先日東照宮の記事を書いた時に、サービス業みたいに導く神職さんのお話が質を下げていたという感想を述べましたが、
そんな神職さんや僧侶の方も所詮人間です。
今そのお勤めをしながら心を磨きこの世で人のお導きのお手伝いをしながら自身の修養をして次の次元へ行くお努めをしているのです。
そこにいるから偉いとか気高いと思うっているのは
反対にいる方の思い込みや決めつけでもあります。
最近の社会の話題である宗教問題でも、
常に言っている事ですが、
その真理や経典は本物であるかもしれないけど、
導く人間の心は変わります。
その人の修行ですから。
昨日の話に繋がりますが。
今の時代のこの世の人間が次のステージへ行くのに必要だったから宇宙や高次の神様がこの世に降ろしたエネルギーで課題です。
物に依存するモノでもない
人に依存するモノでもない、
神様に依存するモノでもないこの世。
神様を通して、人を通して、物を通して、本人が進む道です。
それを教えてくれているだけ。
なので、歴史ある場所へお参りする。
日光東照宮へも徳川家康の時代か、
その時代のエネルギーの波動の高い意識と繋がるつもりで
自分の波動を高めていれば変に依存しないで済むという事です。
今の時代よりももっと強く厳しい意識が飛び交っていたようですから。
そこに常におられ働いている方も余計に修業が大変だと思います。
今の世の中に居ながらにして別世界で修業し、心に変化が無い訳がない。
そこに来られるあらゆる人間の心をすべて受け入れないといけないんですから余計ですよね。
参る側も同じです。
人ばかりを見ていては我失うし、自分の中心が揺らぎます。
「見ざる聞かざる言わざる」の真理である、自身の中心を見なさいという事だけに集中出来ればいう事ないですね。
低い意識で参ってしまうと下手に低い意識と共鳴して依存してしまう事になるんですよね (^.^)
東照宮参って後、先日ヒーリングセッションしている時にふとそんな事を思い出させてもらった感じです (*^^*)
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