緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

考えや思いを掘り下げる

2024-01-24 | スピ的視点
  何かが気になってネット検索をしたなら……、
新聞や雑誌記事でも興味を引いて気になったなら……、
それはきっとその奥に何かもっと自分の興味が隠れていたりする。

ネット記事にコメント入れたり、
記事やコラムを読んで何かを思って自分の考えを改めて考えたり、

その奥にきっともっと縁があるんでしょうね。
私は自身の本質があるんだろうと思っているんだけど、

だから……「掘り下げる」
私は掘り下げるのが好きなのかもしれない (^^;)

ただ記事を読んで「こう思った」と自分の考えと答え合わせしただけでは中々納得まで進まない時がある。
その考えは見えない部分の「価値観」でもある。

自分の考えも誰かと同じだったと答え合わせして安心するのかも知れないけど、
奥の深層心理はもう少し掘り下げてみると見えてくるかもしれないのかなと思う。

その記事やコラム書いた人も、ドラマや映画の脚本を書いた人だって、自分の考えや思いや想像の世界を書いていたりするのです。
その奥の世界観と一致しただけ。
書いた人は書きながらアウトプットして自身で掘り下げている。

こんなブログだってアウトプットしながら自分自身の奥を掘り下げているんです。
思いや考えを書き出しながらももっと奥の自分に気づいていくから。

たまには答え合わせだけでは無くて、
その興味の湧いた自分の奥へ入って掘り下げて行ってみればどうでしょ
それが本当の真の本質への入り口だったりするんです。

生きていると終わりが来るのは当たり前ですが、
現代は病気にならないと終わらないとか、病気になってもなかなか終われないとか。
生きていても大変です。
終わりの入り口にも入れない、入っていないのかも知れない。
高齢者が増えている現実もそれを物語っているんでしょう。
生きたいと思う心も大切で、生きなければという現実の思いも必要で、
実際に高齢者の方も元気で、今の物質次元を目の前の見える世界を生きたいと願っているのもよく分かる。
毎日平凡で普通で食べれて旅行が出来て、歌えて踊れて幸せだと話してる。
平凡でいいんだと。
平凡という価値観だって掘り下げれば皆それぞれです。
病気になっても認知症になっても生かされるのも現実で、
それでも終わらなければという思いの入り口も大切だと。
私も死の世界について考えるのは早かったけど、
もちろんその体験があったからで、
きっかけがたまたま入り口だったけど、
それでも実際は生きながらですから同時にで、いろんなことを掘り下げるきっかけだったのですが、
自分の思いを掘り下げていってるプロセスの過程で。
掘り下げるのは死の世界だけではなく、
この世に念を残さないための自分の奥の思いの本質です。




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