ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

恋のエチュード

2023年03月27日 | 激辛こきおろし篇

アンリ=ピエール・ロシェというフランス人美術収集家が書いた原作小説は、はっきりいってアマチュアレベルのソープオペラに過ぎない。同作家原作のジャンヌ・モロー主演『突然炎のごとく』が、女性解放運動で盛りあがっていた英米で大ヒット。トリュフォー自身はそんな前作の社会現象的風評に批判的だったらしいが、同作家による小説を映画化したということは、もしかしたら2匹目のドジョウを狙っていたのかもしれない。2人のイギリス女の間で揺れ動く文系なよなよ男子の物語は結果的に大ゴケ、トリュフォー自身も相当なショックを受けたという。

シングルマザーに大切に育てられたマザコン男クロードが、何を思ったのか誘われるがままに、ウェールズ地方の海辺にたたずむ邸宅で一夏を過ごす。その邸宅の主、ブラウン夫人の夫もすでに他界していて、同居していたアンとミュリエルの美人姉妹とすっかり意気投合してしまうのだ。いわゆる父親不在の家庭で育った子供たちだけに大人になってもどこか変わっていて、(本当はSEXに興味津々なのに)映画前半はまるで兄弟のようなプラトニックな関係に終始するのである。ああ、じれったい。

姉アンの計らい通り、親密になったミュリエルとクロードは結婚寸前までいくのだが、ここで大人たちの邪魔が入り2人は無情にも引き離されてしまう。離れ離れになったクロードのお熱もすっかりさめてしまった頃、姉のアンとパリで再会するクロードだったが.....ものの数秒程度のショートシーンを小刻みに繋げ、登場人物の口から心境をいきなり吐露させる独特の演出。しかも、トリュフォー自身のナレーションが映画のリズムをこの上なく悪くしている。132分におよぶ長尺も本作の酷評を呼んだ原因の一つといってもよいだろう。

芸術か興行か、肉体か精神か。まさにアンとミュリエルは巨匠トリュフォーが最後の最後まで決めかねていた2二者択一のメタファーだったのかもしれないが、トリュフォーの分身を長年演じてきたジャン=ピエール・レオが結果的にどちらを選んだのか、(我慢して)映画を見終わった現在もいまだ釈然としないのである。両者を総どりした映画監督もいないではないのだが、このトリュフォーそんな器用なことができるタイプには見えないのである。ケンカ別れしたゴダールは芸術を売り物にした守銭奴だったと伝えられているが、芸術も興行も同等に愛したどっちつかずの優柔不断男、その偽らざる姿こそトリュフォーその人だったのかもしれない。

恋のエチュード
監督 フランソワ・トリュフォー(1971年)
オススメ度[]


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