緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

続続・太陽エネルギー(痛み編)

2021-08-26 | 意識・無意識
  数日、太陽エネルギーとして記事書いていますが

全て宇宙エネルギーですよと言っています

そして病気も痛みもそんなエネルギーと融合する事で、そしてその一点集中してその部分の意識にスポットライトを浴びさせてあげるだけでも

その意識が今世自分の身体の中に存在している意味や因縁にもスポットライトが当たるという話をしています

病気や痛みが悪い訳でもないし

その病気や痛みは心のサインと言っているわけですが、それでもその表現している心が悪いと言っているわけでも無いという話をしています

ただ今世私達の身体と魂と心が一体化のはずなのに、バランスが取れなくなっているだけで、気づいて欲しいんだよという話です

その「痛み」ですが…

「病気」だって何年も自分の中に閉じ込めている「思い」や「考え」でもあり、それが自分の「潜在能力」や「才能」かも知れないという、

才能などに気づかないままひたすら自分を否定し、その能力も否定し、無意識に働かせ、働かせすぎて固まり病気細胞となっているだけ

心に気づかないまま頑なに細胞や組織までもが固まってしまうという

「痛み」というと、

病気とは違って、大体は「自分の感覚」でもあります

痛みは感覚の神経を通じて体の部分に出てきます

誰でもが何らかの痛みを感じた事があると思います

頭痛も歯痛も筋肉痛もですが、腰痛、転んだ時の痛みも、お腹の痛みも

そんな時って人に解かってもらいたいと思うでしょう

例えば子供が「お腹痛いよ~」といって学校を休みたい時、母親なら何となく分かると思いますが、本当にお腹が痛い時もあるけど、何だか様子が変だなと「どうしたの?なんて声かけて、本当は学校へ行きたくなかったり、他に原因があるという事です

それを母親がじっくり様子見ながらゆっくり話を聞いてやればお腹いたも治るし、本当の理由も分かるしという事です

痛みって昨日の話しましたが千差万別、部位も違えば大きさも加減も無限です

でもそこには深層心理も含んでいる事が往々にしてあります

ちょっとだけ痛い時でも、凄く痛い時でも、その人にしか解からないもんです

どうせ言ったって解らないやろう、解かってくれないやろう、

どれだけ痛いか解かるか、あんたには解からんやろうな、解かってくれてもいいやん、もっと解ってよ、もっと解れよ、解って当たり前やろ

もっと挙げればキリがない程、人の数だけ気持ちだけ程あります

転んで傷を見たらその程度で理解してもらったり、同情してもらったり

骨折ったり、事故などでは状況も含めて同情をしてもらいます

自分と向き合っていない人は、先ず人に解かってもらおうとします

人に同情して欲しいと思います

優しさとか親身になってもらうとか、愛を欲してる場合も

そんな心のSOSだったりです

痛みの真実は人に解かってもらう事ではないんです

本当は自分自身に気づいてもらいたい

母親が子供の痛みに気づき、声を掛けて、話を聞きながら本当の理由を分かろうとしてくれる様に

自分が自分の心と対話して、自分の本当の原因を解ろうとしてやり、理解してやり、癒してやると良いだけです

それを自分ではやらずに病院へ行ったり、精神科やカウンセラーのとこへ行ったり、占いやヒーリングへ行って、無意識に自分の心の代用として使っているんです

病院へ行って、全然どこも悪いところは無いですよと言われ、
痛いのに…原因不明となり、益々不安になり、心まで彷徨ってしまう

今では総合病院というものが増えていますが、あらゆる科で検査して、色んな角度で診療して総合して診断を患者さんに伝えるという

そんな中で、30日入院をして総合判断するという病院があります

腰痛が酷く、最終的に歩けなくなってその病院を頼って来た患者さん

総合判断すると腰痛の原因は肉体的にはどこも悪くないという事になり、その患者さんは怒りをも覚えるけど、院長先生は冷静に、毎日レントゲンの写真を見せながらどこも悪くないと言い続け、リハビリばかりさせながら、心のケアをすると言う、最終的には夫婦問題にまでカウンセリングは至り、それでもあなたは腰は悪くないですよと毎日言い続け、結局のところ心の問題だったという、30日後の退院の時にはすっかり歩けるようになり、笑顔まででて、もう再入院する事は無かったという話があります

