
監督さんいわく、男目線の神話『ウンディーネ』を女性である水の精ウンディーネ目線で描いた女性解放の物語なのだそうである。ということは今流行りのフェミニズム映画なの?そう問われると思わず首を傾げたくなるストーリーなのである。19世紀初頭ドイツ人小説家フーケが巷に流布させたといわれる原則に、本作のウンディーネ(パウラ・ベーア)も見事にはまっているからだ。
①人間になった水の精霊で、人間と結ばれることで魂を得る。(割れた水槽シーン)
②愛する男に罵られ(クリストフの嫉妬電話)たら、水の精にかえらなければならない。
③他の女を愛したダラチン男は即抹殺。(プールの殺人)
④水にかえったらまた魂を失い精霊に戻る。
なんだかんだいって神話の原則どうりに行動する本作のウンディーネをご覧になって、“古典的”と思われる方はいても、監督のいう“新しさ(ひげ男)と旧さ(潜水夫)が同居する進歩的な女性(ベルリン市街地)”を想像できる人はまずいないだろう。冷戦時代爆発処理されたベルリン王宮を“フンボルト・フォーラム”として復活させるプロジェクトのガイド案内役にウンディーネをあてた理由がまさにそれらしいのだ。
かつては沼地だった土地の水を抜き大都市となった(日本の江戸と同じ成り立ちの)ベルリン。その歴史を知る人たちからすれば、新しく建造された“フンボルト・フォーラム”も単なる西側のノスタルジーに過ぎないという否定的な意見が多いのだとか。(監督さんはもちろん)ガイドのウンディーネもそんな否定論者の一人として描いているらしいのだが、そんなのベルリンっ子だってようわからん演出やろ、って感想を持たざるをえないのである。
女性解放をうたっておきながら、人物設定からベースのストーリーまで全て古典をなぞっているようにしか思えない本作に、ドイツロマン主義へのノスタルジー以外何を感じろというのだろう。連合軍の爆撃によって一度廃墟と化した(ウンディーネの暗喩にもなっている)ベルリンは、(日本の東京と同様)たとえハリボテで旧建物(脳死したクリストフ)をよみがえらせたとしても、昔の風情(ウンディーネ=ベルリンへの愛)まで完全に復活させることなどできはしない。わかりにくいけれど、本作のテーマはむしろそこにあったのではないだろうか。
水を抱く女
監督 クリスティアン・ペツォールト(2020年)
オススメ度[

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