自分というのは産まれてきてグループに所属します。
最初は家族、そして学校や会社や趣味へと広がって行きます。
そうやって自分と周りの違いを知りながら自分に気づいて行きます。
自分の特徴や特技、特質を知って行く。
そんな話をしています。
自分の事は自分が一番知ってるって……
「知ってるよ!」なんて当然のように言う人もいますが、
そんな人はきっと自他尊重も出来ているでしょう。
他者を尊重するまでに至っていない人は
きっと人との違いの中で自分の事を知ろうともがいている真っ只中ですね。
色んなグループに所属してそこに集まる人と
同じだったり全く違うかったりで知って行くか、
または、そこの何にどんな部分に興味があるのか
どんな捉え方をしているのか、
そこから繋がる部分にたどり着きたいのか、
選んだ職業でも解ったりしますね
職業にも適職と天職があるようにです。
自分の生き方も判明してきます。
話し方、言葉の語彙の使い方も
良いとか悪い、正しいとか間違いとか上辺の事だけじゃない。
各地の方言を聴いて心地良いとか、外国語を聴いてもです。
一度ドラマ「仁」で花魁役の中谷美紀さんの話し方を聴いててすんなり入ってくるのは声もですが、私って一度ぐらい過去世で花魁やってたかなって思ったぐらいでした、きっとやってたかも (^^;)
それに気づいて認めただけで私の過去世のひとつが浄化された事でしょう (^^;)
そのドラマの中で花魁の世界も知り、時代背景も知り、心の奥も想像ができ、色んな理解が進みました。
自分との共通項もいっぱい見つけたりして…… (^^;)
どんな時の自分でも、どこに所属していても、
今自分が興味ある事、今自分が話している内容
そんな事でも、その事のどんな部分に興味があるのか
命の事、病気の事、お金の事、食の事、性の事でも
それの何に興味があり引っかかっているのか、
こだわっているのか。
ただの興味本意なら失礼な事でも
自分を知る事に関係があるとしたら当然です。
私は絵を描きますが、
その絵でもただの絵に命を吹き込みます。
下手でも技術がおぼつかなくても自分のエネルギーを込めます。
昔岡本太郎氏が「凄いね」とか「上手いね」とかそんな表面的な感想なんてくそくらえ、要らないと言っていました。
そんな奴は絵なんてほんとは興味が無い。
その絵を見て何を感じたかなんでしょう。
それと同じだと思いました。
自分が話している内容も、話している言葉の選択も
何か感じているのです。
ただの評価や評論もいらないのと同じです。
自分が目の前に向かっている自分を知ってほしいなと思うのです。
日記や俳句や詩や小説やブログ……を書いていても
その中に自分を見つける。
自分がどんな感じ方をしているのか、
何にどう感じているのか。
それも大切な事です (*^^*)ヽ(^。^)ノ
自覚……覚醒……へ ヽ(^。^)ノ
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