緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

虚像の世界

2021-06-13 | スピ的視点
  虚像の世界、目の前の世界、創造の世界、偽りの世界

何が真実なのか

本来この世は虚像の世界と言われている

そんな話を続けています

オットの嘘や秘密の世界という話から… (^_^;)…

嘘や秘密もずっとその世界を生きているとそれを自分で正当化したリ、何が真実か分からなくなったりして

回りとの関係が歪んできたりするという話でした

自分が真実を生きて、正直じゃないと回りとの関係にも溶け込めなくなり精神的にも大変になり病気だと診断されるという事でした

役者さんも演じる上で役になり切るために役の人生をも理解し自分に被せていく事をしているという話

意識的に役に憑依するという事をしているうちに

抜けれなくなったり、いつ本当の自分なのか、切り替えが難しくなったり

何役も重ねて続けているうちに一体どれが自分なのかが分からなくなって見失うという

性格だけ変わるならば出来るかもしれないけど、時代背景も環境も状況も人間関係もすべて含めて演じないといけないのってどんなんだろうって思いますよね

陶酔、心酔…って感じなんでしょうが、私が考えるその瞬間なんて一瞬やもんね

たまにお酒に酔いしれて違う自分を演じたくなる気持ちは分かるけど、

そこまでして演じたい役もないし、普段から色んな自分演じてるから良いかと (^_^;)…

まあ昔はネガティブモードで悩みが在ると、変な空想の世界に浸って悲劇に何日も陥ってた事はありますが、今ではないです

そう思うと昨日も精神内科のお話をしましたが

人間関係や社会に溶け込めなくて精神的に病んでしまって、病院に行き、診断され、お薬を飲み、って事をしている人が増えている世の中だと。

たまたま普通の病気でもそうかと思うのですが

今までの生活の中で、自分なりの生活をしてたと思っている自分がいて、その自分が自分に正直では無くて、本当の自分でも無くて

怒りを貯めたり、不安や心配事を貯めたり、寂しさや孤独の中にいて

歪みが出てきた時にバランスを崩し

病院へ行くと、たくさん検査し、診断を下され、処方され

それが自分の思ってもいなかった病気だとなると

今度はその病気の患者を演じる役の中に入ってしまう

既に生活していた時に演じていた自分も忘れ、向き合おうとしなくて

病気だと言われると患者を演じようとして、浸ってしまうという

病院なんて産業の発展、サービス業の一つ、儲けないとやっていけない会社の一つです、検査して診察して診断して処方して診断証書いて、私達は3割とかでも、後はなんぼでも国からお金が入るんですから

「はい、お薬出しておきましょう、様子見て行きましょう」と言っておけばいいんですから

それに最近では生活習慣病というお医者さんにとったらその人が死ぬまで仕事が保証されるんですから、見放しませんよね

患者さんの役を演じるとなると、監督さん(お医者さん)の言うこと聞きますよね

山田孝之さんは作品や役を自分の意思ももって選ぶと言っていました

それでもやって欲しいと監督さんは作品作りにかけるんでしょうね

自分の意思を持つという事に気づいたんでしょうね

だから演じる時には心酔でき、成り切る事ができるし、役からも抜け出せるんですね

私達も自分の意識を持ち、その役を理解するという事を忘れたらいけません

たとえそれが「病気」という患者さんの役でもです

たまたま病気を宣告されたとしても、病病気の役のお仕事に抜擢されただけ

そしたらその患者さんの人生を考え、病気を理解し

それまでの生活はどうだったか、それまではどんな自分を演じていたか

それまでの世界の役から抜け出せているか

それまでの生活に戻るか、その役から抜け出すか、

ただの数値で、病名宣告であっても自分の意思を見失ってはいけません

その病気に陶酔したまま、心酔してしまっては見失います

次の役はどんなんが良いか

自分の人生はどんな役で幕引きするか

そんな事も自分の意思で作品を選べるんだと思います

嫌な役だったら役に徹するだけ徹し、体験したらすーっと抜け出す

そんな世の中です

そもそも虚像の世界だからです

自分の魂はその役者を色んな作品へいざなっています

それだけです (^.^)




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