ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

MINAMATA

2023年02月23日 | ネタバレなし批評篇

凡百の活字よりもたった一枚の写真が真実を語る。ジャーナリズムの社会的責任に言及した本作品は、世界的インフレーションの影響で再びクローズアップされている“原発再稼働問題”と重ねてご覧になるのもいいだろう。ライフ誌の専属カメラマンとして一世を風靡したアメリカ人カメラマン=ユージン・スミスを、愛妻との離婚問題でアルコール&薬物依存に陥っていたジョニー・デップの再生物語とオーバーラップさせて見るのももちろんアリである。しかしこの映画心への刺さり方がいまいち浅い。それはなぜか?

ジョニデ演じるユージン・スミスが、『ミスター・ベースボール』のトム・セレックと同様、コミュニティから仲間外れにされた外人が次第に打ち解け真の救世主となる展開が、少々ステレオタイプすぎたからであろうか。水銀を海水にたれ流していた“チッソ”に対した地元住民たちが結局多額の賠償金支払いで和解するという、悪名高きエコテロリスト=グリーン・ピースと同じたかり行為に走ったからだろうか。はたまた、ユージンの撮った有名すぎる一枚の写真“ピエタ”やそれを見たライフ誌編集長(ビル・ナイ)の表情に傍観者的な距離感を思わずかんじたからであろうか。

「写真を撮ると、被写体だけではなく、撮った方の魂までうばわれる」沖縄の米軍上陸作戦に同行し、戦争の悲惨な状況に遭遇、それがトラウマとなって以後まともな写真を撮れなくなったユージン。家族は離散、ウィスキーだけが友となってしまう。熊本県の水俣に下宿しそこで写真を撮り始めたユージンだが、ある事件が勃発、また元のアル中廃人へと逆戻りしてしまうのである。映画はそんなジョニデいなユージンの断酒にはあえて触れていない。それは“事実に基づいた映画”の制約がそうさせたのかもしれないのだ。

映画はラスト、水俣病に限らず世界中で起きている公害問題を列挙して、鑑賞者の社会的意識を高めるべく、まるで環境学講義のようなエンディングを迎えるのである。へぇー世界中でこんなに公害がおきているんだと納得する前に、我々はもっと根本的な問題に目を向けなければならない。ロベルト・ロッセリーニは映画『ヨーロッパ1951』の中で、自然の力を科学で制御し利益を得ようとするアメリカ的手法に疑問を呈していた。公害とはつまり、今までの科学偏重主義のツケに他ならないのではないか。

いまらさ原始時代に戻れというつもりはさらさらない。が、物事の秩序→無秩序への不可逆な方向性を裏づけるエントロピーの法則じゃないけれど、人間一度楽を覚えてしまうと苦の時代にはもうけっして戻れないのである。一度酒の力によって人生のトラウマを忘れようとしたユージン・スミスが、生涯ウィスキーの瓶を手放せなくなったように。再生可能エネルギーとはいうけれど、そこには新たなる“無秩序”が必ず生み出されるはずであり、人間の堕落もまたその一つのように思えるのだ。

MINAMATA
監督 アンドリュー・レビュタス(2022年)
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