緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

思い出のスコッチエッグ

2024-09-25 | 日記

木曜日に亡くなって葬儀までの間、火葬が混んでいたのと、土曜日が友引だったので、4日ありました。

入院した時に左肺に痰が溜まっていたのと、二酸化炭素が吐き出せなかったのと、右肺に少し小さく結核の疑いがあるという事で結核の判断をするために検査が必要で3日間個室で隔離となりました。
救急の医師は大丈夫面会も出来ると言っていたし、主治医も多分結核ではないと思うと言って会えますよと言ってましたが、
病棟の規則で結局病院では会えませんでした。
亡くなったその日に結果が出るはずだった。

長女はスマホだけでも持たせてほしいと言いましたが、
多分母親がそんな気力が無かったのか繋がることは無かったです。

結局、結核の判断もつかずだったので、
兄とか兄嫁は移るとやばいと言って通夜までも、あまり会わん方が良いと言ってました。
会うんやったらしっかりした病院のマスクでと。

呼吸からの空気感染です、
病院の個室はもしかしたら結核菌が浮遊してたかもしれないけど、もう呼吸してないし葬儀会館に運ばれた時には安置室の冷房カプセルの中に入っているので大丈夫やろうに、
兄嫁は高齢者施設の事務しているからと最終葬儀まで来ませんでした。

直ぐ来れるところやとマンションの目の前の葬儀屋さんにしたのに!!
兄も最初だけ!
兄の長女が仕事帰りに来ると言ってたので、
じゃあ私らとご飯食べるか?と聞くと、一旦家に帰ってご飯は家で食べると厳しい口調で言いました。
その娘も高齢者施設の勤務だからです。

でもその娘は仕事帰りにそのまま会館により、一旦シャワーだけ浴びてもう一回来ると言って、私達と棺の横で宴を開き献杯してました (^^;)
もう既に兄夫婦は寝てたと。

こんなんやったらお寿司買ってあげてたら良かったねと
何で娘の意思も聞かずに勝手に決めるんやろうねとみんなでタラタラ話していました。

もうエンバーミングもして絶対と言って良いほど空気感染などないのにね!!
まあ人それぞれの考えがあるのでどうでもいい事だけど。

なので、ほぼ私と私の子供たちだけです。
ずっとお泊りしてたのは (^^;)
一人ぼっちにしてあげるのは可哀そうやなと。
私も2泊3日しました。

初日は安置室だったので、交代で家でご飯を食べて長女だけ泊まりましたが、
2日目からは控室もある会場となりました。

全員で9人の家族葬だというのに、ちょっと大きすぎないかという程大きな会場と控室。
控室も2部屋もあって、キッチンとバストイレも大きくて、
まだ新しい建物だったのでどこか旅館にでも来た気分でした。

近くにはイオンもスシローも吉野家もいろいろな麵屋も焼肉もあります。
まあ結局はスシローとかコンビニ、イオンなどで賄いおばあちゃんの横で、
ホント不謹慎ですが旅行だねって、みんなで。
おばあちゃんがプレゼントしてくれたみたいやね (*^^*)

そして全て終わった日にみんな家で泊って、通夜の時におばあちゃんのご飯の思い出話をしていた時にスコッチエッグと言ってたので、
久しぶりに作ってみました (*^^*)
アクションカウントが多いし、面倒なのであんまりやらなかったんですが。

母は家事とかはマメな方でした、
掃除も片付けも洗濯も予洗いとかアイロンもしっかり。
お料理も上手でした。
昭和の人だったか、手抜きはせず、ましてや京都で育ってますので、
おばんざいといった炊いたんも多く、
メイン皿と小鉢ものとかで、味付けも美味しかった。
私は最初は母と同じ様でしたが、世間の母友の話を聴きながら手抜きを覚えて行きました (^^;)
まあそれでも手作りで品数は作ってしまいますが、簡単なものが多いです!

残り物にこのスコッチエッグと食材の残りもあったのでトマト煮込みなどを足して食べました。
おばあちゃんのスコッチエッグやと喜んでました (*^^*)
私ももう作ることは無いかな (^^;)
いや、もしかしたら孫でもできたら張り切るんやろうか 笑笑



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