緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

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宗教観をもつ。

2024-09-27 | 宗教観
  昨日の話の続きで、宗教を探求し出した頃の話です。
それぞれの宗派の真理はまっず置いておいたとして、
選択の自由が無いというのも不思議な話だし、
その前に自身が選択の意志を持っているか持っていないかもある。

その前に信仰心を持っているか持っていないかも凄く重要なのかなと (^.^)
別に、信仰心を持つことが正しいか正しくないか、直ぐにそこへ繋げるから本質から離れてしまうんだと思うようになりました。

宗教の探究の中で、色んなことに疑問や違和感を持つようになって、
一番に「そもそも何?」という事が気になって行ったんです。
「じゃあそのそもそもは?」「えっ?じゃあそのそもそもは?」という具合にどんどん奥の本質にハマって行った。

その探求は自分自身が絶対の自信を持つまで止まることは無かった。
途中にこれか!と思う事があって、何かを信じようとしたら、
世間が何かそれに対して騒ぐことが起きたりして中々これだ!という本質までたどり着かなかったんです。

なので、選択とか云々というよりも信じようとする素材がどんどん付随してきて、
どんどん深まりどんどん広がって行ったというのが本当です。
そのお陰で、早い段階で姑に断るというか、その創価学会にしろ日蓮正宗にしろ仏教の一部にしか過ぎないと確信を得たし、喧嘩している宗教にはこれっぽちも興味がわかなかったので、姑に何を言われようが自分の意思を伝えることが出来る自信も持てた。

それに、その創価学会も日蓮正宗も尊重したらすむ事だと思えたので断るというよりも、もっと大きな概念で学んでいこうと思えたんです。

大学生が幼稚園の勉強をしている感覚です。
否定はしないし、批判もしないけど、自分には必要ないと思えた。
既に自分の中にはその教えぐらいのレベルはあると思えたし、もっと先へ進みたいと思ったからです。
もっと違う大学や大学院を受験しくなったという事です。
かと言って、本当に受験するわけではないですけどね。
学問の探究とは違う人生の探究なので、
路線が違います (^^;)

なので、宗教や宗派に関しても何かに所属したい訳でもなく、
所属するためのその選択のための探究でもないんです。

何かに所属すると、お寺でもですが戒律や、組織なら規則があるので、
制限が増えるだけです。

そうなると個性が無くなると思ったからです。
昔、創価学会に入っている友達と話していて、多分選挙の時だったかと、
私も興味が有ったのでいろいろ話を詰めました。
そしたら彼女の一言が「あなたが創価学会に入ったら凄くなるわ」と言ったんです。
余計に訳分からん、何が凄いのか、何で凄くならないといけないのか、
そう言われて、絶対に嫌だなと思ったのでした。
そんな頃は人の評価も信じる私では無かったので余計です (^^;)

人生の指針としてあるのが宗教なのかなって思っていたからだと。

よく友達や知り合いと話していると、
昔から話が問答っぽくなったりしてたのかな、その答えが面倒くさい哲学っぽくなっていたのか、自分では気づいているようで気づかなかったのでしょう、
「それ宗教やん」とか、「宗教に入ってるの?」とか、
そんな言葉を聞くと悲しくなっていました。

みんな宗教って何だと思ってるのかなとか、
宗教の本質を知っているのかなとか、
一言で宗教を一括りにして良いのかなとか、

ひとり勝手に傷つく事もありました。
それを糧にまた次へ進んでいたりした。

私も探求の途中でしたから、前へ進みたいのに、
宗教の話をするのもご法度な日本だなと (^.^)
日本ってご法度な話、人生観もだけど死生観とか性の話のように、気を読まないといけない話が多いのも何だかなと (^^;)

もちろんどこかの宗教に所属でもすれば話も出来るんでしょうけど、
そんな組織の中の人たちはその宗教に固執して執着して猛烈な信者となっている人が多いので、客観的な話なんてできるものでも無いと思い込んでる私もいるからかな。
論破したい訳でもないしね
それほどの語彙力も無いし (^^;)

それでも人生観を語るにも死生観を語るにもその根底というか宗教観を自身で探求するのは必須かなと思うのです。
宗教観は自分の心を観るからだと。
心を知るからだと。
その先に魂を知るからだと思う (^.^)

宗教を選択する必要も絶対ではないけど、
自分の思うようにまず良いとこ取りでもして自分の価値観をまとめて構築していく自分哲学を持つ方が良いのかなと思ってるわけです (^.^)



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