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ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ジュリアン

2020年10月03日 | ネタバレなし批評篇


誰だこの映画をスリラーなんかにジャンル分けしたのは。確かに見た感じは“リアル・シャイニング”だが、ポイントがまったくずれている。DV被害にあう息子の名前をタイトルに選び、観客の陳腐な同情心を煽ろうとした日本の配給会社もまた同罪である。フランス本国の原題『すべてが終わる前に』から想像できるように、本作はれっきとした社会ドラマであり、主人公もDV被害にあう息子というよりは、親権争いで面会する権利を得た夫アントワーヌと妻ミリアムの離婚した元夫婦といってもよいだろう。

突如として人前で激昂しミリアムやジュリアンに平気で手をあげるこの髭面大男を主人公として紹介したら、いまだに性善説を信じている日本人の皆さんは、けっして映画館に足を運ばなかっただろう。だからといってこのアントワーヌを、悪霊にとりつかれたジャック・ニコルソンと同等に扱うのはいくらなんでも短絡的すぎる。ミリアムが他の男と話しているのを見ると「あいつとも寝たのか」と元妻を疑うアントワーヌは確かに病んでいる。しかしその病は世界中でよく見受けられる“今そこにある病気”なのである。もちろん日本の一般家庭とて他人事ではないだろう。

そんな病気男に、息子ジュリアンと週に一度面会する権利を与えてしまう裁判所も裁判所なら、「ここは俺の家だ」といってアントワーヌを追い払う父親の方にも大いに問題がある。離婚によって社会に居場所のなくなったDV男が孤立を深め、いずれ大問題を起こすのは自明だったのではないだろうか。面会したジュリアンに新居の場所をしつこく聞き出そうとするアントワーヌに対し、母親を守ろうと必死になって嘘をつくジュリアン。「絶対に探し出す」体に似合わぬ小さなミニバンを乗り回し、ミリアムとジュリアンの住む新居へとだんだんと近づいていくのだ。(でもスリラーじゃないからね)

そんな狂った父親を「あいつ」呼ばわりする姉弟。もはやこの家族が元のさやに収まる可能性はゼロだというのに、それでもあきらめきれないDV男アントワーヌは、自分を迎え入れてくれることなどけっしてないアパートのドアを、無理やりにでもこじあけようとするのである。ミリアムのような状態に追い込まれた母親が、自分や子供を守るためにいかにも喧嘩の強そうなマッチョ男と再婚するケースをよく目にするが、その気持ちが痛いほど伝わってくる1本である。

ジュリアン
監督 クサヴィエ・ルグラン(2017年)
[オススメ度 ]

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