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突如機能停止状態に陥ったAIに、現在の家族より以前のメモリーが圧縮された状態で残っていたとしたら、それは人間の“前世”と同じことになるのだろうか。そのAIは世にいう“輪廻転生”を繰り返していたということになるのだろうか。韓国系アメリカ人コゴナダの新作は、ある白人作家が書いたSF短編小説を脚色し、東洋の精神哲学的命題に触れるところまで膨らませている。
しかし、本作はさくっと見終わる上映時間わずか96分という中編で、長さ的にも前作『コロンバス』のような壮大な結論を導くまでには至っていない気がするのだ。主演のコリン・ファレルいわく、本作に関して監督のコゴナダはほとんどリハーサルなしのぶっつけ本番でカメラを回したらしく、監督インタビューを読んでも、今作は次回作(蝶)までのつなぎ(さなぎ?)だったような印象を受けるのである。
コゴナダがリスペクトしてやまない小津安二郎へのオマージュも、今回はテレビ電話時のアスペクト比変更に垣間見れる程度で、作品の内容にまでは深く干渉していない。黒人の奥さんからヤンが“無”に対して感想を求められるシーンがある。おそらく、小津の墓石に刻まれた一文字“無”に因んだシーンだったと思われるのだが、ヤンの想定内の陳腐な回答にそれ以上の深みを特段感じなかったのである。
コリン・ファレル演じる父さんのお茶への思い、ヤンがことさら可愛がっていたメイメイちゃんのアイデンティティ問題、家族には内緒でヤンが付き合っていたクローン少女(へイリー・ルー・リチャードソンが前作から続投している)の秘密もろもろが、ヤンのメモリーファイル同様バラバラでけっして一つにまとまってはいない。要するに、西洋人受けしそうな東洋哲学の断片だけを並べて、後は勝手に想像してねと途中で放り投げた“見本展示会”のような1本なのである。
アフター・ヤン
監督 コゴナダ(2021年)
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