ホン・サンスに詳しい菊地成孔氏によると、『正しい日 間違えた日』で主演女優に抜擢されたキム・ミニと出会う前と後では大きくホン・サンスの作風が変化しているという。本作はそのミューズに出会う4年前の作品である。たわいもない恋愛話の背後に深い哲学が感じられる全体的な作風はエリック・ロメール、そこでの会話が自身の映画作りへの問いかけにもなっている点は(菊地氏の言う通り)確かにゴダールを彷彿とさせる。そしてモチーフの反復性を利用した方法論は、やはり小津安二郎の影響を少なからず受けているのではないだろうか。
菊地氏がホン・サンス入門として勧める本作を見た後に、本作以前に撮られた同監督作品3本『何も知らないくせに』『ハハハ』『教授とわたし、そして映画』をアマゾン・プライムで拝見したのだが、いずれもホン・サンスの分身と思われる映画監督が主人公。かといって映画の撮影現場シーンなどは皆無。映画祭の審査員に招かれてはカンペ~、映画評論家の先輩と再会を祝してカンペ~、映画学校の先輩教授と中華料理店でカンペ~…とにかく朝から晩まで酔っぱらっているか、若い女性と××しているかのどちらかなのである。
そんな酒宴の席で時折ふと顔をのぞかせる本音トークの中に、一連のホン・サンス作品を読み解く鍵が隠されている。
「ぼくの映画にはテーマがない。過程をかき集めて形にするだけ」
「(真心だけで生きている人間なんて)人間とはいえない」
「なんで自分のことしか描かないの?」「他人のことはわからないからさ」
「僕の希望は、この映画が生きている何かと同じになってくれることです」
「人生は何度も反復し差異を産み出します」
ね、なかなか手強いでしょ。
『何も知らないくせに』では、人間の本質は一様には定まらないというテーゼを立ち上げ、『ハハハ』では、ある若い詩人の2面性をコメディ仕立てに、『教授とわたし、そして映画』では、その原因を反復する人生に偶然起きるちょっとした差異に求めたホン・サンス。そして、本作『次の朝は他人』では、その命題の対偶すなわち〈完全に同じ人生が反復されるならば人間の本質はもしかしたら変わらないのではないか〉を、ある映画監督の妄想の中で証明しようと試みた作品ではあるまいか。
同じような面子で同じ店に行き同じような会話をした後、同じようなシチュエーションで同じようなぶッチュウをかます映画監督ソンジュン。先輩はやな顔一つせずいつもニコニコおごってくれるし、連れの美人はソンジュンのピアノにメロメロだ。ついでにスナックの美人ママはいつ訪れてみても出勤前で、外でヤニっている時に都合よくつまみを買い忘れる…そう反復されるこの物語、主人公の映画監督ソンジュンに都合よく出来すぎているのである。まるでデヴィッド・リンチ監督『マルホランド・ドライブ』前半のように…
韓国伝統家屋が立ち並ぶ散策コースをグルグルと歩き回りながら、結局3日前と同じようなこと(同業者へのタカリ)を繰り返しているソンジュン。(しかし俺は観光客のカメラの前でなぜこんなに固くなっているのだろう。撮る者が撮られる者に変わったことへの自己嫌悪だろうか。いやまてそうじゃない。完璧に反復される俺だけの俺にとって都合のいいこの世界の中で、この俺が、このソンジュンだけが腐り堕落し、変わっていたのではないか…)
次の朝は他人
監督 ホン・サンス
[オススメ度 ]