30日かけての心のリハビリですね

私はこの話を聞いた時も本当に在る事よねすんなり納得しました

昔の町医者でも街の人々が「先生、お腹が痛いんです」と来た時に、先生がお腹を触って、「大丈夫!温かくして寝とき!」と言えば治ってました、いつしかそんな病院は先生に話しを聴いてもらったり、待合所で色んな人と話すだけの場所になったりしてました

今の病院は違います、先生はパソコンに向かって、患者さんの症状を打ち込み、後は数値で判断し薬を出すだけです

先生も考え直し、患者一人一人が意識を変える時が来ているのが現代です

コロナで医師会や町医者の評価も変わって来て、いろんな問題や膿が露呈しているのもそんなきっかけです

ある意味、痛みも「気のせい」…

自分で自分の心と対話する事が人間の意識に問われて求められている課題だったりするんです

私の事ですが

私も40歳前に腸閉塞になりました
後で分かった事はその5年前の虫垂炎の時の糸が外れていたずらをして腸を縛り付けていたという事だったんですが(その時の先生は手術の時の糸だと言いませんでしたが、これはよくある事みたいですね)

この時の痛みは半端なかったです、お産の陣痛どころではない、これも自分の感覚だけど…

腸が縛られて塞がれていて、そのままでいると死に至っていたという事ですが

原因が解からなかったので、検査ばかり続き、とっかえひっかえ内科や外科や先生が変わり痛み止めは制限があるので、我慢するしかなかったんです

でも、どれだけ痛いだとか、暴れ散らすとか、暴言吐くとか、そんな事は一切なく、看護師さんが「ごめんねごめんね痛いよね」とずっと言ってました

「全然大丈夫ですよと言いながら鼻から入った管が抜けて来るのを自分で突っ込んでいました、気持ちは元気なので、看護師さんの手を煩わすのが悪いな申し訳ないなと思っていたので」

この期に及んでも人に気を遣うという

愚痴も言わず、文句も言わず、ただただ痛みに耐えてた

子供達は祖父母の所へ行っていたし、いつも世話になっているので安心でした

迷惑をかけたりもしましたが、祖父母も段取りも良く解っていたので、普段と変わらない日々でした

ただ痛みと向き合う日々というか、我慢すればどうにかなると

数日後に最終手段で切ってみないと分からんという事になり手術になりました

手術は縛られていた部分を切り取って繋ぎ合わせるという、お腹を開けてみれば簡単な手術で済みました

本来腸閉塞でもくっ付いていて、はがす手術とかになると大量出血や輸血と時間も十数時間かかると言っていたんですが、30分程で終わったので良かったんです

それだけに色んな事を考えていました

何故こうなったのか、どんな原因や因縁があったのかとかをです

一番は、私はこの時に…私って、めちゃ我慢強いんだと初めて知りました

そしてこれをきっかけに色んな事に気づくようになりました

この時期の家族や仕事の事、状況や環境も含め気づきを得ました

自分の肉体は自分の肉体であっても自分のものでは無い

無理し過ぎてた、肉体を酷使していた、人の為だけを考え自分の事を考える間もなかった、24時間でも足りないぐらいだった

家族、仕事、あらゆる事を全部自分一人で背負ってた、背負っている気であり過ぎたかも

心の事も体の事も気づかないままでした、元気なので…

でも、それがもしかしたら全部「自分の我」かも知れないなと気づいたんです

「我慢」というのは究極の「傲慢」なのかもしれないとも思いました

人に気を遣うよりも人に委ねる事も大切だとか

ホントそこからです、いろんな事を本質的に奥深く探究していった

自分の肉体にも感謝して、自分の身体であっても自分のものでない、神様からお借りしているものかもしれないと思うようになったのは

それに、自分にもっと向き合おうと思ったり、自分の事を知ろうと思ったり、自分をもっと好きになって、自分を愛そうと思い、

その方向へ努力するようになったのは

全くそれまで生きて来た道とは違うと思います

縁はあるので、今となっては全部続いていたなと理解できていますが

だからこそ、自分の魂とも繋がったんだと言えます

「痛み」って、心のSOSだという事も、心との対話で癒すというのも、

この我慢の痛みにスポットライトが当たり、向き合い、気づきが始まった

そのスポットライトは宇宙エネルギーだし自然エネルギー太陽エネルギーだと思っています (^.^)




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