
この映画が公開された2011年のドイツは、アンゲラ・メルケルが首相の座についてから7年が経過、それまでは長らくキープしていた60%以上の支持率が40%(それでも岸田首相に比べれば....)まで急落した時期に重なる。ギリシャ財政破綻問題や難民増加に伴う治安悪化、そして3.11の影響で今までの原発推進計画を根本的に見直さなければならなくなったからだ。
この映画を見ると、英国オックスフォード留学から帰国したコッホがドイツにサッカー(本当はラグビー)とフェアプレー精神を持ち込んだおかげで、ドイツ全体に“自由主義”的な気風が広まったかのような印象を受ける。しかし、本当は英語教師ではなく古典の先生だったというコッホが高校に赴任してきた1871年は、映画とは真逆の軍国主義がドイツ全体を支配していた時代に位置付けられている。
普仏戦争に勝利し自信を深めたヴィルヘルム1世は、鉄血(武器と戦争)演説で有名なビスマルクを首相にすえ、議会の自由主義者たちを抑圧、復讐に燃えるフランス牽制のため英米と積極的な外交を展開していたのである。天然ガス欲しさにロシアと(独ソの接近を何としても阻止したい)アメリカの双方に気を配っていたメルケルの外交政策ともどこか似ているのだ。
シリアや東欧から積極的に難民を受け入れたメルケルと、唯一の労働階級ホーンステッドにも平等に接したコッホが同一目線で描かれていたことにも、我々は注目しなければならない。個人的にくそガキたちの下手くそなプレーにまったくリアリティを感じなかった私は、この映画のグローバリスト=メルケルを讃えるプロパガンダ的側面を終始監視しながら見ていたのであった。
コッホ先生と僕らの革命
監督 セバスチャン・グロブラー(2011年)
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