
村田喜代子の原作短編小説を大胆に脚色した反核映画。原作の中には、長崎原爆やハワイでパイナップル工場を営む実兄、そのコネを利用しようとする大人たちの話は一切登場しないらしい。あまりにも原作と違う映画を見て憤りさえ感じたという村田だか、本作のラストシーンを見てクロサワの脚色を「許そう」と思ったらしい。当のクロサワは「ラストシーンを見て笑ってくれ」というコメントを残している。
夏休みを利用して長崎の田舎に遊びにきた4人の孫たちに、10数人いたという兄弟たちの話をする祖母鉦(かね)。すべて金へんがつく兄弟たちの思い出話などは原作に則っているらしいが、孫たちが長崎原爆ゆかりの地を訪れ戦争中の惨事に思いを馳せるシーンや、(叔父の危篤などそっちのけで)パイナップル利権のお零れ頂戴に夢中な親たち、その親の従兄弟にあたるクラーク(リチャード・ギア)の来日等は、クロサワによるまったくの創作ということになる。
世界各国から寄贈された原爆モニュメントを見ながら一番年下の孫信次郎が「アメリカのだけがないね」と言ったり、来日したクラークが(鉦の夫が原爆で亡くなったことを知らなかったことに対して)詫びを入れたり、調子外れのオルガンが最後に直っていたりするシーンを見ていると、本作は日米の和解がテーマのようにも思える。が、鉦の認知発症を描くことにより、クロサワはそのなごやかな和解ムードにあえて“釘”をさすのである。
お堂に集まって被爆で亡くなった親類の供養を唱える遺族たち。傍らで見守る親と孫たち、そしてクラーク....ふと目をやると、蟻の隊列ができていて庭に咲いた一本の野バラに群がっているのが見える。ニッコリと微笑むクラークの横で、怪訝そうにそれを見つめる信次郎。ラストシーンの隊列の(親たちと老婆同士の沈黙のように)相反する意味をもつ伏線にもなっているこの印象的な場面で、クロサワは一体何を伝えようとしたのだろう。
本シーン撮影のためあまりにも長時間を要したため「もう蟻と共演するのはいやだ」というジョークをとばしてリチャード・ギアはさっさと帰国してしまったという。その後日談もさることながら、ビジネスライクに事を治めようとするドライなアメリカ人と、あくまでもウェットな対応をのぞむ日本人との和解に対する温度差を表現したシーンとは言えないだろうか。この蟻くんたち、過去の遺恨をすっかり忘れて甘い蜜にひたすら群がる戦後の日本人のようにも見えるからだ。
そして、原作者の村田も感心したという問題のラストシーンである。村を襲った暴風雨を“ピカッ”と勘違いした鉦が外へと飛び出す。その後を孫たち、親たちが一人ずつ追いかける。シューベルトの野バラが児童歌唱つきで奏でられる中、親や孫たちが泥に足をとられ、次々とずっこける様子がスローモーションで映し出されるのだ。傘が風にとられおちょこになってしまっても鉦だけはひょいひょいと走り続ける。あの日原爆から助けることができなかった旦那の元へ。
一度“ピカッ”の目に睨まれた者は、けっしてそこから逃げることができない。その目を絵に描きつづけた実兄同様、認知症を発症してもなお鉦が忘れられない8月のあの日の出来事。「けっして忘れない」と心に誓った孫たちでさえ、世間の雨に打たれ続けているうちに(バラの蜜の味は覚えているのに)、この夏の出来事などすっかり忘れはててしまうのではないか。クロサワがラストシーンにこめた想いは、見た目以上に複雑で皮肉に満ちている。
八月の狂詩曲
監督 黒澤明(1991年)
オススメ度[


]



