美しく生きるというのも自分の指針とするところで
美しくって何やろうっていつも考えたりしていた
何か思考の壁に付き合たったら答えを導きだすのにどういう捉え方をしたらそう考えられるのかとか
そう捉える事が出来た時には自分が好きになれたりするからです
そして、美しく生きるって…
丁寧に生きる事やなぁ~って思ったのでした
私は自分で言うのもなんですが割と気にしぃだったり、繊細だったり、気を遣いすぎたりするところがあって、それがマイナスに働いたりした時もあった
それが若い頃は気にしてないように見せたり、
強がったり、ピエロに徹したりしていたり
自分に丁寧ではなかったと思う
少し気が緩んだ頃にはそんな自分にも気づいた頃で、
自分の事も考えるけど、
人の事も観察し考えるようになっていて
人の関係に関して用心するようになって
考えて考えて考えまくるようになって行った
その考え過ぎに友達から面倒くさくないかとか、
そんなに考えてどうするのとか言われたりして、
そうかな、駄目なのかなと悩んだりもした
結婚して旦那さんはあまり考えない人で野生の直感で生きる人なんで、その対象的な私はバランスを取るのに余計に悩んでいたりした
そうするうちに考え観察し、人の事も理解しようとしてるんだと思うとそれも楽しくなったりそんな自分が好きになったりしていった
そうすると、言葉使いも変わり、
思いの伝え方も変わって行った
自分のこれが「丁寧に生きてるって事」かなと思えるようになった
この見える世界で物事もどんどん単純化され、
人間関係も単純化され
本当は元々は人の縁も見えない世界では糸が絡みまくる人間界
複雑で奥深いもの
無関心だったり、面倒くさがったり、端的過ぎて、単純化されて
余計に糸の絡みも見えなくなって、考えなくなって
全てに雑になったり
言葉も雑になったりして心無い言葉を吐いてしまったりしてくるのかと思います
少しでも考える時には考えて(無駄な答えの出ない事は考えないで)
二人で考える時、多数で考える時にも
それぞれの思いを構築していくように
一つひとつ丁寧に進めていく事が大切なんでしょう
そう思う最近です
美しく生きるとは「丁寧に生きる」って事じゃないかなと思うのであります
本当は魂が生きているというこの3次元
丁寧に生きていると自分と一心同体でいる魂の存在にも気づくし
魂の思いにも気づけるかと
そして魂の意識を丁寧に生きれるんでしょう
神様から与えられた人生で、
神様から借りている肉体で
丁寧に扱う方向で生きて行くと神様も喜んでくれる (^.^)
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