちろん近くに行って覗きこむことなどせずに、本とパンフを胸に抱いて

お帽子しか見えない美輪さんをお辞儀してお見送りしました。


存在そのものがメッセージを持つ美輪さんのような立派な大人になるには

まだまだ修行が必要なようです。

おっかけしている場合ではありません



美輪明宏音楽会〈愛〉 に行ってきました Vol.1 やっぱり「ヨイトマケの唄」

2011-11-02 10:24:04 | 今日のハッピー
10月29日(土)の夜、美輪明宏音楽会〈愛〉が福井市文化会館で開催されました。



会場は20代後半から70代くらいまでの女性が大半。

隣の女性は携帯待ち受けには美輪さんの輝くお姿を握りしめています。

美輪さんのコンサートは2年ぶり3回目です。

そんな中、美輪さまご降臨

紫のグラデーションのドレスの貴婦人の様なお姿で

ご挨拶後一部の1曲目の「朧月夜」を情感たっぷりに歌い上げました。

毎回、ゴージャスな衣装に粋で洒落た舞台装置と照明

本当にステージの上に置かれた扇型の飾りが、音楽会を通じ色んな効果を醸し出します。

「さすが美輪さま」



   (今回の音楽会のパンフレット 中身も豪華でした)

美輪さんがチョイスした日本やシャンソンの名曲、1曲1曲についての話を聞きながら

知らない時代の日本の情緒、フランスパリの社交界の雰囲気を味わいました。

でも、どの曲も1部最後の「ヨイトマケの唄」の迫力には

ただただ

貧困の中、土方仕事をしながら子育てをした母と子の愛情を歌った歌で

たくさんの歌手がこの曲のカバーをしていますが、

やはり本家本元のマイクを少し離してもド迫力の美輪さんの歌にはかないません。

着飾ってきた周囲の皆さんと一緒に、タオルハンカチで拭き拭き感動

紫と黄金色がこんなに似合う御仁は他にはいない

2部間での休憩をそんなこと思いつつ過ごしたのでした。



桜薫道

2011-10-31 15:45:43 | 今日のハッピー
週明けの福井市は、雨、晴、にわか雨、晴と午前中だけでも目まぐるしいお天気です。

仕事で足羽川の河原に沿った道路を通ると、ふわっと、甘い香りが漂っています。

ぶ~たん、鼻の鼻の穴膨らむ。

桜木の甘い香りです。



雨に濡れた落ち葉や桜木の樹皮から香り立っているのです。

川向こうからの強い風で



でんぐり返しをするように道を舞いまわる落ち葉達

舞い上がる度に、桜の香りも舞い上がります。

雨上がりは桜の堤へ

ぶ~たんの秋のおススメです。



お市の方、もう一つの菩提寺 自性院 Vol.3 おもかげを偲ぶ

2011-10-26 15:45:19 | 福井のおススメ
お市の方、もう一つの菩提寺 自性院 Vol.2 秀忠公で書いたように、

この菩提寺は徳川家(二代将軍夫妻)のお市の方への供養でなされました。



         徳川所縁を示す葵の御紋

先日、自性院を恐る恐る訪れたぶ~たんを驚かせたのは

そこの奥様のおもてなし振り、お茶と駄菓子を小さなお盆で各々に振舞い

「どちらからお越しですか?」と話をして下さいました。

元々冒頭の写真の石碑の紹介しかておらず、知る人ぞ知る史跡。

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の始まる前の昨年末から訪れる人が増え

初めは「どうしたものか」と、困惑したけれど、迷う方もいるので看板を掲げたそう。



お寺の縁起から上野の寛永寺や福井市で家康を祀った佐佳枝神社との係わり等お聞きしました。

ただ、大河ドラマ以前はほとんどお市の方の菩提寺としてを訪ねてくる人はおらず、

2年に1度くらい織田家の末裔の方々が訪れるくらいだったそうです。

そして、何か所縁(形見)の品がないか訊かれたそうです。

西光寺も自性院のお墓もお二人の遺骨はありません。

あとかたもなく燃え尽きるように爆薬を使ったくらいですからあるわけがありません。


ぶ~たん・・・ピーン

これです、もう一つの菩提寺の答えの2つ目

ここはあくまで織田家の方々の織田信長の妹であるお市の方をしのぶ場所。

お市の方は浅井家から見たら、和平の役にも立たず自家を滅ぼした宿敵織田信長の妹。

子連れで再婚したことで縁は切れています。

柴田家から見たら主君織田信長の妹で、勝家と共に自刃したことで

丁重に弔う気持ちがあったからこそ、勝家と一緒のお墓で弔ったのでしょう。



        西光寺 勝家公、お市の方のお墓

だけど織田家から見たら、家臣筋の菩提寺。

家々でお寺が違うからご一緒にというわけにはいかないのかも。


立場が違うと言えば淀の方は両親を滅ぼした側。

天正17年(1589)12月に秀吉に許しを得て

父・浅井長政の十七回忌、母・お市の方の七回忌の追善供養を高野山の持明院で行いました。

その際に奉納したと言われるのが有名な肖像画



淀の方が納得した肖像がですから、さぞや似ているのでしょう。

敵方として滅んだ城主を弔うのは当時としては掟破りで

豊臣家の中での淀の方の権勢を示すとともに、彼女は浅井家の長女としての誇りを感じます。

次女のお初は父長政の菩提を弔うために仏像を作らせ大切にしたとか。

お江が徳川の妻として、織田信長の姪として、織田信長の妹の母を独自に弔うことで

お市の方は浅井家、柴田家の女ではなく、生家、織田家の女。

織田家の末裔にはこだわりがなくお市の方の偲ぶ場所になったように思います。

お市の方が秀吉への投降を拒んだのは勝家公の妻としてよりも、信長の妹の誇りだったのでしょう。

(大河ドラマの大地勝家ファンぶ~たんには、所詮かりそめの義父だったのと残念な感じもします。)


自性院の奥様が、ぽつり「当時の人は可哀想ですね、写真もなにもないから、その方をしのぶ為に御遺骨がなくてもお墓を作り、仏様を作り・・・」

そうですね、そういう時代だからこそ信仰に人々がすがったのかもしれません。

それでも、それぞれの立場で、それぞれに亡き人を悼み供養することで、それぞれの面影を偲んだでしょう。



信長の妹に生まれた宿命に翻弄されながら、織田と浅井の血を徳川に遺したお市の方

今は静かに「江」フィーバーを見守っているでしょう。



戦国の歴史好きの皆さん、福井にお越しの際は

柴田神社、西光寺さんだけでなく是非、如意輪山願慶寺自性院にもお越し下さい。

静かなお寺で優しいおもてなしにしみじみしますよ


如意輪山願慶寺自性院

場  所:福井市西木田2丁目10番21号

拝観時間:午前9時~午後5時 

拝 観 料:無料



※あくまで寺院であり観光地ではありません。拝観マナーはお守り下さい。